労働組合たんけん隊2024 第3講義 | 労働組合ってなにするところ?

労働組合ってなにするところ?

2008年3月から2011年3月まで、労働組合専従として活動しました。
現在は現場に戻って医療労働者の端くれとして働きつつ、労働組合の活動も行なっています。

あまり知られていない労働組合の真の姿(!?)を伝えていきたいと思います。

2024年は、再生の年です。

不正にまみれた政治を刷新し、コロナ禍で疲弊した医療・介護現場を立て直し、社会保障削減や負担増を撤回させ、防衛費倍増ではなく国民生活を豊かにするために税金を使わせ、憲法改悪を阻止し、安心して働き続けられる職場をつくるため、行動し、声を上げることを提起します。そして、戦争・紛争が一日も早く終結し、避難している人々の生活が立て直されることを願います。

そして、能登半島大地震で被災された方々にお見舞い申し上げるとともに、一日も早く生活が立て直されるよう祈ります。

 

 

岡山労働者学習協会の連続講座「労働組合たんけん隊2024」に参加しています。

第1、2講義は、参考文献をちゃんと読まないとこれまでの報告と差別化が難しいと考え、報告は書いていませんでした。

6月7日の第3講義は初めてのゲスト講師ということで、これまでと重複しませんので、報告を作成することといたしました。

以下、概要をまとめます。

 

第3講義のテーマは「あなたも私も、等身大で活動できる労働組合に」で、講師は愛知労連議長の西尾美佐子さんでした。

西尾さんは1970年生まれで、岐阜県多治見市の出身で、3人兄弟の末っ子だそうです。福祉、医療に関わりたいと思ったきっかけは、バイト先で統合失調症の人を関わったことで、精神科で働きたいと思ったそうです。そして、愛知県瀬戸市の精神単科病院にソーシャルワーカーとして就職したそうです。病院長はやり手で、県の納税トップ3に入ったこともある人でしたが、労務を担当していた事務長が亡くなると、賃下げが始まったそうです。そこで、1993年10月に労働組合を結成することになり、先輩が委員長と書記長になり、いい病院にしたいと言っているのを聞いて加入したそうです。病院が患者さんを大事にしておらず、プライバシーを侵害しているのが嫌だったとのことでした。しかし、労働組合に対して診療拒否や脱退勧奨などの経営者からの嫌がらせが行なわれ、組合員が5名になってしまったところ、全員に解雇通告が出されたそうです。それに対して、不当解雇だとして愛知労働委員会に申し立て、名古屋地裁に仮処分の訴えを行なったそうです。1994年2月、愛労連青年協のスキーフェスに参加した裁判支援を訴え、仲間との出会いがあったそうです。全労連の青年の集会でも、カンパや物販などの支援活動を行なったそうです。解雇の背景には金儲けになる制度をつくっている国の問題があるとして、瀬古由紀子衆院議員が国会質問で取り上げ、全国の精神医療の問題提起へ広がったそうです。

仮処分で勝訴し、労働委員会の決定で職場復帰をすることができたとのことでした。しかし、1997年に病院長がガンで死亡し、副院長が病院を継承すると、全員を解雇した後に選別して職員を再雇用し、二度目の解雇撤回闘争をすることになったそうです。その間、無収入になってしまったので北医療生協のメンタルクリニックでパートとして働き、そこの労働組合に加入したそうです。

1998年、嫌だったけれど勝訴和解し、金銭解決が行なわれたそうです。そこで、北医療生協の正規職員となり、労働組合の役員にもなったそうです。その組合ではパートの労働組合員も一緒に活動し、パートの組織化に取り組んで事業所訪問をして仲間を増やし、パートの組合員が1.8倍となったそうです。そして、愛労連の新聞の1面を飾ったそうです。

パートの人たちからは、「初めて声をかけてくれてうれしい」と言われたとのことでした。そして、パートの一時金など、自分たちの要求を訴えるようになったそうです。

北メンタルクリニックはソーシャルワーカーを大事にする病院で、患者さんに明日も来てもらえるように「笑顔で接する病院を目指すとしているそうです。患者さんと一緒に喫茶店をやったりすることもあり、大好きな仕事ができ、幸せな時間を過ごすことができたそうです。

2005年5月、愛知県医労連の専従となり、書記次長になったそうです。なぜかというと、老人保健施設ができる時に無資格者に対して低い賃金体系とされてしまったことを申し訳ないと思い、制度を変えるために産別運動を頑張ろうと思ったからだということでした。

2009年7月から2015年7月までは書記長となりますが、2015年10月に出産し、育児休業に入ったそうです。

2019年7月に書記長に再任され、2021年7月に東京にベテランを送り出すため、愛労連議長になる決意をしたそうです。女性は初だったそうです。

労働組合の役員は男性中心ですが、組合員にも女性も多くいます。女性が当たり前に参加できる組合員活動にしようと考えたそうです。長男の子育てと義母の介護をしながらの活動で、労働組合の活動を身近に感じてほしいと思ったそうです。全労連の小畑さんが女性初の議長に就任したことにも背中を押されたそうです。

 

女性が労働組合の役員になることの意義の一つ目は、私たち一人ひとりが生活であることの視点だと述べました。女性は家事を担うことが多く、女性には時間がないため、労働時間の短縮、休暇の充実、職場の理解が必要になります。それは、男性にとってもやさしい労働環境だと指摘しました。

二つ目は、それぞれが「等身大」で活動していくことだと述べました。子育て中でも、介護中でも、役員になれる労働組合にすべきということです。愛労連は、ジェンダー平等宣言を出し、一人ひとりが大事にされる労組を目指しているそうです。日本医労連は医療研究全国集会で託児所を設置し、全労連は大会で保育を準備したそうです。会議スタイルも、Zoomを活用するなど柔軟になってきています。

三つ目は、個性というバッググラウンドをいかした組合運営です。例えば、トヨタ総行動の際に、西尾さんはコロナに感染してしまったそうですが、副議長がフォローし、青年が「団結ガンバロー」のコールを行ない、その様子がテレビで映し出されたそうです。トヨタは下請け価格に引き上げを行ない、労働組合の運動のすごさを実感したそうです。

愛労連では、女性役員は16%だそうです。大会の女性参加は20%で、まだまだだと述べました。

女性組合員、女性役員が増えると組織が変わると指摘しました。

意見が活発に、柔軟に出されるようになるそうです。たとえば、メーデーの舞台を自前で作っていたのが、安全のためにプロに頼むことになったそうです。

 

続いて、当事者を大事にした運動の実践が紹介されました。

その一つが、「子どもたちにもう一人の保育士を!」の運動だそうです。また、ケア労働者の大幅賃上げ・増員プロジェクトでは、5単産が一緒に運動し、2400人のアンケートを行なったそうです。非正規公務員(会計年度任用職員)1万人組織化プロジェクトでは、低賃金、身分の不安定さ、退職金の対象にならないことなどをメディアに訴えたそうです。中日新聞の女性記者が記事にしてくれ、非正規の方々が直接差別を訴えたことが記者魂に響き、一面に掲載されたそうです。

当事者が声を上げられる環境をつくることが重要だと述べました。

そして、ひとりひとりがものを言える組織運営が重要だと述べました。

意見を言える場づくり、言ってくれた意見に共感を示すことが必要です。そして、「ちゃんと聞いてくれた」と感じてくれているかを確認することも必要です。

差別があることを確認し、それを変えていくことを確認し、組織化につながると述べました。

職場に分断が生じかねない中で、問題は何か、背景は何かを明らかにし、本当の交渉相手を明らかにすることが重要だと述べました。そして、団体交渉、団体行動を行なうことで、労働組合だったら変えられるという希望を持ってもらい、当事者の感情が動くと述べました。

 

ここで、『ストレス「善玉」論』という、精神科医の中沢正夫氏の著書が紹介されました。

ストレスは誰でも抱えるものであり、弱さではないとされ、自分の生きがいと密接に関係するストレスもあると書かれているそうです。そのようなストレスは、自分のブラッシュアップにつながり、成長させるものでもあるそうです。そして、ストレスを客観視することで、本来の問題は何のかが明らかになるということが書かれているそうです。

 

医労連の歴史は、先輩たちのたたかいが今をつくっていることを示していると述べました。

1950年代、看護師は結婚する自由も通勤する自由もなく、妊娠も順番が決められ、「籠の鳥」、「ナイ賃ガール」と呼ばれていたそうです。1960年代に病院スト、白衣のストライキが行なわれ、院内保育所をつくらせるなど、困難を切り開いてきたそうです。2・8闘争では夜勤の回数制限を実現し、1989年からはナースウェーブ、白衣のパレードが取り組まれ、全国で看護師が立ち上がりました。1992年6月、夜勤は複数、月8日を限度にすることが法制化され、公民の教科書に載ったそうです。しかし、24、25歳で看護師が過労死する実態がまだ続いていると指摘しました。

労働組合運動をするために大切なこととして、傷つけられている人は怒ることもできなくなっているが、おかしいということを共感されることで怒れるようになると述べました。

そして、そのために憲法をいかすと述べました。憲法14条は、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と定めています。人は差別されてはならないのであり、おかしいことはおかしいと言うべきだと述べました。

例えば、名古屋市の高校生が「名古屋平和の日」をつくろうとした際、河村市長が便乗し、「お国のために死ぬことは道徳的行為」と述べたそうですが、愛労連は素早く抗議したそうです。

また、夫婦別姓も平等権だと述べました。

中沢正夫医師は、「地図は現地ではない」と述べたそうです。書面だけ読んでわかった気になってはならず、その場に行って直接話を聴くべきということだそうです。

西尾さんは、労働組合に出会わなければ今の自分はないと述べました。

そして、労働組合は「あきらめない」から変えることができると述べました。名古屋市職労では、女性役員を増やし、非正規の仲間を拡大し、10月の人権闘争決起集会に800人が集まったそうです。その結果をつくるまでに、役員がすごく行動しているそうです。団結し、意識的に動くことが成功につながると指摘しました。

労働組合の力は未来をつくる力だと述べました。

 

以上で報告を終わります。