このブログでは「デザインとアート」について持論を展開し、デザイナー(設計者)とアーティスト(芸術家)の役割の違いを述べた。また、岡本太郎の著書から「芸術と芸能の違い」も紹介した。彼は歌舞伎や能などは「芸能」、日本刀などの工芸は「技術」で、どちらも「芸術」と言葉は似ているが本質は全く違うと述べている。

では、そもそも日本語の「芸術」と英語の“art”は同じ概念なのだろうか?「美術」も「芸術作品」も英訳すれば確かに“art”になるが、「工芸」を英訳しても“artwork”となり同じart(芸術)の範疇になってしまう。岡本太郎が指摘する「芸術」への人々の誤解は、英語の“art”を以てしても解決しないようである。

 

逆に“art”を和訳すると「芸術」以外に「技術、技芸」という意味もある(*2)から、“Art”にはどうも「人工の」という意味があるようだ。日本人は景色でさえ「自然が織りなす芸術」と思ってしまうが、「nature(自然)」と「art(人工的)」が対立的概念なら英語圏の人達は「自然が織りなすアート」には違和感を覚えるかも知れない。

 

“Artificial flower”は「芸術的な花」ではなく「造花」、“Artificial tooth”は「入れ歯」、“Artificial Satellite”は「人工衛星」だ。いま流行りの「AI(Artificial Intelligence)」も「人工知能」であって決して「芸術的知能」ではない。因みに、何故、あんなに賢いのに「人工頭脳」ではなく「人工知能」と呼んでいるのかご存じだろうか?

 

実は1950年代のSFの世界、例えば1951年に創作されたあの「鉄腕アトム」の頭の中には(「人工知能」ではなく)「電子頭脳」が入っていた。そしてアトムは21世紀初頭の2003年4月7日(今から18年前)に誕生することになっていた。つまり、コンピュータもロボットも、半世紀前に期待したほどには進展しなかったのである。

 

【鉄腕アトムには電子頭脳が搭載】

手塚治虫オフィシャルサイトより】

 

私は草創期のIT業界に入った元SE(System Engineer)なので、この分野の昔話だけはよく知っている。詳細は下記のコラム(*1)を読んで戴くとして、結論だけ申せば「“頭脳”はとてもムリ!」とギブアップし「作れても“知能”まで」と構想を縮退させたのだ。コンピュータは「計算」では人間を遥かに凌いだが、以降は苦戦したのだ。

*1:AIやIOT,DXは,どこから来てどこへ行くのか -③

 

だから「AIは賢くて私よりお利口」というのは、あくまでも限られた機能においてであり、総合的には我々人間の頭脳には遠く及ばないのである。とはいえ、いつか凌駕しないとも限らないが、その時は、もう「AI(Artificial Intelligence:人口知能)」ではなくて「AB(Artificial Brain:人工頭脳)」などと呼ばれているだろう。

 

*2:「研究社新英和中辞典」第3版

 

Saigottimo