第5回25条埼玉集会 記念講演 | 労働組合ってなにするところ?

労働組合ってなにするところ?

2008年3月から2011年3月まで、労働組合専従として活動しました。
現在は現場に戻って医療労働者の端くれとして働きつつ、労働組合の活動も行なっています。

あまり知られていない労働組合の真の姿(!?)を伝えていきたいと思います。

2024年は、再生の年です。

不正にまみれた政治を刷新し、コロナ禍で疲弊した医療・介護現場を立て直し、社会保障削減や負担増を撤回させ、防衛費倍増ではなく国民生活を豊かにするために税金を使わせ、憲法改悪を阻止し、安心して働き続けられる職場をつくるため、行動し、声を上げることを提起します。そして、戦争・紛争が一日も早く終結し、避難している人々の生活が立て直されることを願います。

そして、能登半島大地震で被災された方々にお見舞い申し上げるとともに、一日も早く生活が立て直されるよう祈ります。

 

 

2月24日、第5回25条埼玉集会に参加しました。

以下、その際に行なわれた記念講演の概要をまとめます。

 

記念講演のテーマは「世界から見た日本のヒューマンライツ」で、講師はエセックス大学人権センターのフェローで写真家の藤田早苗さんでした。

藤田さんは2023年11月に帰国し、沖縄から始まって様々な場所で講演をし、今回の講演が千秋楽だったそうです。人権は全てのことに関わる、自分に関係があると思っていただけてうれしいと述べました。

大学でも講演し、法学部だけでなく、ジャーナリストや国際関係など、いろいろな学科の学生に話したそうです。ちゃんと学べば関心を持ってもらえ、そうした学生をつなぐ勉強会もつくっているそうです。点と点をつなげ、線にすることだと述べました。

1月1日に能登半島地震が起こり、1月17日に阪神淡路大震災の犠牲者に対して黙とうをしたと述べました。「私もあの時ここにいたら被災者だった」と考え、どんな人権問題でも、誰でも当事者になり得ると指摘しました。自分のこととして考える想像力が大事だと述べました。

イギリスでは賃上げストライキが盛んだそうです。ストライキで電車が止まり、医療従事者や消防士もストライキを行ない、ストライキの間に火事が起こると軍隊が消火活動を行うそうです。日本では、消防士には団結権すらないそうです。イギリスの市民は、「ストライキ権だから」で落ち着くそうです。なぜ日本ではそのような許容力がないのかと問いかけ、当たり前の便利さの裏にある搾取を指摘しました。

2月16日、ロシアのナワリヌイ氏が亡くなりました。毒殺の危機から回復しましたが、帰国した直後に逮捕され、獄中死したとのことでした。このニュースについて、イギリスでは国連の特別報告者にインタビューしたそうです。

沖縄では、米軍基地に多くの土地を取られています。事故が起きても地位協定で調査することができません。翁長知事は国連でスピーチし、「安全保障のために琵琶湖や松島を埋め立てるのですか」と訴えたそうです。

沖縄の佐喜眞美術館には、「原爆の図」の丸木夫妻が描いた沖縄戦の作品が展示されています。チビチリガマの絵には集団自死の様子が描かれていますが、シムクガマの絵には死者は描かれていないそうです。シムクガマにはハワイ帰りの人がいて、米兵は一般人を殺さないと言って外へ出て、米兵に「ここのは兵士は一人もいない」と説明したことによって、犠牲は一人も出なかったからだそうです。国際基準を知ることが大事だという象徴的な話だと述べました。

藤田さんは2022年に『武器としての国際人権』という本を出版し、1万4,000部売れ、第6版となり、オーディオブックにもなったそうです。このタイトルは集英社がつけたもので、「武器」というのが引っ掛かりますが、上手に使えば人権で自分を守ることができるという意味だそうです。本の中では、国連の人権機関を紹介していますが、そもそも人権とは何なのかということも解説していて、その部分が一番反応があるそうです。

いろいろな寄稿の依頼があり、ビックイシューからファッション雑誌にまで記事が掲載されていて、関心が広がっているのは希望だと述べました。

国会でも引用されたそうです。水岡俊一参議院議員の質問で、当事者になって初めてその大事さがわかり、誰もが関係がある、だからこそ国際人権規約が大事であるにもかかわらず、日本は勧告を無視しているが、首相はどう考えるかということを追及したそうです。

国際人権基準から日本を見たらどうか、人権、国際人権と私たちの関係は遠いことなのかと問いかけました。

人間らしく生きるために何が必要かと質問すると、学生は衣・食・住をまずあげ、ある大阪の学生は「テレビ」と言ったそうです。その他、医療、教育、移動の自由、集会・結社の自由、表現の自由などがあげられました。そして、これら全て人権に直結している、一つ一つ人権として確立していると述べました。当たり前と思っていることもとても重要であり、権利の中のコアなものを「人権」と呼ぶと述べました。

人権の歴史の中で、1215年のマグナカルタ、1775年のアメリカ人権宣言、1789年のフランス人権宣言があげられましたが、これらの対象は、たとえば貴族の男性など、ごく狭い範囲の人だったと指摘しました。

「人権」のイメージは、日本では思いやり、「仲良くしましょう」、「やさしくしましょう」などなどですが、これで大丈夫なのかと問いかけました。たとえば、視覚障害者が道路を横断しようとするのに対して、「親切に手を引いてあげる」だけで充分なのかということです。そこに誰もいなかったら、視覚障害者は安全に道路を横断することはできません。音付き信号機やバリアフリーなどが必要だと指摘しました。

国連では、「政府がそれを助ける義務がある」としており、政府の義務が大事なポイントとされているそうです。

政府の義務には、「不当に制限しない」という「尊重義務」、「第っ三者による人権侵害を防ぐ」という「保護の義務」、「条件を整える」という「充足の義務」があるとされているそうです。政府はこの3つを全てできていなければならず、ちゃんとできているかをチェックするのが国際人権機関だと述べました。

憲法を学ぶ時に出てくる「オリの中のライオン」は「尊重義務」についての話であり、それだけでは足りないということです。

国際人権機関は、第二次世界大戦中の人権侵害を反省して設立されたそうです。内政不干渉では人権は守れないと考え、それまでは「人権は国内事項」だったのを、国際関心事とし、国連憲章の目的の一つに人権が入ったそうです。

1948年12月16日、世界人権宣言が採択されたそうです。賛成48、反対0、棄権8だったそうです。人権宣言の対象は何の条件もなく全ての人が対象であり、人類の歴史上はじめてのことだったそうです。

「世界人権宣言」は、「Universal Declaration of Human Rights」の訳ですが、「Universal」には全ての人の、普遍的なという意味なので、「普遍的人権宣言」と訳す方がしっくりくると述べました。この言葉により、日本の人権と世界の人権はつながっていると気付いたと述べました。

日本で「人権」というと被差別部落の問題というイメージがあるそうです。しかし、実は飛んでもなく広い問題であり、人間らしく生きていくために必要なものが全て入っていると述べました。

ホロコ^ストで一番有名な収容所はアウシュビッツで、ポーランドにありますが、ドイツ人の訪問者がたくさん来ているそうです。ドイツではホロコーストについて学ぶ義務があるそうです。

「思いやり」と「親切」は、自分の仲間にするのは難しくありませんが、自分が差別している相手に同じ態度は獲れないと指摘しました。「思いやり」では零れ落ちる人がたくさんいるということです。

日本の法務省の入国参事官は、「外国人は煮ようが焼こうが自由」と述べたそうです。今でも人権状況は改善していないと指摘しました。

障害のある人をメディアがどうとらえているのかと問いかけました。相模原事件の際、犠牲者の家族は報道に対して名乗り出なかったそうです。なぜバッシングされるのかと問いかけました。

イギリスでは、鉄道の切符売り場の対面販売を廃止する問題で、7時のニュースで障害のある人が問題をリポートするのが放映されたそうです。学習障害のある人や車椅子の人にインタビューしたそうです。その際、「全てのひとにとって引き続き電車で移動できるようにし続けることが重要」と述べたそうです。

日本は、障害者の権利条約の日本報告書が審査を受けましたが、報道されなかったそうです。

メディアは本来はどの位置にあるべきかと問いかけ、権力A、中立B、市民Cとした図が示されました。学生に聞くと8割Bと答えるそうですが、会場ではBの人が数人、Cの人が多数でした。メディアは権力からどれだけ独立しているかが大事だと述べました。権力がやっていることをウォッチし、危ない時は警鐘を鳴らすのが役割です。何もしなければ埋もれてしまうことを伝える、顕在化させるという役割もあります。

日本のメディアはこうしたことをやっていないから「B」と答える人が多いのだと指摘しました。

「障害」と書くか「障がい」と書くかについては、あえて当事者は「障害」と書く人がいるそうです。とらえ方の変化で、障害を本人の問題とする「医学モデル」に変わって、社会の側に障壁を取り払う責任があるという「社会モデル」が中心となっているそうです。呼び方を変えただけで問題は解決せず、問題があるのにぼやかすのは間違いだと指摘しました。

国連欧州本部はスイスのジュネーブにあるそうです。人権諸機関がそこに置かれているそうです。ジュネーブは物価が高く、節約のためにゆでたブロッコリーを持って行っていたそうです。

藤田さんがなぜ写真家なのかというと、人権のたたかいは長期戦であり、メンタルケアが大事だからだそうです。癒される風景の写真を多く撮っているそうです。

人権理事会はジュネーブにあり、47か国が理事国をしていて、その一つが日本なのだそうです。人権委員会は国連特別報告者を任命するそうです。国連特別報告者とは、独立した専門家がボランティアとして行なっており、経費のみ支給されて活動し、年に2、3国を調査しているそうです。「王冠に載せる宝石」と呼ばれているそうです。

ビジネスと人権に関する作業部会が訪日調査を行ない、企業内で人権が守られているかを調査したそうです。ジャニーズ問題だけでなく、サプライチェーンの人権侵害も調査し、マスコミでの性被害も調べたそうです。

こうした調査をする国連特別報告者は、「クリティカル・フレンド(批判する友人)」と呼ばれているそうです。耳の痛いことも言ってくれる友人ということです。

しかし、日本は指摘を受けると必ず反論するそうです。

人権条約機関は、政府調査書を審査し、それだけでは不十分なので市民団体からのレポートも見るそうです。

自由権規約日本報告書審査の第6回が2014年に行なわれましたが、その際に杉田水脈議員らが誹謗中傷を行なったそうです。

人権規約には個人通報制度があり、最高裁判所でも敗訴した場合、国連に問題を持って行くことが可能なのだそうです。人権条約機関に直接訴え、救済を求めることは、国内法の改善につながると述べました。しかし、日本はそれをことごとく認めておらず、地域人権気候を入れると先進国でこの制度が使えないのは日本だけだそうです。

日本にはこの制度がないので改善が進まず、たとえば選択的夫婦別姓については、最高裁で連続で敗訴し、国連機関は何度も勧告しているそうです。

水落議員への首相の回答は、「人権機関の勧告に法的拘束力はない」というものだったそうです。

勧告そのものには法的拘束力はありませんが、書いてある中身は守るべき責任があることだと指摘しました。メディアは政府の勧告に対する反論は報じるが、それが正しいかを報じることはしないと指摘しました。

勧告を無視し続けるとどうなるのかというと、たとえば、イギリス人が日本で犯罪を犯し、イギリスへ逃げ帰った場合、日本が容疑者の引き渡しを求めても、「人権侵害の恐れがある」と引き渡しを拒否されてしまうと指摘しました。

メアリー・ロビンソン人権高等弁務官は、「最も深刻な人権侵害は極度の貧困」と述べたそうです。

日本の生活保護基準引き下げに対して、3人の特別報告者が警告したそうです。社会保障には後退禁止の原則があるそうです。

日本の生活保護申請するための所持金の上限は、銀行預金と財布の中身を合わせて13万円だそうです。イギリスは100万円くらいだそうです。

「生理の貧困」は、イギリスの人権活動家がつくった言葉だそうです。生理日に学校に行けない生徒がいることは、教育の権利の侵害だと考えた人権活動家がつくったそうです。イギリスの学生のアンミカ・ジョージさんは、キャンペーンを立ち上げて政府に働きかけ、学校のトイレに生理用品を常備することが実現したそうです。

日本では、土曜日の午後、都庁の下でNPO「もやい」の炊き出しが行なわれています。うなぎ上りで利用者の人数が増えているそうです。しかし、東京都は場所を変えさせようとしおり、公的な助けは何もないそうです。

イギリスはフードバンクで、「あなたが食べるものと同じものを少し多めに買って寄付してください」と呼びかけているそうです。日本ではフードバンクの取り組みはフードロスの削減を強調していると指摘しました。

生存権、25条を実現するための裁判が行なわれています。

日本は生活保護法しか根拠法がないと思われていますが、しかし、もっと様々な権利があるはずだと述べました。

「Hunman Rights」で検索すると、女性の権利を認めさせるための様々なたたかいが出てくるそうです。

ロドリー教授は調査を行なうにあたって、「あなた自身の状況を変えさせることはできないかもしれないが、協力してくれたらのちの世代の状況を変えることができるかもしれない」と呼びかけたそうです。

「人権は我がまま」といわれることがありますが、独り占めは我がままであり、自分を弱者に追いやってい多数派がつくった障壁と取り除くことが人権だと述べました。

フセイン前国連人権高等弁務官は、「一日2万回の呼吸。人権とそういうもの。なくなりそうになってその重要さに気付く」と述べているそうです。

ハンガリーのブダペストは、冷戦期は人権が制限される状況だったそうです。たとえば移動の自由については、海外で行けるのは北朝鮮かキューバだったそうです。西側で唯一行けるオーストラリアですが、家族の中で一番下の子のパスポートが下りず、「人質」として残しておかなければならなかったそうです。お土産も没収されたそうです。

ここで、イギリスの国内人権機関がつくった動画が紹介されました。イギリスの5、6歳の子どもたちが「教育の権利とは?」、「表現の自由とは?」、「差別とは?」といった質問に答える動画なのですが、みな自分の言葉でしっかり考えて答えている様子でした。こうした子どもたちが大人になる社会では、放っておいたら埋もれてしまっていたことが表に出てくると述べました。

なぜこうしたことができるのかというと、イギリスでは子どもたちに過去の歴史を教え、自分たちが持っている権利も教え、全ての人が同じように権利を持っていることも教えるからだと述べました。

フィリピンの小学校でも子どもの権利について教えており、ヨーロッパだけではないと指摘しました。

人権教育の定義は、「人権実現のための知識と手段について学ぶ教育」とされていますが、しかし、日本の教育では、「人権尊重の精神の涵養を目的とする教育活動」であると定義し、思いやりなど精神面を強調しているそうです。行政もこのずれに気付き出しているそうです。

ジャニーズの被害者は、「被害だとわからなかった。わかったら逃げていた」と述べていたそうです。

一方、イギリスの高校生は、バイト先のマクドナルドでセクハラにあったことを訴えたそうです。人権について学習していたから、人権侵害だと認識できたということです。

人権の視点で見る力が必要だと指摘しました。たとえば病院のポスターで、老年の医師を若い女性の看護師がサポートしているというイラストが描かれていたら、なぜ女医ではないのかと疑問を述べるといったことです。これも日本に根強く残るジェンダー意識、ステレオタイプだと指摘しました。また、たとえばJALもANAも、ポスターのキャビンアテンダントは若い女性ばかりなのだそうです。

あとは、『武器としての国際人権』を読んでほしいと述べました。この本について、「自分には人権がある、尊厳があると気付いた」という感想が寄せられたそうです。本当の人権のメッセージを必要としている人がもっといると述べました。自分に何ができるか考えてみてほしい、アクションをとってみてほしいと呼びかけました。

 

続いて、質疑応答が行なわれました。

高齢者の人権宣言の議論については、議論は高まっていると聞いていると答えました。

小学校2年生の息子の親として何ができるか考えており、品川のユニセフハウスに息子を連れて行ってみたが、お友達にも知ってもらうために何ができるだろうかという質問がされました。藤田さんは、子どものための本を書いてほしいと言われていると述べました。子どもに伝えるためには、親がわかっていることも必要であり、まずは権利を伝えることがあると答えました。たとえば「義務教育」は、子どもに勉強する義務があるのではなく、子どもは権利の主体だということだと指摘しました。

中小業者として自分の未熟さを感じたが、選択議定書の問題、法的拘束性の問題を説明してほしいという要望がありました。藤田さんは、個人通報制度には選択議定書を批准する必要があると述べました。勧告は判決ではないので法的拘束力はないが、条約そのものには法的拘束力があるということだと説明しました。

 

以上で記念講演の報告を終わります。