「できることが増えて、よかったね」の連鎖 | 特許翻訳 A to Z

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1992年5月から、フリーランスで特許翻訳者をしています。

 子どもが学校の定期テストなどで思ったような点数を取れず、落ち込んで帰宅することは、どこの家庭でもよくある光景でしょう。そういうとき、2児の母親である私は、決まって同じように声をかけ続けました。

 

 「できることがまたひとつ増えて、よかったね」

 

 小テストでも模擬試験や定期試験でも、とにかく子どもが間違えたと話してきたときは例外なく、「できることが増えて、よかったね」と言うのです。できていないことに対する指摘は、一切していません。間違えようと思って意図的に間違えたわけではないため、わざわざ言われなくても、本人がいちばん分かっているはずです。分かっていることを指摘されるのは、大人でも苦しいものでしょう。だから、たとえ全く勉強をしなかった結果だとしても、そのことには言及せず、

 

間違えた問題は、これからできるようになる問題

 

と、受け止め方を変えています。

 

 こんなの単なる言葉遊びにすぎないと言う人も、いるかもしれません。でも、やがて子どものほうが慣れ、今日はこういう問題が出たといった説明とともに、「ここ、間違えた。これでまた、できるようになることが増える」と自分から言うようになりました。

 

 なにより、「できることが増える」材料ですから、やらされ感を抱くこともなく自主的に勉強します。すると、成績があがって自信がつき、好循環が生まれます。何事も、こういう無理のない自主性こそ、重要だろうと思うのです。

 

 加えて、子どもたちが高校を卒業するまで、学校の定期テストの期間には毎回必ず勉強につき合いました。娘は歴史も理科も英語もA3用紙に絵を描いて覚えるタイプで、試験期間中はダイニングテーブルが図工室のようになり、息子は覚えたい内容をパソコンで活字化して一気に丸暗記するタイプ。それぞれに勉強方法は異なりますが、どちらにも同じように寄り添い、行き詰まったら、視点や発想を変えるヒントだけを出しています。

 

 もともと親子の会話を大切にしていたことが功を奏したのか、2人ともいわゆる反抗期はなく、特に息子は帰宅すると機関銃のように学校での出来事を報告してくれました。まるでラジオの実況中継さながらで、勉強や友達のことはもとより、先生の恋愛話まで筒抜けです。そんな子どもたちに、ひたすら、プラスの視点を刷り込んだのです。

 

 こうして「できることが増えて、よかったね」を徹底して言い続けた結果、息子が大学1年生になる頃には、いつのまにか同じことを同級生や下級生に言うようになっていました。

 

 卒業した高校に遊びに行って、同じ大学を受験したがっている後輩の相談にのるとき。

 同じ大学で、同級生がへこんでいるとき。

 いろいろな場面で、さまざまにアレンジして、使っているようです。

 

 すでに社会人数年目の娘以上に、息子は幼い頃から現在までずっと日々の出来事を私に報告するのが日課で、それは大学生になっても同じでした。こうした報告の中に、ちらほら混じってくるのです。

 

 ほかには、「それって、何が問題?」も、わりと使うようです。相手にとっての悩みだったり問題だったりすることに対して、いったい何をどう問題「だと感じているのか」説明してもらい、それを長所や利点に「変換」するそうです。

 

間違えた試験問題は、これからできるようになる試験問題

 

と、基本は同じですね。

 

 息子から友人へ、そしてその友人から私の知らない誰かへと、「できることが増えて、よかったね」が伝わっていくとしたら、すてきなことだと思うのです。

 

 話は変わりますが、私は、特許出願用の書類を訳す翻訳者です。そして、翻訳者という職業は、毎日が勉強の連続です。いかに「~すべき」を排除し、学びの自主性を保つかを考えるのも、ある意味で仕事のうちだと言えるでしょう。本来できる「べき」なのに、できていないというマイナス意識から取り組むのと、今はできていなくてもこれからできるようになる材料だというプラス意識から取り組むのでは、結果が大きく変わるように思います。

 

 たとえば若干進歩したときに、「まだまだ足りない」と感じるか、「すでに、これだけできるようになった」と感じるか。どちらが、自然に「もっとやろう」という気になりやすいかは、言うまでもないでしょう。

 

 翻訳者になると決めて2週間でフリーの特許翻訳者になった当初から、『「ない」ものを求めるより「ある」ものを活かす工夫を』というのが、私のポリシーでした。ソフトウェアにしろ、人間にしろ翻訳会社にしろ、何かの欠点や問題を指摘したり、何かの不足に不満をあげたりすることは、簡単です。でも、「ない」ばかり見ていても、何も生まれないと思いませんか。欠点があるソフトなら、使いにくいと嘆くより、「新しい使い道が増えて、よかったね」と言ってあげられるような使い方を考えるほうがずっといい。人間も、同じことだと思うのです。

 

 できることが増えて、よかったね。

 

 こんな視点の連鎖が生まれるたらよいなと思う、今日このごろです。

 

※本記事は、2016年2月の「できることが増えて、よかったね」と2017年1月の「続・できることが増えて、よかったね」を1本にまとめて整え直した「リメイク版」です。