6年ほど前に、明治時代に輸入されていたウイスキーラベルの謎を解く調査をしたことがありました。
「猫印ウイスキーと、オーストラリア商標」から始まる連載で、経緯を示しています。
当時、オーストラリア特許庁とカナダ特許庁の商標検索を使用して、古い新聞記事や書籍なども併用しました。
現時点でのURL:
オーストラリア商標検索
https://search.ipaustralia.gov.au/trademarks/search/quick
カナダ商標検索
https://www.ic.gc.ca/app/opic-cipo/trdmrks/srch/home?lang=eng
一方、戦前の日本とウイスキー【その2・全3回】によれば、猫印と一緒に「鹿印ウヰスキーローマルブレンド」とされるウイスキーが輸入されていた記録も残っています。
「ローマルブレンド」という呼称は、「ローヤルブレンド」の「ヤ」を「マ」と読み違えたのではないかと推察されますが、いずれにしろ鹿印も輸入されていたのは間違いなさそうです。
そして、スコッチウイスキーのラベルに鹿のマークは珍しくないことを踏まえた上で、明治時代に猫印と一緒に輸入された商品がスコッチであると断定できる資料は見当たらない旨が、Japanese Whisky Dictionaryというサイトで歴史を扱った詳細なコンテンツの中に示されています。
そこで・・・・
再び海外で商標を検索してみたところ、カナダ特許庁で興味深い資料が見つかりました。
キーワードには、「whisky」「stag」「scotch」の3つを掛け合わせています。
鹿を示す一般的なdeerではなく「stag」 を使ったのは、Googleの画像検索で出てくるスコッチラベルの鹿は、雄鹿ばかりだったことが理由です。
【資料1】
1902年1月7登録
出願番号0484208
登録権利者:MacKENZIE BROTHERS
Allness, Ross-Shire, Scotland, UNITED KINGDOM
現在の権利者:WHYTE & MACKAY DISTILLERS LIMITED
Ravenseft House, 302-304 St. Vincent Street, Glasgow, Scotland, UNITED KINGDOM
登録権利者としてMacKENZIE BROTHERSの名前がありますので、この名称をGoogle検索した結果、海外のウイスキー専門サイトに、「MACKENZIE BROTHERS HISTORY」として次のような情報が見つかりました。
【資料2】
| The Dalmore distillery was built in Alness on the Cromarty Firth in 1839 by Alexander Matheson and leased out to a number of families over the years, but in 1867 Matheson awarded the lease to 24-year-old Andrew Mackenzie and his younger brother Charles. (中略) They also created mature whiskies that had been aged in Sherry casks. Using contacts built up by Alexander Matheson, they also developed export markets in Australia and the Far East. 水野仮訳: 1839年、Alexander Matheson によってCromarty湾沿いのAlnessにDalmore 蒸留所が建設され、長年にわたって多くの家族に貸し出された。1867年になると、Mathesonは24歳のAndrew Mackenzieと弟のCharlesにリース権を与えた。 (中略)。 彼らはシェリー樽で熟成させたウィスキーも製造していた。さらに、Alexander Mathesonが築いた人脈を使ってオーストラリアや極東への輸出市場も開拓した。 https://scotchwhisky.com/whiskypedia/3230/mackenzie-brothers/ |
また、海外版のWhisky Magazine サイトには、次のような記述もあります。
【資料3】
| The distillery was originally established in 1839 by the then landowner, Alexander Matheson, who had been a partner in the far eastern trading conglomerate Jardine Matheson, which made its early fortunes in the opium trade and the export of tea from China. 水野仮訳: この蒸留所は、1839年に当時の地主であったAlexander Mathesonによって設立された。彼は、アヘン貿易と中国からの茶の輸出で富を築いた極東貿易コングロマリットである Jardine Matheson のパートナーであった人物である。 https://scotchwhisky.com/whiskypedia/3230/mackenzie-brothers/ |
さて。
猫印のときには、明治時代のお雇い外国人を集めた「Meiji-Portraits」というデータベースを使いました。
そして、横浜に拠点をおいた Gordon & Co.が、くだんのウイスキーを扱う唯一のエージェントになっていたらしいことを突き止めています。
その同じGordon & Co. の取引相手には、Mackenzie, Driscoll & Co.が含まれていました。
【資料4】
データベース上は「Mackcnzie」になっていますが、「Mackenzie」のOCR誤認識か誤記とみて間違いないでしょう。例えば下記に、Mackenzie Driscollが出てきます。
【資料5】
| Scotsman Kenneth MacKenzie came to Jerez about 1842 and in either 1852 or 1860 established a shipping business. (中略) MacKenzie was one of quite a few Sherry shippers who also had interests in Port, and he joined with one William Minchin Driscoll in 1870 to form the firm Mackenzie Driscoll in Oporto, becoming a private limited company in 1900. 水野仮訳: スコットランド人のKenneth MacKenzieは、1842年頃にJerez に来て、1852年または1860年に海運業を設立した。(中略) MacKenzieは、ポートワインに興味を示した多数のシェリー酒荷主の一人でもあり、1870年にWilliam Minchin DriscollとともにOportoでMackenzie Driscollを設立し、1900年には非公開有限責任会社となった。 Jerez-Xeres-Sherry |
Kenneth MacKenzieは、長崎のフランス領事館で初代の領事に就任した人として、開国の歴史でも名前があがる人物です。
上述した「お雇い外国人」のデータベースにも収録されていますので、説明の一部を抜粋します。
【資料6】
| MacKenzie came to Nagasaki as a representative of Jardine, Matheson & Co. of Shanghai on January 9, 1859 when records show him arriving from Shanghai aboard the Egmont. Joining MacKenzie in September 1859 as a clerk for Jardine Matheson was the young Scotsman Thomas B. Glover. Prior to the construction of the foreign settlement, MacKenzie rented a Japanese house near Myogyoji Temple as his private residence. 水野仮訳: MacKenzieは上海のJardine, Matheson & Co.の代表として、1859年1月9日に長崎にやってきた。記録によれば、上海からはEgmont号で来日したようである。1859年9月には、若きスコットランド人のThomas B. Glover.がJardine Mathesonの事務員としてMacKenzieに加わった。外国人居留地の建設に先立ち、MacKenzieは妙行寺付近の日本家屋を借りて私邸とした。 http://www.meiji-portraits.de/meiji_portraits_m.html#20090527093411937_1_2_2_69_1 |
ここまでに明らかになった事項をまとめると、次のとおりです。
カナダ特許庁で鹿印の商標の権利者であった Mackenzie Brothers (資料1)は、シェリー酒の樽でウイスキーを製造しています(資料2)。
シェリー酒を扱っていた Mackenzie Driscoll の創始者 Kenneth MacKenzie はスコットランド人で(資料5)、Jardine Matheson の代表者としての来日記録が残っています(資料6)。
一方、Jardine Matheson には、Alexander Matheson というパートナーがいました(資料3)。
Alexander Matheson は、Mackenzie Brothers による Dalmore distillery の創始者です(資料2,3)。
Mackenzie Driscoll の商品は、Gordon & Co. によって輸入されています(資料4)。
もっとも、このときの輸入品目がシェリー酒なのかウイスキーなのかは、定かではありません。
ただ、オーストラリアで発行された 1888年3月24日の新聞記事に、
Mackenzie and Co.'s Selected Sherrier.
Mackenzie, Driscoll and Co.'s Fine Old Ports.
Kenneth Mackenzie and Co.'s Fine Old Scotch Whiskey.
として、シェリー酒やポートワインとともに、Kenneth Mackenzie and Co. によるスコッチウイスキーの広告らしき記事が見られます。
シェリーとワイン、ウイスキーで取扱企業名が少しずつ異なりますが、Kenneth Mackenzie とスコッチウイスキーはつながりました。
【資料7】
そこでもう一度、「お雇い外国人」のデータベースをあたりました。
1902年~1906年まで、Mackenzie のスコッチウイスキーを Martin Bothers が単独で取り扱っていたようです。(Bothersは、たぶん Brothers の誤記ですね。)
【資料8】

http://www.meiji-portraits.de/meiji_firms_m.html
以上、資料7と8まで含めると、明治30(1897)年の記録にある鹿印ウヰスキーがスコッチの可能性は、十分に考えられるのではないかと思います。




