第5回25条埼玉集会 パネルディスカッション | 労働組合ってなにするところ?

労働組合ってなにするところ?

2008年3月から2011年3月まで、労働組合専従として活動しました。
現在は現場に戻って医療労働者の端くれとして働きつつ、労働組合の活動も行なっています。

あまり知られていない労働組合の真の姿(!?)を伝えていきたいと思います。

2024年は、再生の年です。

不正にまみれた政治を刷新し、コロナ禍で疲弊した医療・介護現場を立て直し、社会保障削減や負担増を撤回させ、防衛費倍増ではなく国民生活を豊かにするために税金を使わせ、憲法改悪を阻止し、安心して働き続けられる職場をつくるため、行動し、声を上げることを提起します。そして、戦争・紛争が一日も早く終結し、避難している人々の生活が立て直されることを願います。

そして、能登半島大地震で被災された方々にお見舞い申し上げるとともに、一日も早く生活が立て直されるよう祈ります。

 

 

2月24日、第5回25条埼玉集会に参加しました。

今回は、パネルディスカッションの概要についてまとめます。

 

記念講演の後、本田宏医師の司会でパネルディスカッションが行なわれました。

最初の発言者は、埼玉平和運動センターの金子さんでした。金子さんは元中学校教師で、川口市で長く勤めたそうです。当時、全部の中学校で男の子は坊主頭にしなければならないとされていたのですが、中学生が「自分の体のことを決める権利は生徒一人一人にある」と主張し、その学校では校則を変え、他の学校にも広がったそうです。

子どもの権利条約を日本は1994年に批准しました。条約には、差別の禁止、子どもの権利の尊重、子どもの最善の利益、子どもの決定権の4つの原則があるそうです。これに基づいて校則の見直しなどが行なわれ、1996年、埼玉県議会は子どもの権利条約をいかす決議を採択したそうです。その決議により、学校の名簿を男女混合名簿にすることなどが行なわれたそうです。

2002年、ゆとり教育が始まり、授業時間が減少し、総合的な学習の時間ができたそうです。

その時間に、まちづくりを考えようと、お年寄りや障害のある方が住みやすいかをまちへ出て調べたそうです。また、環境問題について学ぶため、子どもたちが環境省にアポをとって話を聴きに行ったりしたそうです。そのような、主権者として育つための学習が行なわれたとのことでした。

しかし、ピサで日本の成績が下がっていると宣伝され、方向転換が行なわれたそうです。学力テストで学校は息苦しい場所になってしまったと述べました。

昨年、「子ども基本法」が成立し、再びチャンスとしていかすべきだと述べました。

「道徳」の授業は、特定の価値観に子どもを誘導するものだと指摘しました。たとえば、「障害者は困っている」、「障害者はそれを乗り越えてがんばっている」というような見方です。

不登校も増加し、学校を考え直す必要があると指摘しました。

困窮している子どもたちの問題については、自己肯定感が希薄になっており、希望の格差につながっていると述べました。教育のためにどれだけ予算をつけられるかが問題だと指摘しました。また、朝鮮学校への助成金が停止されたことについても、声を上げていく必要があると述べました。

 

次に、きょうされんの佐藤さんが発言しました。佐藤さんは精神疾患があり、生活保護を利用しているそうです。

人権侵害の意識はいろいろあると学び、極度の貧困も人権侵害であると知ったと述べました。

やどかりの里という施設には、生活保護を受けながら家族から独立して生活している先輩たちがたくさんいるそうです。

佐藤さんの障害者年金は65,000円から66,000円くらいで、作業所の工賃も少ないそうです。

2012年の生活保護バッシングは、自民党、公明党、マスコミによって行なわれたと述べました。そして、2013年、14年、15年、18年、19年、20年に生活保護基準引き下げが行なわれました。

佐藤さんは、住宅扶助がマイナス2,700円、生活扶助が7,000円の引き下げとなったそうです。

不服審査を知って申請し、再審査も請求しましたが却下され、裁判の原告となったそうです。

原告となって生活を見直してみたところ、食べることが中心となり、衣類は買い控えし、レジャーや余暇を楽しむ余裕はなかったそうです。

佐藤さんは、障害を持っているからといって虐げられていいのかと問いかけました。

生活保護裁判は、全国29の地裁で、1,000人以上がたたかっているそうです。

名古屋地裁ではひどい全面敗訴判決が出されましたが、地裁では15勝11敗で、名古屋高裁では全面勝訴し、国の賠償責任が認められたそうです。血の通った判決でしたが、しかし、世の中の反応は冷たいと指摘しました。

「Nothing about us, without us」という言葉の通り、当事者の声を聴いて決めるべきだと述べました。

裁判をいたずらに長引かせる国の対応はおかしいと指摘しました。原告が高齢化し、亡くなる人もいるそうです。明るい未来が見える世の中であってほしいと述べました。

最後の最後までたたかっていく、勝つまでたたかうので、応援よろしくお願いしますと呼びかけました。

 

次に、年金者組合埼玉県本部の曽根さんが発言しました。

年金者組合は、若者も高齢者も安心して暮らせる年金制度をつくろうとつくった団体だそうです。

2012年、「特例水準解消」として、3年かけて2.5%の引き下げが行なわれたそうです。

行政不服審査請求を行ない、却下され、再審査請求も却下され、訴訟へ訴えることになったそうです。17回の意見陳述が行なわれましたが、さいたま地裁では不当判決が出され、東京高裁へ控訴したそうです。

憲法25条の生存権、29条の財産権、13条の幸福追求権に違反していると訴え、後退的措置の禁止も合わせて訴えているそうです。

国が後退的措置をとる場合、「(a)行為を正当化する合理的な理由があったか否か、(b)選択肢が包括的に検討されたか否か、(c)提案された措置及び選択肢を検討する際に、影響を受ける団体の真の意味での参加があったか否か、(d)措置が直接的又は間接的に差別的であったか否か、(e)措置が社会保障についての権利の実現に持続的な影響を及ぼすか、既得の社会保障の権利に不合理な影響を及ぼすか、又は個人もしくは集団が社会保障の最低限不可欠な水準を得る手段を奪われているか否か、(f)国レベルでその措置についての独立した再検討がなされたか」という6項目が規定されているそうです。

さいたま地裁は、「国には法律をつくる自由がある」として却下したそうです。

しかし、いくつかの成果もあったそうです。高齢者の年金生活者の暮らしが大変になっていることが社会に広がってきたこと、女性の低年金について広がり、メディアに取り上げられるようになったことなどだそうです。

昨年12月15日、最高裁で兵庫事案の判決が出され、社会権規約については無視されたそうです。

裁判を通して、日本のこうした姿勢を正していかなければならず、最高裁に向けて、「私のひとこと」の協力を呼びかけました。

 

次に、特別養護老人ホームななふく苑の速水さんが発言しました。

ななふく苑は、手話で生活できる特養ホームで、毛呂山町にあるそうです。

「手話はろう者の言語」ということが広まり始めていますが、昔はろう学校では手話は禁止されていたそうです。

しかし、口の動きで読み取るのは困難で、学校で禁止されても手話は続けてきたそうです

病院や他の施設で「よく暴れる」とされていた方が、ななふく苑ではしっかり理解してもらってからケアをするので、暴れることはなくなったそうです。

入居者の半分はお子さんがおらず、断種手術のためだそうです。自分から手術を受けた人は一人もいないと指摘しました。

何度も中絶させられた人や、病気を治すと嘘を言って断種手術を受けさせた例もあったそうです。聞こえない兄弟がいるということを隠して結婚した人もいるそうです。皆、「優生思想」に支配されている被害者だと指摘しました。

出生前診断でダウン症があるとわかると、99%が中絶しているそうです。

聞こえる子が生まれてほっとしたこともあったが、しかし、たくさんのろう者との出会いで、今なら自身を持って産む、育てると言えると述べました。

重い障害があるとわかっても安心して産める社会へしていかなければならないと述べました。

障害がある子が生まれても「おめでとう!」と言える社会にしましょうと呼びかけました。

 

次に、特別報告として、きょうされんの斉藤さんが能登半島地震被災地支援の報告を行ないました。

今週の火曜日から昨夜(2月24日)まで、障害のある人を訪問してきたそうです。

あちこちで道路が寸断され、土砂崩れが起き、液状化していたそうです。輪島の火災は戦場のようだったと述べました。

これから毎年、元旦の度につらい思いをする人がたくさんいると述べました。

手帳がある人の安否はわかっているが、全容はわかっていないと指摘しました。多くの団体が心配していると述べました。

支援金だけでは生活再建はできないと指摘しました。

1ヵ月経って、はじめて精神科の受診が出来たという方もいらしたそうです。新しい症状が出た人もいらしたそうです。

作業所の状況は、珠洲市の作業所の9人は避難所にいて、24人は二次避難所にいるそうです。29人の職員の中で、7人が被災により退職したそうです。2月になって作業所を再開しましたが仕事がないそうです。関連事業所が被災したためだそうです。

復興にはほど遠く、復旧も遅々として進んでいないそうです。

株価史上最高とは真逆の状況であり、震災の時は弱い立場の人に被害が集中すると指摘しました。憲法25条の具体化が必要だと述べました。

 

本田先生は、日本は何度も震災を体験しているが、何度も失敗しているのに何も変わらないと指摘しました。メディアは大切なことを流さないと述べ、防衛省より防災省をつくるべきではないかと提案しました。

続いて、藤田早苗先生にコメントを求めました。

藤田先生は、発言者にお礼を述べ、早く個人通報制度を使えるようにしたいと述べました。馬鹿な判決がひっくり返されることで裁判所が学び、政府もおかしいことはできなくなるそうです。イギリスも個人通報によって変わったそうです。

シングルイシューではなく、一緒に運動すべきだと述べました。優生思想もまだまだ強く、全ての人には同じ価値があるということを広げていかなければならないと述べました。その人が何もしてくれなくても、人間であることで尊厳があるという価値観が根付いていかなければならないと指摘しました。

メディアをつくっているのは視聴者であり、デスクに潰されるというが、デスクは2、3つの意見が出れば変わると述べました。そうすることで、メディアの中でがんばっている人がやりやすくなるそうです。

お互いに高めていく責任があると述べました。

曽根さんは藤田先生にお礼を述べ、年金裁判は一つの最高裁判決は不当判決だったが、ご本に最高裁への国連人権規約の勧告のことが載っていたが、日本の最高裁判事はそのことを学んでいるのかと質問しました。

藤田先生は、韓国では国際人権規約の勉強会をつくっていると述べました。日本では弁護士でもまだまだ知らない人が多く、裁判官は望みが薄いので、まずは弁護士から始めてほしいと述べました。

尾崎埼玉弁護士会会長は、弁護士会にはたくさんの人権についての委員会があり、これからもがんばって裁判官にもわからせたいと述べました。

本田先生は、日本弁護士会で人権としての医療を守るという決議を出してくれた、これからもよろしくお願いしたいと述べました。

金子さんは、教育がどんどん後退しており、一番の問題は教員の働き方だと述べました。過労死するほどの働き方で、一人一人の子どもに向き合う時間がないと指摘しました。20年前にはまだ工夫する時間があったが、給特法をやめて残業手当を出さなければ駄目だと述べました。みなさんも後押しをお願いしたいと述べました。子どもたちも大変で、休職の代替もなく、管理職が授業をしている状態だそうです。

本田先生は、医師も働き方改革で大問題になっているが、そもそも必要な医師数に13万人たりないと指摘しました。しかし、メディアでは伝えられないそうです。ドライバーが3万人たりないことは時々伝えるそうです。教員も応援したいと述べました。

速水さんは、藤田先生の人権教育の話で、小学校からやっているというのは衝撃だったと述べました。自分は運動する中でわかったし、その他でも団体が少しずつ積み重ねて変えてきていると述べました。以前は手話通訳もなく、運転免許も取れなかったそうです。あきらめずに活動し、一般社会でもあたり前となるといいと述べました。

曽根さんは、特別報告者の話で、2018年に生活保護の引き下げについての声明を日本政府に出しているが、これが判決がいい方向へ向かう力の一つになっているのではないかと指摘しました。国連を無視し続けることはできなくなっているのではないかと述べました。年金の問題でも、同じような声明が出れば変わるのではないかと述べました。

藤田先生は、2018年に7人の特別報告者が声明を出したが、それを報じたのはしんぶん赤旗くらいだったと述べました。通報は誰にでもでき、情報提供するとよいと思うと述べました。しかし、日本政府は出た勧告には必ず反論するので、テクニックが必要だと述べました。使える制度は使っていこうと呼びかけました。

本田先生は、別個で訴えても変わらないので、私たちが横でつながって政治を変えるしかないと述べました。そのつながるためのキーワードが「人権」だと述べました。

 

以上で報告を終わります。