配慮と思いやり | 特許翻訳 A to Z

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1992年5月から、フリーランスで特許翻訳者をしています。

3代目「特許翻訳の世界」 > 通訳翻訳ジャーナル連載「翻訳さんぽみち」 
 > 「配慮と思いやり」-2000年2月号

復刻シリーズです。

【2017年の目線から】
この記事は、実は復刻させずに、そのままお蔵入りにするつもりでした。
ある意味で「あたりまえの」ことしか言っていませんので、現代の翻訳者にとって、とりたてて新しい・有意な情報が含まれているとも思えないからです。

ところが、これの翌月号を復刻させるにあたって、1行だけここにある話題に触れられていて、前号がないと話がわかりにくい。
このため、該当部分を意味不明にしないことだけを目的に、拾い出してきたものです。



※小見出しは、『通訳翻訳ジャーナル』での掲載時に編集部で付けて下さったものをそのまま使います。
 

白昼にヘッドライトを
点灯するということ


薄曇り空だった数日前の午前9時、いつものように主人の運転する車で保育園に向かっていると、対向車線のトラックがこちらに向かってヘッドライトを点滅させました。いわゆるパッシングです。御存知の方も多いと思いますが、これは相手の車のドライバーに何かを伝えたり挨拶をしたりするときによく見られる行為です。その場の状況から判断して、トラックの運転手がパッシングをしたのは「君たちライト消し忘れているよ」と伝えるためであったのは明らかでした。

でも、私たちはヘッドライトを消し忘れていたのではなく、意図的に灯けていたのです。こちらが見えているということと相手から見えるということは別だからです。私が住んでいる地域は、タクシーの運転手ですら人によっては嫌うほど一方通行と枝道が多く、見通しの悪い交差点もたくさんあります。こちらがライトを灯けているかいないかで、歩行者の安全を左右することも全くないとは言えないと思うからです。

よほど急な飛び出しでもない限り、ドライバーが歩行者に気付いた次の瞬間にその歩行者が何メートルも進んで車と衝突するということはほとんどありません。ところが、歩行者が「あっ」と思った次の瞬間、車の位置は大きく変わります。このため、できるだけ早く歩行者に車の存在を知らせるのも事故を防ぐ上では重要なことだと考えています。

特に日没前の空が白い時間帯や曇りの日は、最も運転しにくく事故が多いと言われています。欧米の車には安全対策として常時点灯ヘッドライトが装備されていると聞いたことがありますが、日本の純国産車にはこのようなライトは見られません。欧米モデルにのみ常時点灯ヘッドライトを装備し、日本仕様ではわざわざこれを外している外国自動車メーカーすら存在するそうです。
つまり、日本ではドライバーが意図的にスイッチを入れない限り、薄曇り程度の光量でヘッドライトが点灯することはほとんどないのです。それならば、朝や昼であっても状況に応じて点灯するのは車に乗る側のマナーではないかとも思います。
 

チェッカーの作業負担を
少しでも減らす方法

いきなり車の話から始めてしまいましたが、今回のテーマは配慮と思いやりです。実は、「こちらが見えているということと、相手から見えるということは別」というのは翻訳の現場にも当てはまります。
その1つがチェッカーに対する配慮です。たとえば、辞書や専門書で確実な裏付けを取った用語と、あまり自信のない怪しい用語があるとします。訳した本人にはどれが確実な定訳語でどれがそうでないのか分かりますが、チェッカーにも同じことが分かるとは限りません。

訳注として定訳不明語のリストでも添付されていれば、チェックする方もそのつもりでみていきます。でも、何もコメントされていなければ、「用語はすべて正しい」という前提で作業をすることも珍しくないのですね。
このような場合、途中で明らかな誤訳と思われる用語が出てくると、その訳文全体が信用できなくなります。最初から全部疑ってかかって調べ直すということにもなりかねないのです。

エンドユーザーから直接依頼を受ける仕事はともかくとして、翻訳会社を経由している場合、チェッカーが全員あらゆる分野を熟知しているわけではありません。チェッカーも人間ですから、知らない分野や用語に遭遇することも十分あり得ます。自信のない箇所や用語、何らかの根拠があって何らかの判断をした場合など、別紙に明記しておいてもらうだけで作業負荷がずいぶんと軽くなるでしょう。
私の場合、チェッカーの作業負担を少しでも減らすにはどうすればよいかということを、常に考えています。自分が分かっているからといって、相手にも同じことが分かるとは限らない。ときには、こちらの判断を意図的に相手に伝えるという行為も必要なのではないでしょうか。
 

相手の信頼を得ることを
第一に考え作業を

相手に伝達しておくほうがよいのは、訳文に関する情報だけではありません。仕事が詰まっている場合に、「今は忙しい」ということを伝えるのも立派な配慮です。
特に経験が浅いうちは、依頼を断ると以後の仕事がもらえないのではないかという一種の恐怖心から、無理をして仕事を詰めすぎる傾向があるようですが、実際には多少無理をしてでも受ける方がよいのはせいぜい最初の数回程度でしょう。

最初の数回は、徹夜仕事になろうが調査に多額の出費をしようが、とにかく相手の信頼を得ることを第一に考えるほうがよいこともあります(常にそうだというわけではありません)。でも、ある程度の信頼を得た後は、忙しい時には正直に伝えて断る方がお互いのためということのほうが多いと思います。

私は発注側にもいたことがあるので、そのときの経験から言うと、「あの翻訳者は仕事が丁寧で品質も良い」と思った翻訳者に一度や二度断られたからといって、次にまた仕事の需要が発生すれば同じ人にコンタクトをとります。
品質の良い人ほど忙しいというのは業界の常ですし、多少断られたくらいで以後の仕事を出さなくなるということなど普通はありません。断ることイコール継続的な取引の放棄というような思いこみは、翻訳者側の取越し苦労にすぎないことが多いのです。それにもかかわらず、実際にはこのような思いこみに振り回されて苦労をしている翻訳者は珍しくありません。

でも、よく考えてみてください。発注前の打診時に断ってもらえれば他の翻訳者を探すこともできますが、一度は受けておいて後になって返されたり、あるいは一応期日を守って納品しても仕上がりを見ると粗い訳文だったりすると、フォローのしようがありません。特段の事情がある場合を除いて、忙しいときにはそのように伝えて断るのはお互いのために必要なことだと思います。中途半端に仕事を受けすぎるよりは、多少数を減らしてでも丁寧な作業をする方が、長い目で見たメリットは大きいのではないでしょうか。

 


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