2・11埼玉県民集会 | 労働組合ってなにするところ?

労働組合ってなにするところ?

2008年3月から2011年3月まで、労働組合専従として活動しました。
現在は現場に戻って医療労働者の端くれとして働きつつ、労働組合の活動も行なっています。

あまり知られていない労働組合の真の姿(!?)を伝えていきたいと思います。

2024年は、再生の年です。

不正にまみれた政治を刷新し、コロナ禍で疲弊した医療・介護現場を立て直し、社会保障削減や負担増を撤回させ、防衛費倍増ではなく国民生活を豊かにするために税金を使わせ、憲法改悪を阻止し、安心して働き続けられる職場をつくるため、行動し、声を上げることを提起します。そして、戦争・紛争が一日も早く終結し、避難している人々の生活が立て直されることを願います。

そして、能登半島大地震で被災された方々にお見舞い申し上げるとともに、一日も早く生活が立て直されるよう祈ります。

 

 

2月11日、「「建国記念の日」不承認 軍国主義思想の復活に反対し、思想と信教の自由を守る2.11埼玉県民集会」に参加しました。

以下、基調報告と記念講演の概要をまとめます。

 

基調報告は、埼玉県歴史教育者協議会の岩田彦太郎さんが行ないました。

第一に、2023年は関東大震災から100年であることから、その際に起こった朝鮮人虐殺の埼玉県内の事例について取り上げました。

寄居町の正樹院には、近隣の人が個人的につくった被害者のお墓があるそうです。

震災後、朝鮮人が井戸に毒を入れているなどのデマにより、朝鮮人狩りが起こり、多くの人が犠牲になったと述べました。加害者は一般の国民だったそうです。寄居町の被害者は、警察署に保護されるも、民衆に引きずり出されて殺害されたそうです。

こうしたことがなぜ起きたのかを調べるフィールドワークを行なっていると述べました。

片柳村の浄泉寺には、朝鮮人被害者の追悼碑があり、案内板もおかれているそうです。

関原正裕先生の『関東大震災 朝鮮人虐殺の真相』には、日清戦争に始まるアジア侵略の中で、朝鮮人や中国人を蔑視する考え方が広まっていたことが背景にあると書かれているそうです。

自警団は在郷軍人が中心で、自分の故郷を守る政治の行ないとして虐殺を行なったそうです。軍国主義が背景にあると指摘しました。在郷軍人は三・一独立運動を鎮圧した経験を持つ元軍人で、日本の占領に抵抗する朝鮮人たちを蔑視していたそうです。

熊谷市の熊谷寺にも朝鮮人の供養塔があるそうです。しかし、現熊谷市長は、来年から熊谷市が主体となる集会の持ち方は止めると発言したそうです。

本庄市では、本庄警察署跡地が朝鮮人が内部で殺されたことを伝える歴史民俗資料館として使用されていたそうですが、現在は中へ入れなくなっているそうです。

1974年、『かくされていた歴史 関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件』が発行されたそうです。これは、県を挙げて朝鮮人虐殺を記録したものだそうです。多くの証言が掲載され、市井の一般の人々が積極的に殺害に加担したことが記録されているそうです。

なかったことにさせないことが大事だと指摘しました。

本庄市の新しい博物館には、朝鮮人虐殺の資料は皆無だそうです。「なかったことにする」動きは着々と進んでおり、抵抗する必要があると指摘しました。

群馬県では、朝鮮人労働者慰霊碑が撤去されるということが起こりました。

歴史を伝える努力が求められており、なかったことにさせないために学ぶことが提起されました。2月23、24日は、「いのちと平和、民主主義を育む授業、学校づくり」という学習会が行なわれるそうです。

アジア蔑視は克服されたのかというと、ベトナム人実習生の駆け込み寺があり、実習生の実態は強制労働だそうです。また克服すべきことがあり、軍国主義は断ち切られていないと指摘しました。

第二に、「ジェンダー」、「性」をめぐる公立学校での状況が取り上げられました。

2016年、性的マイノリティのカミングアウトが行なわれたそうです。

公立学校では、制服をどうするかなど、多数派には問われずに済むことが問われるという、性的マイノリティの生徒にとっての生きづらさがあると指摘しました。

あるNPOの調査によると、パートナーシップを認める自治体は広がっているそうです。

今こそ日本国憲法をいかすべきであり、第13条の「すべて国民は個人として尊重される」、第12条の「不断の努力」に依拠すべきだと指摘しました。

その対極に軍国主義があると述べました。

「新しい戦前」にさせないために、それぞれの現場でできることをやっていきましょうと呼びかけました。

 

続いて、記念講演が行なわれました。

テーマは「新しい戦前にさせない~子どもの権利、子育て、ジェンダー平等」であり、講師は立教大学名誉教授の浅井春夫先生でした。

浅井先生は、最近パソコンを使いながらテレビをつけている毎日だそうですが、テレビに対して言いたいことがいっぱいあり、日本について改めて考え、やらなければならないことがあるという思いだと述べました。

包括的性教育は、人生の必須課題であり、子ども、若者だけでなく、成人や高齢者にも必要だと述べました。

包括的性教育推進法制定を目指す会が活動を開始しているそうですが、政権党の人たちは真っ向から反対しているということが、『性教育バッシングと統一教会の罠』という本に書かれているそうです。

そう遠くない総選挙の際には、アンケートを取りたいと考えているそうです。反対なら反対で、その理由を明らかにすべきだと述べました。

「新しい戦前にさせない」ということは、戦時体制になる前に止めるということであり、戦時体制ではメディアコントロール、歴史修正主義、教科書の改変、家父長制、ジェンダー不平等などが行なわれると指摘しました。

児童擁護施設は、戦争孤児の収容から始まったそうです。寡婦の様々な困難や、障害とともに生きることを余儀なくされる人々の困難は、戦争による貧困であり、それらに対して応急対策をする福祉制度がつくられたそうです。

戦争は二度と起こしてはならないという運動が起こり、歴史研究は『戦争孤児たちの戦後史』といういろいろな人に聴き取り調査をして書かれた記録につながったそうです。

沖縄では、市街地に海兵隊の基地があり、ある出版社の職員は「沖縄の孤児院で体験したことはコンクリートで固めて沖縄の海へ捨てたい」と述べたそうです。「一番悲しいこと、辛かったことは、履歴書を書く時、これだけ空白が多いのかと愕然とした」とも書かれているそうです。

2月11日は、建国記念日不承認の日だと述べました。

浅井先生が戦争というテーマを考えるきっかけは、育ての父が所有していた「ガス障害医療券」が死後に見つかったことだそうです。この医療券は国家公務員共済組合から発行されたもので、戦時中に毒ガスをつくっていた島で勤務していた人に対して出されたものだそうです。

『はじめての防衛白書』は、子どもたちにターゲットをしぼり、自衛官を募集するためのものだそうです。そこには、ウクライナは十分な防衛力を持っていなかったから攻め込まれたと書かれており、日本を守り抜くには防衛力が必要なのだと明記されているそうです。

また、6割近くの自治体が、自衛官募集のために子どもたちの情報を提供させているそうです。

『君たちはどう生きるか』という本が話題になりましたが、私たちはどう生きるか、生きたいかを子どもたちに語るべきだと述べました。そして、日本の国全体のことを考えて、必要な政治的教養を育むべきだとも述べました。

次に、アジア太平洋戦争とは何であったかが取り上げられました。

最も民間人がたくさん死ぬのが戦争だと指摘しました。

沖縄戦では、沖縄、北海道出身の死者が多かったそうです。遺骨も戻って来ない人が30万人いるそうです。

第一次、第二次世界大戦は、正規軍対正規軍の戦いでしたが、民間人も多く死んだそうです。

現在では、民間人をいかに殺すかの戦争になっており、85%が民間人の死者だそうです。軍人だけでなく、相手の経済力を落とし、兵力を補充させないために民間人を殺すというのが戦争の本質だと指摘しました。

次に、戦争体制とは何かが取り上げられました。

軍事政治では、非立憲主義に憲法を変えると指摘しました。軍事力増強サイクルにより、軍事費を5兆3,000億円となり、さらに多くしていこうとしているそうです。

朝鮮人労働者の碑の撤去は、排除の社会の表れの一つだと指摘しました。排除の社会では、朝鮮人差別、性的マイノリティ差別、トランスジェンダーバッシングなどが起こると述べました。

国民生活は、超貧困社会になると述べました。

お国のため、天皇のための国となり、国民の命より優先されるようになると述べました。

1955年に発行された『臨時軍事費』によると、日清戦争時には一般予算の約7割が戦車や弾などの直接軍事費となり、日露戦争時には80%超になったそうです。満州事変時には30%台でしたが、太平洋戦争末期には85.5%となったそうです。これでは福祉のためにお金が使われる訳がないと指摘しました。

『臨時軍事費』には、「今次の戦争のための直接的戦費は、現在(昭和28年平均)の物価にしておよそ89兆円、すなわち今日の予算規模で90年度分が9カ年たらずの戦争のために消費されたのである」と書かれているそうです。

国民のための政治の本気度がないと指摘しました。国民がどれだけ苦しんで税金を納めているかを理解しておらず、国民の苦しさを感じる姿勢が全く欠けていると述べました。

1945年8月、RAAというアメリカ兵向けの慰安所が250ヵ所つくられたそうです。これは、アメリカ大統領夫人の反対で廃止になったそうです。日本は一貫して人間の尊厳を大事にしていないと指摘しました。

人身売買を禁止する国際条約には、たとえ同意があってもその背景に力関係があれば認められないとされているそうです。

また、男性形成の諸要素として、否定形を通しての男性意識の形成があげられました。

たとえば、「女性のような弱い存在ではない」、「男なのに男をすきになるような存在ではない」といった、否定の形で男性意識が表現されるということです。こうした意識の形成はアメリカ軍の訓練でも行なわれており、その背景には男性の最も男らしい姿は兵士の姿だとしてきた歴史があると指摘しました。

次に、戦争文化の根源について語られました。

沖縄県のコザ孤児院は、収容はしますが劣悪な環境だったそうです。それは、アメリカ軍の基地をつくるのに孤児が邪魔だから孤児院がつくられたからであり、そうした状況が米軍統治下で放置されていたそうです。

戦争する国、しない国の分岐点として、本来福祉に使うためのお金を軍事へ注ぎ込むということがあげられました。少子化対策の原資を得るために国民医療費に上乗せしようとしている岸田政権がそうだと指摘されました。差別発言に対しても対処しないことも分岐点の一つにあげられました。

憲法の問題が大きな課題になると述べました。戦争は最も非福祉的行為であり、憲法こそ平和、人権、福祉の源泉だからです。憲法97条は、人権を勝ち取ってきた歴史の途上に今があるということを示していると述べました。

次に、包括的性教育とは何かについて語られました。

包括的性教育は、今の政治から転換していく力になるものであり、幼児期から性的発達の全ての局面で行なわれるものだと述べました。

暴力を許さない、極端は純潔を強制しないということがあげられました。

1953年の文部省「中・高生との性教育の根本方針」には、スポーツなどで勢力を発散させるという指導が書かれているそうです。

ジェンダーで変わる評価の違いとして、理路整然と話したら、女性は「理屈っぽいなぁ」と言われ、男性なら「説得力があるなぁ」と言われ、そんなことを許したら駄目だといじめをやめさせようとしたら、女性は「女のくせに」と言われ、男性は「毅然としている」と言われるということが指摘されました。

包括的性教育は、「性的に健康な(行動のできる)おとな像」として37項目を示しているそうです。自分のからだに感謝する、からだをよく知るということから始まり、性について、他の人を教育する、自ら学んだことが本物になっていくということなどがあるそうです。

この社会の中で、みんなが安心して生きられる社会をつくっていくために、最大の暴力は戦争であり、性の教育と歴史の教育を合わせて行なっていく必要があると指摘しました。

最後に、アウグスティヌスの「希望には、二人の娘がいる。一人は怒りであり、もう一人は勇気である」という言葉が紹介されました。怒りは、おかしいことはおかしいと主張することであり、勇気はそれぞれの場で連帯して行動することだと述べました。

 

以上で報告を終わります。