憲法講座 第4回「文化的に生きる権利~憲法25条の可能性」 | 労働組合ってなにするところ?

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2008年3月から2011年3月まで、労働組合専従として活動しました。
現在は現場に戻って医療労働者の端くれとして働きつつ、労働組合の活動も行なっています。

あまり知られていない労働組合の真の姿(!?)を伝えていきたいと思います。

2024年は、再生の年です。

不正にまみれた政治を刷新し、コロナ禍で疲弊した医療・介護現場を立て直し、社会保障削減や負担増を撤回させ、防衛費倍増ではなく国民生活を豊かにするために税金を使わせ、憲法改悪を阻止し、安心して働き続けられる職場をつくるため、行動し、声を上げることを提起します。そして、戦争・紛争が一日も早く終結し、避難している人々の生活が立て直されることを願います。

そして、能登半島大地震で被災された方々にお見舞い申し上げるとともに、一日も早く生活が立て直されるよう祈ります。

 

 

1月19日、岡山県労働者学習協会の憲法講座第4回「文化的に生きる権利~憲法25条の可能性」にオンライン参加しました。

講師は長久啓太先生でした。

以下、概要をまとめます。

(今回は残念ながらまとめをつくっている途中でノートを紛失してしまったため、レジュメから可能な範囲でまとめています)

 

はじめに、長久先生は『文化的に生きる権利』という中村美帆氏の著書を読んで、「憲法25条をこう深められるのか」と目からうろこが落ちたと語りました。

現在ではいのちのとりで裁判が全国各地でたたかわれており、古くは朝日訴訟の闘いなど、憲法25条をめぐる議論の歴史がありますが、しかし、憲法25条を「文化権」ととらえる議論は弱かったと述べました。

これから議論が深まるとして、講座が始まりました。

 

まず、憲法25条の確認を行ないました。

憲法25条第1項は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とされています。

第1項は国民の権利としての生活権、生存権を明記していると指摘しました。国民一人ひとりが人間らしく生きる権利を持つという宣言であり、その根底には憲法13条があると述べました。

資本主義社会では、労働者の生活問題が必然的に起き、常に失業、貧困と背中合わせで、社会現象として立ち現れていると指摘しました。そこから、「生活の個人責任」を脱却し、リスク回避をめざして運動がうまれ、社会制度が構築されてきたと述べました。

そして、ワイマール憲法で初めて「生存権」が規定されたそうです。

憲法25条には、「健康」、「文化的」、「最低限度」という3つの要請がありますが、「生存権」という言葉がこの3重の要請の意味を希薄化させてきたと指摘しました。つまり、「生存」という言葉には、生きているか、死んでいるかというニュアンスがあり、「最低限度」が強調され、「健康」と「文化的」が希薄になっていたということです。

憲法25条第2項は、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とあり、国の義務について定めています。

労働者には様々なリスクがあり、それに対応して国家による所得補償、国家による対人サービスの制度がつくられてきました。国民を貧困にさせないことが国家の義務であり、それに基づいて生活保護法、児童福祉法、老人福祉法などが制定されてきました。

長久さんは、パートナーがALSという難病にかかり、初めて憲法25条の威力を実感したそうです。障害者年金、重度障害者手当、難病に対する医療費の無料、介護保険自己分の軽減などの制度を活用することができたそうです。いざという時のセーフティネットも、憲法25条に基づいてつくられていると述べました。

世界と日本は、すべての人に人間らしい生活を保障する物的基盤を既に備えていると指摘しました。問題は、その富の分配が異常に偏っている状態にあることであり、再配分を機能させることが必要だと指摘しました。そのため、社会保障の水準向上・実現には、社会運動・労働運動のたたかいが欠かせないと述べました。

 

次に、憲法25条の成立過程における「文化」が取り上げられました。

GHQの草案には、25条の1項部分は存在しなかったそうです。GHQ案の24条に、「有らゆる生活範囲に於て法律は社会的福祉、自由、正義及民主主義の向上発展の為に立案せられるへし」とあったそうです。そして、GHQ案をもとに日本政府が作成した案では、上記の24条は消去されていたそうです。しかし、その後の日本政府とGHQのやり取りのなかで復活したとのことでした。

25条1項部分は、1946年6月に開始した憲法制定審議の国会において、日本側の発案によって織り込まれたそうです。

発案したのは社会党で、1945年にいち早く憲法草案を発表した憲法研究会の影響を受けてつくられた社会党憲法草案に、「国民は生存権を有す。其の老後の生活は国の保護を受く」という条文が入っていたそうです。憲法研究会の草案では、「国民は健康にして文化的水準の生活を営む権利を有す」という条文が入っていたそうです。

第90回帝国議会衆議院帝国憲法改正案委員会第1小委員会において、社会党は修正案として「すべて国民は健康で文化的水準に適する制定限度の生活を営む権利を有する」という条文を提案したそうです。社会党の鈴木義男議員は、政府の草案は経済生活の保護保障が不十分であることを指摘し、生存権を権利として明文化することを主張したそうです。

生存権の具体化にあたり「文化」という文言を用いたのは、社会党や憲法研究会の独創的な点であり、参考にしたドイツのワイマール憲法には「文化」という文言はないそうです。ワイマール憲法は151条で「経済生活の秩序は、すべての者に人間たるに値する生活を保障する目的をもつ正義の原則に適合しなければならない。この限界内で、個人の経済的自由は、確保されなければならない」とされているそうです。

なぜ「文化」という言葉が入ったのかというと、その背景には国家観の変化と社会権の登場があると指摘しました。

社会党の鈴木義男議員は法学者で、ワイマール憲法の生存権に関する論考を戦前から発表していたそうです。鈴木氏の『新憲法読本』の中で、「人間が動物を違ふところは、ただ働いて食べて寝て起きて死ぬといふのではなく、生活に必要なだけは働くが、できるだけ余裕を作つて、芸術を楽しむ、社交を楽しむ、読書や修養につとめる、つまりは文化を享受し、人格価値を高めるといふところにある。これも贅沢を云へば、きりがないが、最小限度の人らしい生活だけは保障されるといふのである」と書いているそうです。

鈴木氏は、ワイマール憲法151条の「人間に値する生活」という文言を、贅沢ではないが通常の文明の恩沢を享受し、芸術、社交、読書、修養といった人格価値を高められるような文化を享受できる生活として理解していたと指摘しました。鈴木氏のこうした思想の背景には、経済的な生活保障の必要性と人権意識の発展があり、そうした運動と議論の積み重ねが、戦後になって憲法での明文化という形になって25条1項に挿入されたと言ってよいと述べました。

もう一つの背景は、戦後直後の文化国家論という議論だそうです。

日本では敗戦直後の一時期において、戦後日本は文化国家を目指すべきという文化国家論が盛んに議論されていたそうです。その特徴は、平和、民主、人権と親和性が高い概念であること、教育・学問・芸術と重なる理解、特に教育への関心のなかで、創造を担うものとして文化を位置づける流れがあったことが指摘されました。

中村美帆氏の『文化的に生きる権利-文化政策研究からみた憲法25条の可能性』の中で、「日本憲法の付帯決議では、『憲法改正案は(中略)文化国家として国民の道義的水準を高揚し、進んで地球表面より一切の戦争を駆逐せんとする高遠な理想を表明したものである』と述べられている。(中略)そのような『文化国家』が目指したところは、今日日本国憲法の三大原則を言われる平和主義、国民主権、基本的人権の尊重とも重なる。当時の『文化国家』概念は、まさに戦後日本の理想を体現する国家像だったと言える」と書かれているそうです。

しかし、その後の議論では「文化」への注目や議論はあまりされてこなかったそうです。

 

文化権とは、第二次世界大戦後、国際社会で発展してきた新しい権利のひとつだそうです。

1948年に採択された世界人権宣言の27条1項では、「すべて人は、自由に社会の文化生活に参加し、芸術を鑑賞し、及び科学の進歩とその恩恵とにあずかる権利を有する」とされているそうです。

1966年に採択された国連人権規約A規約でも、15条で以下のような規定があるそうです。

「1 この規約の締約国は、すべての者の次の権利を認める。

 (a)文化的な生活に参加する権利

 (b)科学の進歩及びその利用による利益を享受する権利

 (c)自己の科学的、文化的又は芸術的作品により生ずる精神的及び物質的利益が保護されることを享受する権利

2 この規約の締約国が1の権利の完全な実現を達成するためにとる措置には、科学および文化の保存、発展及び普及に必要な措置を含む。

3 この規約の締約国は、科学研究及び創作活動に不可欠な自由を尊重することを約束する。

4 この規約の締約国は、科学および文化の分野における国際的な連絡および協力を奨励し及び発展させることによって得られる利益を認める。」

1968年には、ユネスコによって「人権としての文化的権利」に関する専門会議が開かれ、「人権としての文化的権利に関する声明」が発表されるなど、文化権の内容を深める議論は一定進んできたそうです。

ただ、実際に文化権を実現する法的枠組みについては、議論はあまり進んでこなかったそうです。

日本における文化政策の大きな転換は2001年に成立した「文化芸術振興基本法」であり、2013年に「文化芸術基本法」へ改正されたそうです。

その前文では、以下のように書かれているそうです。

「文化芸術を創造し享受し、文化的な環境の中で生きる喜びを見出すことは、人々の変わらない願いである・また、文化芸術は、人々の創造性をはぐくみ、その表現力を高めるとともに、人々の心のつながりや相互に理解し尊重し合う土壌を提供し、多様性を受け入れることができる心豊かな社会を形成するものであり、世界の平和に寄与するものである。更に、文化芸術は、それ自体が固有の意義と価値を有するとともに、それぞれの国やそれぞれの時代における国民共通のよりどころとして重要な意味を持ち、国際化が進展する中であって、自己認識の基点となり、文化的な伝統を尊重する心を育てるものである。

 我々は、このような文化芸術の役割が今後においても変わることなく、心豊かな活力ある社会の形成にとって極めて需要な意義を持ち続けると確信する。

 しかるに、現状をみるに、経済的に豊かさの中にありながら、文化芸術がその役割を果たすことができるような基盤の整備及び環境の形成は十分な状態にあるとはいえない。二十一世紀を迎えた今、文化芸術により生み出される様々な価値を生かして、これまで培われてきた伝統的な文化芸術を継承し、発展させるとともに、独創性のある新たな文化芸術の創造を促進することは、我々に課された緊要な課題となっている。

 このような事態に対処して、我が国の文化芸術の振興を図るためには、文化芸術の礎たる表現の自由の重要性を深く認識し、文化芸術活動を行う者の自主性を尊重することを旨としつつ、文化芸術を国民の身近なものとし、それを尊重し大切にするような包括的に施策を推進していくことが不可欠である。

 ここに、文化芸術に関する施策についての基本理念を明らかにしてその方向を示し、文化芸術に関する施策を総合的かつ計画的に推進するため、この法律を制定する。」

文化芸術基本法2条3項では、「文化芸術に関する施策の推進に当たっては、文化芸術を創造し、享受することが人々の生まれながらの権利であることに鑑み、国民がその年齢、障害の有無、経済的な状況又は居住する地域にかかわらず等しく、文化芸術を鑑賞し、これに参加し、又はこれを創造することができるような環境の整備が図られなくてはならない」とされており、文化の権利性が強調されていると指摘しました。

ただ、研究者からは、文化芸術基本法は文化権の社会権的な性格を認めていないという指摘もされているそうです。また、文化庁予算は現在1千億円台で、フランスの8分の1、韓国の12分の1と貧弱だそうです。

文化権の保障の参考として、劇作家の平田オリザ氏が主張している「芸術保険制度」が紹介されました。「芸術保険制度」とは、芸術保険加入者の芸術鑑賞の際の自己負担を健康保険制度に準じて2割とし、4,000円のチケットだと1200円に、3万円のオペラの特等席のチケットでも9000円になるというものだそうです。健康保険と同様に、企業はこの芸術保険に対して応分の負担をするとしているそうです。資本主義の社会においては、企業は、個人の健康の不安、精神の摩滅に対する保証、失業に対する不安について、つねに一定の責任を負うべき立場なのだから、労働者につねに活力をもって働いてもらうためには、芸術文化の振興に企業が力を注ぐのは当然だからだそうです。そして、芸術保険制度によって集まった資金は、その一部を若い芸術家を育てるための奨学金や芸術文化施設の充実、海外交流のための助成金などにもあてるとしているそうです。

平田氏は『新しい広場をつくる-市民芸術概論綱要』の中で、「いまこそ私たちは、芸術文化を享受する権利を守ることは、『生き死にの問題だ』と、力強く主張しなければならない。ここを主張しきれるかどうかが、現在の芸術文化行政の正念場となる。芸術を享受する際の地域間格差、あるいは所得格差における不公正の是正は、もはや急務となっている」、「私たちは、武力による威嚇や、その行使を放棄したことによって、より積極的に、憲法25条、26条を他国へと輸出することが出来るのではないか。私たちは武器を持たず、まさに丸腰で紛争地帯に出かけていき、医療活動を行い、水道を整備し、歌や絵画やダンスを教え、花を植え、更生施設を作り、学校を建てていくのだ。(中略)紛争の再発を防止し、これを恒久的に納めるには、人間の安全保障がどうしても必要だからだ」と書いているそうです。

 

中村美帆氏の『文化的に生きる権利-文化政策研究からみた憲法25条の可能性』の中で、「文化権は、いまなお論議が続いている発展途上の理念であると言える。その上で、これまでの内外の議論を参照した結果からは、現時点での文化権という理念の特徴として以下の6点を指摘できる。

 第1に『文化』の範囲については、芸術、科学技術、学術、教育、コミュニケーション、文化財や文化遺産と関係するものとしてとらえられる。美術館、博物館、図書館等の文化施設や、都市の景観や歴史的建造物のような環境も、『文化』の範疇に含まれる。第2に、文化がアイデンティティの問題と関わることも、文化の範囲を考えるにあたって留意すべき点である、第3に、鑑賞だけでなく、創造、参加、生活の中で文化の恩恵にあずかることの重要性等、文化に対する様々な関わり方が文化権の内容として含まれる。第4に、マジョリティの文化に対するマイノリティの文化など、複数性に注目して文化をとらえる発想も重要である。第5に、文化権を考えるにあたっては、民主主義と参加の重要性や、社会発展や平和との関連性も忘れてはならない。最後の第6点目として、『権利』を謳う以上、人権の尊重との両立も重要である」と書かれているそうです。

「文化的に生きたい」という主権者の「声」と「運動」が文化権を発展させる力であり、「健康で文化的な生活」、「人間の尊厳に値する生活」とは何かという問いをもち、議論することが必要であると指摘しました。そして、文化的な生活のためには「ゆとり」は欠かせない条件であり、人間らしい労働と生活の水準をあげ、とくに長時間労働をなくし、余暇の時間を増やすことが大事だと述べました。

R・イェーリング氏の『権利のための闘争』の中で、「健全な権利感覚は、劣悪な権利しか認められない状態に長い間耐えられるものではなく、鈍化し、萎縮し、歪められてしまう」と書かれているそうです。

自らの人権感覚を磨き、学ぶことで権利性を自覚し、仲間と一緒に人間らしい文化的な生活を実現する実践をしていくことが提起されました。

 

以上で報告を終わります。