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特許翻訳 A to Z

1992年5月から、フリーランスで特許翻訳者をしています。

6年ほど前に、明治時代に輸入されていたウイスキーラベルの謎を解く調査をしたことがありました。

猫印ウイスキーと、オーストラリア商標」から始まる連載で、経緯を示しています。

当時、オーストラリア特許庁とカナダ特許庁の商標検索を使用して、古い新聞記事や書籍なども併用しました。

 

現時点でのURL:
オーストラリア商標検索

カナダ商標検索

 

一方、戦前の日本とウイスキー【その2・全3回】によれば、猫印と一緒に「鹿印ウヰスキーローマルブレンド」とされるウイスキーが輸入されていた記録も残っています。

「ローマルブレンド」という呼称は、「ローヤルブレンド」の「ヤ」を「マ」と読み違えたのではないかと推察されますが、いずれにしろ鹿印も輸入されていたのは間違いなさそうです。

 

そして、スコッチウイスキーのラベルに鹿のマークは珍しくないことを踏まえた上で、明治時代に猫印と一緒に輸入された商品がスコッチであると断定できる資料は見当たらない旨が、Japanese Whisky Dictionaryというサイトで歴史を扱った詳細なコンテンツの中に示されています。

そこで・・・・

再び海外で商標を検索してみたところ、カナダ特許庁で興味深い資料が見つかりました。

キーワードには、「whisky」「stag」「scotch」の3つを掛け合わせています。

鹿を示す一般的なdeerではなく「stag」 を使ったのは、Googleの画像検索で出てくるスコッチラベルの鹿は、雄鹿ばかりだったことが理由です。

【資料1】

 

登録番号TMDA8162

1902年1月7登録
出願番号0484208
登録権利者:MacKENZIE BROTHERS
 Allness, Ross-Shire, Scotland, UNITED KINGDOM
現在の権利者:WHYTE & MACKAY DISTILLERS LIMITED
 Ravenseft House, 302-304 St. Vincent Street, Glasgow, Scotland, UNITED KINGDOM
 

The Dalmore distillery was built in Alness on the Cromarty Firth in 1839 by Alexander Matheson and leased out to a number of families over the years, but in 1867 Matheson awarded the lease to 24-year-old Andrew Mackenzie and his younger brother Charles.
(中略)
They also created mature whiskies that had been aged in Sherry casks. Using contacts built up by Alexander Matheson, they also developed export markets in Australia and the Far East.

水野仮訳:
1839年、Alexander Matheson によってCromarty湾沿いのAlnessにDalmore 蒸留所が建設され、長年にわたって多くの家族に貸し出された。1867年になると、Mathesonは24歳のAndrew Mackenzieと弟のCharlesにリース権を与えた。
(中略)。
彼らはシェリー樽で熟成させたウィスキーも製造していた。さらに、Alexander Mathesonが築いた人脈を使ってオーストラリアや極東への輸出市場も開拓した。

 

また、海外版のWhisky Magazine サイトには、次のような記述もあります。


【資料3】

The distillery was originally established in 1839 by the then landowner, Alexander Matheson, who had been a partner in the far eastern trading conglomerate Jardine Matheson, which made its early fortunes in the opium trade and the export of tea from China. 

水野仮訳:
この蒸留所は、1839年に当時の地主であったAlexander Mathesonによって設立された。彼は、アヘン貿易と中国からの茶の輸出で富を築いた極東貿易コングロマリットである Jardine Matheson のパートナーであった人物である。

 

さて。
猫印のときには、明治時代のお雇い外国人を集めた「Meiji-Portraits」というデータベースを使いました。
そして、横浜に拠点をおいた Gordon & Co.が、くだんのウイスキーを扱う唯一のエージェントになっていたらしいことを突き止めています。
その同じGordon & Co. の取引相手には、Mackenzie, Driscoll & Co.が含まれていました。


【資料4】

 

データベース上は「Mackcnzie」になっていますが、「Mackenzie」のOCR誤認識か誤記とみて間違いないでしょう。例えば下記に、Mackenzie Driscollが出てきます。

【資料5】

Scotsman Kenneth MacKenzie came to Jerez about 1842 and in either 1852 or 1860 established a shipping business. (中略)
MacKenzie was one of quite a few Sherry shippers who also had interests in Port, and he joined with one William Minchin Driscoll in 1870 to form the firm Mackenzie Driscoll in Oporto, becoming a private limited company in 1900. 

水野仮訳:
スコットランド人のKenneth MacKenzieは、1842年頃にJerez に来て、1852年または1860年に海運業を設立した。(中略)
MacKenzieは、ポートワインに興味を示した多数のシェリー酒荷主の一人でもあり、1870年にWilliam Minchin DriscollとともにOportoでMackenzie Driscollを設立し、1900年には非公開有限責任会社となった。
Jerez-Xeres-Sherry

 

Kenneth MacKenzieは、長崎のフランス領事館で初代の領事に就任した人として、開国の歴史でも名前があがる人物です。
上述した「お雇い外国人」のデータベースにも収録されていますので、説明の一部を抜粋します。

 

【資料6】

MacKenzie came to Nagasaki as a representative of Jardine, Matheson & Co. of Shanghai on January 9, 1859 when records show him arriving from Shanghai aboard the Egmont. Joining MacKenzie in September 1859 as a clerk for Jardine Matheson was the young Scotsman Thomas B. Glover. Prior to the construction of the foreign settlement, MacKenzie rented a Japanese house near Myogyoji Temple as his private residence.

水野仮訳:
MacKenzieは上海のJardine, Matheson & Co.の代表として、1859年1月9日に長崎にやってきた。記録によれば、上海からはEgmont号で来日したようである。1859年9月には、若きスコットランド人のThomas B. Glover.がJardine Mathesonの事務員としてMacKenzieに加わった。外国人居留地の建設に先立ち、MacKenzieは妙行寺付近の日本家屋を借りて私邸とした。
http://www.meiji-portraits.de/meiji_portraits_m.html#20090527093411937_1_2_2_69_1

 

ここまでに明らかになった事項をまとめると、次のとおりです。

カナダ特許庁で鹿印の商標の権利者であった Mackenzie Brothers (資料1)は、シェリー酒の樽でウイスキーを製造しています(資料2)。

シェリー酒を扱っていた Mackenzie Driscoll の創始者 Kenneth MacKenzie はスコットランド人で(資料5)、Jardine Matheson の代表者としての来日記録が残っています(資料6)。

一方、Jardine Matheson には、Alexander Matheson というパートナーがいました(資料3)。
Alexander Matheson は、Mackenzie Brothers による Dalmore distillery の創始者です(資料2,3)。


Mackenzie Driscoll の商品は、Gordon & Co. によって輸入されています(資料4)。


もっとも、このときの輸入品目がシェリー酒なのかウイスキーなのかは、定かではありません。
ただ、オーストラリアで発行された 1888年3月24日の新聞記事に、

Mackenzie and Co.'s Selected Sherrier.
Mackenzie, Driscoll and Co.'s Fine Old Ports.
Kenneth Mackenzie and Co.'s Fine Old Scotch Whiskey.

 

として、シェリー酒やポートワインとともに、Kenneth Mackenzie and Co. によるスコッチウイスキーの広告らしき記事が見られます。

シェリーとワイン、ウイスキーで取扱企業名が少しずつ異なりますが、Kenneth Mackenzie とスコッチウイスキーはつながりました。

【資料7】

 

そこでもう一度、「お雇い外国人」のデータベースをあたりました。
1902年~1906年まで、Mackenzie のスコッチウイスキーを Martin Bothers が単独で取り扱っていたようです。(Bothersは、たぶん Brothers の誤記ですね。)

【資料8】

 

以上、資料7と8まで含めると、明治30(1897)年の記録にある鹿印ウヰスキーがスコッチの可能性は、十分に考えられるのではないかと思います。
 

「こんにちは」という挨拶を、フランス語で bonjour と言います。「こんばんは」は bonsoirです。

どちらも挨拶としては一語だとはいえ、分解すると bon は「良い」を意味する形容詞、jour は「日」を意味する男性名詞の単数形、sour は「晩」を意味する男性名詞の単数形です。

 

フランス語の形容詞は、関係する名詞と文法上の性・数が同じになるため、女性名詞との組み合わせになるとbonbonne になりますが、joursoir に結合した bonの性・数は通常の語法どおりです。


一方、イタリア語で「こんにちは」はbuon giorno、「こんばんは」は buona sera

giornoは男性名詞の単数形で「日」、seraは女性名詞の単数形で「晩」。

「良い」という意味の形容詞buonoが後ろに続く名詞の性と数に一致して変化しているだけで、語としての構成はフランス語と同じですね。

 

英語でも、good morning/afternoongood eveningは、いずれも形容詞goodに単数名詞が続きます。

 

日本語の「こんにちは」が、今ここにある「日」、「こんばんは」が今ここにある「晩」だというのと似たような感覚で、「日」と「晩」がそのまま挨拶になっていますよね。

 

ところが・・・・

スペイン語で buenos díasbuenas nochesになると、なぜかdia(日)やnoche(晩)が複数形に。

朝と午後をあまり区別しない仏・伊とは違って午後のbuenas tardes もありますが、やはり複数形です。

名詞の性と数に応じて、ちゃんと形容詞も変化していますし。

 

フランス語やイタリア語と同じラテン語系の言語なのに、なぜスペイン語では複数?

 

この差がとても不思議で、先日スペイン語を話す友人に会ったときに単数で言うことはないのか確認したところ、buenos díasだけは bueno díaと単数で使われることもないわけではないようです。

ただ、ないわけではないというだけで普通は複数、そして残りについてはすべて常に複数で、単数形の表現を挨拶で使うことはないとのことでした。

 

挨拶は、そういうものとして「ひとまとまり」で覚えるため、普通、名詞の単複など考えないと思います。

 

でも、よくよく考えてみると、なぜスペイン語では「日」「晩」を複数にして挨拶をかわすようになったのか、理由を知りたくなりませんか(ならない?笑)。

 

ラテン系言語で、ラテン語それ自体に最も近いのがイタリア語、最も遠いのがフランス語だそうですから、ますます中間に位置するスペイン語が挨拶で複数形をとる理由が知りたい・・・・。

まずは、どこを調べると答えが出そうか?を突き止めるところからですね。

 

今年は日本各地で雨による被害が甚だしく、本当に心が痛みます。

 

こうした中、行政を含めて大人が生活の立て直しと維持に一杯いっぱいで、後回しにされがちなのが子どもへの対応です。

 

本当は、しっかり向き合ってあげたいと思いつつ目の前のことに忙殺され、心の中で子どもたちに謝っている人も多いでしょう。

誰が悪いわけでもない、でも、できない・・・・。

 

その「必要だとわかっているけれど、できない」部分をカバーしているのが、民間団体。

認定NPO法人カタリバも、こうした団体のひとつです。

 

もともと、真の意味で子どもたちに寄り添うことを目的に設立されていることもあり、東日本大震災や熊本地震のときも子どもたちを見守ってきましたが、今回も「子どもに何が起きているか」をきちんと把握して、必要なものを、必要なところに届けています。

 

ですが、被害の規模が規模だけに、資金面での課題も。

そこで現在カタリバでは、サポート募金という形で寄付をつのっています。

 

「西日本豪雨子どもサポート募金」へのご寄付をお願いします

 

【西日本豪雨】被災地の子ども支援活動レポート①通学困難となった生徒のためにスクールバスの運行を開始しました

 

子どもたちの課題や活動内容も上記のリンク先に説明されています。

 

ひとりでも多くの子どもたちに、1日でも早く支援の手をさしのべるために。

 

皆様のご協力を、よろしくお願いいたします。