三郷生活保護裁判第17回口頭弁論 前半 | 労働組合ってなにするところ?

労働組合ってなにするところ?

2008年3月から2011年3月まで、労働組合専従として活動しました。
現在は現場に戻って医療労働者の端くれとして働きつつ、労働組合の活動も行なっています。

あまり知られていない労働組合の真の姿(!?)を伝えていきたいと思います。

2月9日、三郷生活保護裁判の第17回口頭弁論を傍聴してきました。今回は傍聴席は45席で、整理券配布に並んだ人は46人だったためお一人抽選漏れになってしまいました。

以下、口頭弁論の内容の報告です。被告側の主尋問を前半、原告側の反対尋問と裁判官からの質問を後半と致します。


今回は引き続き証人調べが行なわれ、今回の証人は三郷市ケースワーカーのT氏でした。このT氏は、平成18年5月1日の原告に対する面接を担当し、申請時の新規調査を行ない、保護決定後の担当ケースワーカーとなった人物です。

なお、被告側の主尋問にはスラスラと答え、原告との主張が食い違う点に関してははっきり違うと答えていたので、裁判官の心証はどうだろうと思っていましたが、原告側の反対尋問については無言や質問内容と食い違う回答が多く、裁判官も厳しく質問をしていたことを最初に申し上げておきます。


被告側代理人による主尋問では、まず乙21号証である証人作成の陳述書を示し、証人が平成10年3月に社会福祉主事任用資格を取得し、平成10年4月から平成21年3月まで三郷市福祉課で勤めていたことを確認しました。面接の担当を開始したのは平成10年4月からであり、原告の面接を担当したのは平成18年5月であり、そのとき初めて原告と会ったと証言しました。面接の担当は順番で決めていたと述べました。

訴状には、平成17年9月に応対したとあり、「働いて何とかしないさい」と発言したとあることについては、そのようなことは一切していないと証言しました。


次に、被告側代理人は甲4号証の5、面接相談記録を示し、これが証人の作成したものであることを確認しました。その記録に、「前回相談時と状況的に変わりなし」と記載されているあることについて具体的に述べることを求めると、証人は前回面接時の平成17年11月9日と比較して、原告の求職活動、長男の収入、長女の援助について変わりが無かったということだと述べました。

面接の結果については、稼働能力の活用に積極的に取り組むことを再度助言したということでした。

平成17年11月の相談時に住居の高額家賃が問題になっていたことについては、県営住宅に申し込むよう助言したと答えました。(この点、反対尋問で突っ込まれていますので覚えておいてください!)

世帯主が「課税扱い」とあるのはどういうことかという問いに対しては、平成16年は収入があったので、平成17年中は課税対象世帯となっており、入院の食事費の減免がされるかどうか国保課に確認を取ったと説明しました。

平成17年中は課税扱いで、平成18年8月から変更と記録されていることについては、平成17年中は世帯主が入院中で収入がなく、減免の手続をしたことを確認し、平成18年8月から入院の食事費が減免になると伝えたと説明しました。

記録の一番上に、「面接内容(主訴)」に「生活費について」とあることの説明を求められると、相談の内容が入院の食事費のことだったので、「生活費」とタイトルをつけたと答えました。

申請の意思表示はあったのかという問いに対しては、なかったと答えました。

あなたの目から見てどうだったかという問いに対しては、話を聴く中で、本人の求職活動や長男の収入、長女の援助があり、生活が大変だという話はなかったと答えました。そして、仕事がなかなか見つからないということだったので、職安への相談などを助言したということでした。

借家の契約更新が6月末だが家賃を滞納していて更新できないということだが、立ち退きの話はあったかという問いに対しては、なかったと答えました。


平成18年6月に原告の生活保護申請が受理され、証人が原告の家を調査のために訪問しているが、それは担当ケースワーカーとしてかという問いに対しては、そうですと答えました。

証人が担当ケースワーカーになった理由については、順番で担当になったと答えました。

住居調査は生活保護開始決定に影響するのかという問いに対しては、そうですと答えました。

ここで、被告側代理人は乙10号証、調査結果報告書を示しました。そして、住居扶助について説明を求め、証人は当時は開始決定時に認定を行なっておらず、新規調査の時に家賃を滞納していて契約更新ができず、不動産業者から立ち退きの話が出ているという話があったと答えました。そこで、賃貸借証明書を渡し、家主に相談しるように話し、家賃額がその証明書で確認できれば「需要が発生」したことになり、住宅扶助が出ると説明したと述べました。

被告側代理人は乙4号証、家屋賃貸借証明書を示しました。証人は、この証明書には書く欄がたくさんあるので、原告には名前と家賃額だけ書くように指示したと述べました。

原告にはその説明は伝わっていたかという問いに対しては、その後、生活保護の開始決定の段階で何回か電話で催促したと述べました。(この点について、反対尋問で突っ込まれますので覚えておいてください!)

原告は証明書を受け取っていないし、指示もされていないと証言していることについては、確かに渡し、説明もしたと述べました。

証人の陳述書には、平成18年6月28日に新規訪問時に賃貸借証明書を渡し、家賃を滞納していても継続して住める場合があると説明したと書かれていることについては、そう説明しましたと答えました。

提出を催促しましたかという問いに対しては、しましたと答えました。

そのときに原告は何と言ったかという問いに対しては、不動産業者には証明書を持っていけないし、相談できないと述べたと証言しました。家主は遠方に住んでいるため、不動産業者が対応していたということでした。

それに対してはどうしたかという問いに対しては、他の方でも家賃を滞納していて相談しにくいという方はいたが、生活保護を受ければ家賃が保証されると説明し、家賃の確認ができれば住宅扶助が受けられると説明したと答えました。


平成18年7月3日に国立ガンセンター中央病院へ病状調査に行ったことについて、夫(故原告)が入院しているためで、この調査は生活保護開始決定に影響するのかという問いに対しては、はいと答えました。

主治医のK医師にどのような説明を受けたかという問いに対しては、2回目の骨髄移植を行なったが、定着の確率は低く、死亡する場合もあるという説明だったと述べました。

そのときの印象については、危ない状態だと感じたと述べました。

病院のS相談員への調査については、原告から医療費の相談があったかという質問をしたところ、なかったと答えたと述べました。また、生活保護の申請をしたのですかと確認されたと述べました。

その際、本人と面談したかという問いに対しては、面談したと答えました。そして、安心して治療に専念してくださいと伝えたと述べました。また、移植後で、不安そうな様子だったと答えました。


平成18年7月14日に生活保護開始が決定され、証人が引き続き担当となったが、その後はどのような業務があったのかという問いに対しては、生活全般の相談、自立に導くケースワーク業務であると答えました。

ここで、乙1号証、生活指導記録が示され、証人だ作成したものであることが確認されました。

その記録には、妻、長男来所とあるが、長男とも会ったのかという問いに対しては会ったと答えました。

妻が家賃滞納で来月退去を求められ、相談と記録されていることについては、不動産業者からのハガキを持って相談に来ており、そのハガキに平成18年8月31日までとあったと答えました。

ここで、甲9号証、不動産業者からのハガキが示されました。

証人の陳述書で、原告が退去しなければならないことに大変困っている様子だったとあるが、そこでどうしたのかという問いに対しては、ハガキに滞納分をまとめて払うようにとあったので、滞納があっても住み続けられないか相談してはどうかと話したと答えました。そして、賃貸借証明書の話もしたが、相談に行きにくいし、相談もしにくいと言うので、私の方から相談しましょうかと言ったと答えました。

甲9号証に不動産業者名と番号が手書きで書かれていることについては、原告から聞き取って証人が記入した不動産業者の名称と電話番号であると答えました。

なぜ電話番号を聞き取ったのかという問いに対しては、不動産業者に電話しようと思って聞き取ったが、原告が相談できない、もう駄目だと言っていたと述べました。

あなたの字かという問いに対しては、そうですと答えました。

継続して住める場合もあるので相談してはどうかという提案に対して原告はどうしたかという問いに対しては、不動産業者には行きにくいと答えたと述べました。

その次にどうすると話したかという問いに対しては、やり取りの中で、転宅費のお手伝いができると伝えたと述べました。(この辺り、重要です!)

原告の反応については、「出していただけるのですか」と確認したので、「大丈夫ですよ」と答えたと述べました。

安心した様子だったのかという問いに対しては、はいと答えました。

原告に、転居するしか選択肢はないと言ったかという問いに対しては、そのようなことは一切言っていないと答えました。

退去宣告書を出してもらうように指示したかという問いに対しては、していないと答えました。だが、賃貸借証明書の件で、このハガキだけでは住み続けられる可能性があるので、退去命令は出ているのですかと尋ねたと説明しました。

再び乙1号証、生活指導記録が示されました。

転居費用の話をしたとき、原告に葛飾区でなければならないという指示をしたかという問いに対しては、そのようなことは言っていないと答えました。

退去について、身内に相談して近くの物件を検討するように伝えたとあることについては、はいと答えました。

その日(平成18年7月31日)、同席した長男が精神的に支えていきたいと言ったということについては、はいと答えました。そして、夫の病気など、精神的な面で原告に負担があったので、あなたが支えてあげてくださいという話をし、長男は支えていきたいと述べていたと答えました。

この日は初めて生活保護費が支給された日だが、長男は福祉課に行っていないと証言しているがどうかという問いに対しては、確かに来ているし、記録していると答えました。


続いて乙3号証の1と2、生活指導記録が示されました。

1には、転居先として(地名聞き取れず)と流山を探したが、低額家賃では交通の便が悪く、周囲に何もないと記録があることについては、そこに転居することにはならなかったと述べました。

転居先は今後の就労を考慮して探すように伝えたかという問いに対しては、はいと答えました。そして、慌てて探しているようだったので、地理的な不便なところではなく、じっくり探すように伝えたと述べました。

葛飾区への転居を指導したことはないかという問いに対しては、はいと答えました。

原告が自由に選定できたのかという問いに対しては、はい、本人が探してきましたと答えました。

現在の住居も本人が探してきたのかという問いに対しては、はいと答えました。

同じ都内に身内がいるので安心と書かれていることについては、原告がそう述べたと答えました。

身内とは誰のことかという問いに対しては、長男が実家の方にいて、夫の弟もいたと答えて、身内で協力して見つけてきたようだったと答えました。

夫の弟と8月15日に面接し、柴又の住居を探してきたということだが、何か言っていたかという問いに対しては、金銭的な援助は難しいが、精神的な援助をすると言っていたと答えました。

柴又の住居はどうしたかという問いに対しては、住環境が悪くてやめ、別の住居の見積もりを持ってきたと答えました。そして、平成18年8月23日に、同じ葛飾区の東仲町に転居することになったと答えました。

乙3号証の2、8月23日の生活指導記録について、生活保護を受けずに自活したいということは誰た言ったのかという問いに対しては、最終的には原告が言ってきたと答えました。(ここ、重要です! 反対尋問で突っ込んでいます)

自活を示唆したのかという問いに対しては、示唆ではなく、今後の話をして、夫の病状が悪いと聞いていたので、これからの生活と考えた場合、入院の負担が大変なのでやむを得なく世帯分離をし、まずは生活保護ではなくて再出発に際して自分達の力でやってみて、もし大変であればまた葛飾区で生活保護を受ければいいと話したと答えました。そして、いつでも葛飾区で相談に行けると話した中で、自活の意思が示されたと答えました。

苦しければ葛飾区で生活保護を受ければいいと話したのは9月6日ではないかという問いに対しては、今後の生活について話す中で、8月23日にも話し合ったと答えました。


次に、乙7号証、9月6日の生活指導記録が示されました。

その日、自分達でやるだけやって、苦しかったら葛飾区へ相談できると話した時、原告は躊躇する様子があったかという問いに対しては、ありませんでしたと答えました。

原告は葛飾区へ相談しては駄目だといわれたと主張しているがという問いに対しては、そのようなことは言っていませんと答えました。

葛飾区に相談する時には当課からも葛飾区に連絡するとあることについては、本人から連絡がなかったので葛飾区には連絡していないが、夫が三郷市で生活保護を受けているので連絡が必要だったと答えました。

移管の通知は行なったのかという問いに対しては、自活なので転居の通知はしなかったと答えました。

国保の加入については、加入を勧めたと答えました。

原告は、国保加入を勧めることは生活保護をやめるということと同義だと主張しているという指摘については、国保に加入しないと医療費が10割負担になり、本人の不利益になるので加入するように伝えたと述べました。(国保保険料はどうやって払えばいいと思っていたのか、不思議です)

「三郷市生活保護支給細則」第4条の2に、被保護者の通知とあるが、なぜ通知しなかったのかという問いに対しては、自活であるため、移管の通知はしなかったと答えました。

原告は平成18年8月25日に転居したが、最初の家賃月額5万3000円と同額の敷金は払われたのかという問いに対しては、支払われたと答えました。

長男の陳述書に、9月上旬に転居費の領収書を証人に持って行き、その際に1ヶ月だけでも生活保護を受けられないかと言ったとあるが、そうしたことはあったかという問いに対しては、そうしたことは言われていない、相談はなかったと答えました。


被告側の主尋問は以上です。

ここで休憩があった後、原告側の反対尋問が行なわれましたが、それについては改めてまとめます。