どこにいても どこかに隠れてても どこまでも 長く・・・ -5ページ目

クマの季節です!


      寝不足な日々が続いて、周りの友達もみんな、そうで、
         みんな、目の下にクマを作っていた。




         「みんな、クマの季節だね~」
         
         なんて言って、笑っていたけど、



  クマは、疲労によって、目の下の血液の循環が悪くなるのが原因です。
 

解決方法は、蒸タオルと冷たいタオルを当てると、血の流れがスムーズになります。あと、少し運動とかして、体全体を暖めるようにするのが必要のようです。でも、最近はレーザー治療で、取れるらしい。

                 *

         師走なので、クマには注意してください。


試験終了!!!!!



       今日、今やっと、期末試験が終わりました!


 今回は、今までにないほどの”だらけくせ”が、学期中についてしまい、
  直前にマッハで、全てを済ませてました。本当にすみません・・…

 でも、3時間睡眠のわたしなのに、今夜は、GYMで、運動するつもりです。

   甘いもの、カロリーあるもの、たくさん、ここ数日食べていたので、
   日本帰国のためにも、自分のために、減量が必要なのです。トホホ。
  

         そういう訳で、テストが終わっても、
       荷造り、減量、友達付き合い、買い物などして、
              走り回りまーす!


                  * 


        ちなみに、金曜に、日本に帰れるのが嬉しくて、
ブラジルのT-shritをずっと着ている・・…なぜなら、VARIGで、帰るのです!


loveletter





                 女 男
                 は は
                 最 最
                 後 初
                 の の
                 恋 恋
                 を を
                 探 探
                 す す


脳NO脳


* 男の脳は、ワッフル。
   はちみつを上からかけると
   一つ一つの穴に 
   はまって 染み込んでこんでゆく。 


よって 一つのことしか 出来ない。


* 女の脳は スパゲッテイ。
   一本一本のパスタが 絡まり合っているけど
   一本のパスタは パスタのまんま。

よって 色々なことが 同時に 絡まりあって 考えられている。





すし、食いNE!!!!!

わたしは、経験が全てだ!
と思い込んでいた時期があった。
主に、クリスチャンになる前だけど… 

例えば、痛いものを痛いと感じなければ、
なにも、語る資格さえないのだと思っていた。

だから、年上の人と付き合ってみたり、プー太郎さんみたいなのと話したりしていた。東京のど真ん中を、ベトナムの民族衣装で、歩いてみたり、苦手な運転も克服してみたり、一人で南米の旅に出てみたり。。。している。


だけど、最近になって、この「刺激求む好奇心」が、恋愛にはなくなった。
多分、色々な人を通して,色々なものを見、感じ、経験してきた今だから…だろう。(まだ23だけど・・・)


「自分を守る」
ということを、ある友達から教わった。

例えば、わたしがいつもいつも、お寿司を食べていたら、お寿司の良さも、一番上等な大トロの良さも、分からなくなってしまうだろう。だから、本物の自分の大トロが来るまで、自分の感覚を鈍らせないように「待つ」のである。
そして、その希望を持つ、自分自身も守り抜くのである。

ーーーそんなことを、友達から、学びました。
    そして、大きな恋を一つ、終わらせたこのわたしは、
    ”That's Ture.”と同意することによって、清められるのです。






気持ちの缶詰。

「気持ちの缶詰がある」とする。



男は、気持ちの缶詰を、一つの恋ごとに、
どんどん、積み重ねていく。



女は、一つの缶詰を、包み込んでいく。


     ーーーある電話での、友達の哲学。

Driving

                運転は好きです。
                でも、苦手です。

このココロは、どんなにときが経っても、変わらないものだと思います。

                   *

今年の8月、アメリカ運転歴3年だった、わたしが事故りました。
しかも、Freewayで変な車にからまれて、よけようとしたら、自爆してしまったのです。それから、全心身打撲(T_T;)まだ、カイロプラクテイックに通っています。(まぁ、この話は、また今度にしましょう・・…)

                   *

今まで、一番、遠くまで運転したのが、California・SanDiegoから、ArizonaのTucsonまでです。7時間、一人で、砂漠を走りました。ある意味、自分自身への挑戦だったのです。(この話も、今度Odessayに書きます)

今。


これ、今年のわたしの誕生日。
11月11日のことでした。

学校の友達たちが、体育館で、SurprisePartyを開いてくれたのだけど、
23歳だというのに、こんな子供の冠、かぶされました。


今、ほとんどのアメリカの大学は、全国的に期末テスト期間です。

そして、わたしも明日、BIGなのが、あります!

勉強から逃げてこんなのを、綴っているのだけど・・・そして、今週の金曜には、日本に一ヶ月間、帰国してます。わたしにとって、一年半ぶりの日本です。

Seek the kingdom of God & His righteousness

わたしは今、クリスチャンになって、2年と半年が経とうとしていて、クリスチャンになったのは、20の時でした。


わたしがいつ、キリスト教っていうのを知ったか、というと、
“このアメリカに来てから、”
というわけでは実はなくて、小学校一年生のときなんですよ。
ていうは、日本で小学校から高校まで、一緒になっているクリスチャン系の学校に通っていたんです。でも、なんで、そんな学校に通っていたのか、というのは、「別に親がクリスチャンだった」という訳でもなくて、親は、ごく普通の日本の典型的な仏教徒みたいな感じで、ただ親は、わたしがいじめられないようにとか、勉強の環境とかを考えて、そういう私立の学校に通わせていただけだったのね。わたしの行っていたその学校は、毎朝礼拝とかもあって、そうして聞く神様の話っていうのは、小学生のわたしには、とても楽しいもので、自然に神様いるんだーって、思っていたのね。だけど結局、わたしの生活っていうのは、学校ではそういう神様の話聞いているけど、家に帰ったら、まったく違う話を聞かさせるでしょ?そういうので、わたしはConfuseしてしまって、わたしは中学とかに上がる頃、反抗期、思春期みたいなのと同時に、神様を信じるのを辞めてしまったのね。

中学時代のわたしは、中学生ながらのギャルをしていたんですね。高校に入っても、礼拝なんて嫌いで、いつも寝るとか英単語を覚えたりする時間でした。そんな悪い中高生時代を送っていたのだけど、そんな流行り物にスルドイ、なにかと派手目なわたしなのに、すごく大きなコンプレックスを、心の中に抱えていたんです。それは、日本で小学校から高校まで、ずっと同じ学校で、同じ友達たちと過ごしてきて、なんだか、そういう小さい世界に閉じこもっているような自分が、嫌だったの。なんか失敗してでもいいから、自分で自分の人生っていうのを、歩いてみたかったのね。確かに、わたしの両親が、わたしにそれまで備えていてくれた道ってありがたいんだけど、自分で掴んだものじゃないと、「これなんだ」って、納得いくことができなかったんだと思うのね。だから、本当は、日本の大学も推薦で行けたんだけど、そんな人の作った道を過ごしていく人生って、自分は許せなかったのね。それで、アメリカ留学っていうのを決意したし、アメリカに来る前から、ただ学校に行くってだけじゃなくて、もっともっと、ほかのたくさんの場所に行って、色々な違った世界を見てみたいって、野望があったのね。

そんなわたしが試してみたことのなかで、わたしのアメリカ生活が一年過ぎて、ちょっと英語力もついてきたかな?というとき、思い切って、初めての一人旅を計画したんです。10日間、メキシコ。わたしがクリスチャンになる一年前の19歳の時でした。

わたしは、サーファンしないんだけど、代わりに15歳の時から、スクーバ・ダイビングしてるんですよ。なので、メキシコの海に潜りに行ったんですけど、ダイビングってお金がかかるんですね。だから、わたしは、ちょっと安目のホテルに泊まって、カップ麺を大量に持っていって、毎日海に潜っていたんです。今、ちゃんとその旅から帰ってきて、わたしがここにちゃんとしているので、特に危険な目とかには、合わなかったんだ。でも、やっぱり、そこはメキシコっていうことで、そのすれすれの所を、10日間通ってきました。わたしの泊まっていたホテルの同じStreetにはストリップ・クラブはあるし、一人で歩いてるだけで、男の人は、わたしを見て来たり、声をかけてきたり、しました。一つ違った道に入れば、襲われる危険も、十分ありました。

でも、旅行に行く前のわたしは、ただでさえ危ないメキシコに、この女一人で行こうとしてることを、内心、「スゴイでしょ!」って感じで、友達に話していたんだけど、実際、行ってみると、メキシコは、本当に怖くて、わたしはホテルで、必要以上に、部屋から出ませんでした。それで、テレビばっか見ていたんだ。でも、4日目ぐらいのことだったんだけど、突然、ホテルの外から突然、すごい大きな音が聞こえてきたの。なにを言っているのか、スペイン語で良く分からなかったけど、人がなにか大勢で、楽しいことをしていたんです。わたしは、初め、「それはお祭り」かと思って、“メキシコのお祭りは見ておかなきゃ!”って、張り切って、その場所を見つけるのために、ホテルから出ました。でも、わたしが「お祭り」と期待していた集まりは、教会だったんです。それは、わたしの泊まっていたホテルのすぐ隣にあったんです。それで、お土産屋さんやホテルで働いてるその街の人が、精一杯、きれいな服を着て、その礼拝に出席したんです。お祭りかと思った場所が教会で、そこに集まっている人達の姿に、とても驚いて、感動しました。で、なにも考えないで、そこに立っていただけだったんだけど、わたしが小学生のとき、学校の礼拝で歌っていた歌を歌いだしたんです。そこで、スペイン語が分からなかったけど、日本語で思いきり、歌ったのね。偶然にも、牧師の奥さんがカナダ人だったので、英語で通訳してもらって、それから、3日間、その教会のこういうFRIDAYの集まりみたいなのに、参加していたの。

まあ、なんで、今、こんな話をさせてもらったか、というとね、わたしがメキシコで、どうサバイブしてきたか、というのを自慢したかったから、とかじゃなくて、わたしは、この経験を通して、キリスト教の神様って世界共通なんだーと、知ったんですよ。日本では、かなり飽き飽きしていたキリスト教だったのに、アメリカに来て、メキシコも旅してみて、そこでみたのは、言葉が違っても、同じ一つの神様だったんです。それで、この旅行の1年後ぐらいに、クリスチャンになったんだけど、この出来事も、クリスチャンになった時の理由の一つです。

わたしは日本で、十二年間、ほとんど毎日、神様の話を聞いて、それでも、神様嫌いで、背いていました。で、わたしはアメリカに逃げてきたつもりだったのに、なぜか、アメリカに来ても、クリスチャンとの関わりがありました。自分一人で生きてみたい!って願望から、わざわざ、一人で危険なメキシコに行って。行ってみたわいいけど、怖くて、震えていたら、偶然なのか、なんなのか、また教会というところに辿りつきました。わたしは合計14年間も、神様の話を聞かされてから、本当に信じれるようになるまで、かかったの。14年もかけて、それで、やっと信じれることが出来たのね。だから、今日、ここでみんなに思い浮かべてみてほしいことは、初めて、キリスト教っていうのに、触れたとき、です。

わたしは、今すぐ、急いで、クリスチャンになることが一番大事なことじゃない、と思うんです。なんてたって、わたしは14年も、時間がかかったから。ただ、求めて、本当の自分を探さないと、本物にも会えないってことです。


聖書の有名な箇所に「神の国と神の義をまず求めなさい。そうすれば、これらのものはみな与えられる」マタイ6:33ってあります。

だから、みんな、日々の生活の中とか、学校の休みのときとかも使って、本当
の自分っていうのを、探求してみてください。そして、神様とぶつかりあってください。そのとき、きっと、本当の自分と、自分と神様の関係というものが見えてくると思います。

In Trial

あなたは、自分が今現在、試していることの中で、
自分は変わった、と思えることって何ですか?

わたしは、アメリカに来て、4年経つけど、
ある人は、外国生活なんかしたことなんかないだろうし、
外国に行ったこともないかもしれない。
ある人は、もっと長いかもしれないし、
数ヶ月かもしれないけど、
なくてもいいから、長くても短くてもいいから、
自分に聞いてほしいな、て思うんです。
(あるいは、今年一年とかの中で・・・)

わたしのことを話させてもらうと、日本にいた頃のわたしは、自分のことは自分で決められるから、どんなことがあっても、わたしは、責任がとれるから、自分以外、誰も必要ないって、思っていました。かなり、つっぱてる感じの子でした。

中学のときから、流行ものに鋭くて、ブランドのものとか、こだわっている子でした。この見た目から、想像できるかは、わかんないけど、髪染めたり、スカート短くしたり、タバコすったりしてました。

だけど、高校に入ってすぐ、わたしは突然、そんなことをしている自分を、なんだか、空しいな、Emptyだな、疲れたな、って思って、せっかく入った高校だったのに、入学式の次の日から、ゴールデンウィークが終わる5月の中旬までの、約一ヶ月間、まともに、学校に行きませんでした。いわゆる、引きこもり、登校拒否、そんな子に、それまで、髪染めて、派手派手に歩いていた子が、そんなんちゃったんですね。

その登校拒否をしていたとき、わたしは、ノートにこんな殴り書きをしました。


「目に見えるものは、永遠じゃない、いつか壊れるんだ。だったら、わたしは見えないものが欲しい!見えなくても、ずっと、自分が持っていられるものを持っていたい」


わたしは“永遠にずっと持っていられるものがほしい”って思ったの。
だって、どんなに高い服を買っても、ずっと着ていれば古くなるし、新しい携帯電話を買っても、また新しい機種が登場してくるし、わたしは、そうじゃない!そんなんじゃない!ずっとずっと、一生持っていられるものがほしい、と思ったのね。わたしがまた、学校に戻った理由は、本当の自分の見つけようと思えたからでした。

高校卒業後、わたしが、このアメリカに留学してきたのも、自分探しの旅でした。そんな中で、わたしの遭遇したアメリカ生活っていうのは、自分の言いたいことが、思ったように、アメリカ人に伝わらなくて、車がないから、好きなときに好きなところに行けなくて、親がいないから、誰かが、食事の仕度や洗濯をしてくれる訳ではなくて、日本にいたときとは、まったくちがくて、なんて、わたしはちっぽけで、なんにも出来ない人間なんだろう、と思わされるものでした。


そんなアメリカ生活の中で、わたしは一人のアメリカ人のクリスチャンの友達がいました。アメリカに来たばかりで、英語も片言な、無能な、そんなわたしに、その子は初めて会ったとき、こんなこと言ってくれたんです。“さえこ、DifferentCountryで、DifferentLanguageの中で暮すのは、大変なことかもしれないけれど、頑張ってね”さりげなくだけど、思いやり込もって、言われたわたしは、それから始まってゆく、新しい生活っていうのに、期待を持つことができました。その友達はどんなときにも、どんな人にも優しくて、わたしも、よく助けてもらっていました。
けれど、ある日、その子に思いがけないことが起こりました。突然、わたしのそのクリスチャンの友達は、レイプに合いました。もっと、最悪なことに、そのことで、赤ちゃんができてしまったのです。


わたしが高校生だった頃、わたしの女友達が妊娠してしまいました。彼女の相手の人は責任を負わないで、彼女は親に決して、そんなことを言える状況ではなかったし、高校生だから、お金をそんなにたくさん持っているわけではないし、わたしと他の友達で、5000円づつ出し合って、手術のためのお金をかき集めました。


わたしが、そのクリスチャンの友達に会うまでに持っていた、価値観というのは、こんな感じで、愛とかお金とかの感覚が、鈍っていたのかな?と思います。そう気付かされたのは、わたしのそのクリスチャンの友達が、レイプで妊娠してしまったとき、自分がクリスチャンで、人を殺したくないという理由から、子供を産むという決心をしたときだったんです。わたしは、そんな彼女の考えていることが、理解できなくて、わたしは、そんなのダメだよ!って、友達の出産を止めようしたんです。彼女が言ってきたことっていうのは、「この辛い試練も、神様がくれたものだから」と、それだけだったんです。自分が悪いのではなく、むしろ被害者の彼女なのに、それでも、彼女のお腹の中にやどった子供の命は、一つの命なんだと、大切に思って、受け取った。そして、わたしは、彼女のその強さは、どこから来るのだろうと、不思議に思いはじめたのが、わたしが、それから教会やBibleStudyに通い始めたきっかけだったんです。


教会に行き始めて、しばらくの間は、聖書の話なんて、ただの知識として知っておけばいいものなんて思っていたし、一人の人間さえ、長い間、好きでいられないわたしは、イエス・キリストなんて、血だらけになって、十字架にかかって死んだ人を、一生愛し続けていける訳がないと思ってた。だけど、あるとき、一緒にバイブル・スタディをしていた友達が、ぼそっとこんなことを言ったのです。



「神様っていうのは、いつも、どんなときも、なにが起こったときも、見ていてくれて、それは、俺たちを愛していてくれるからなんだよ。こんなに無条件に愛してくれる人なんかいないんだよ」



そのとき、これまで、わたしの人生の中で、辛いこととかあって、それでも、どんなときでも、神様は、ずっと見守っていてくれたのかな?初めて感じることができました。ていうのは、そうして、誰かから見守られていなかったら、わたしは、果たして、ここまで、その辛い試練を乗り切って来れたのかな?と思ったんです。
そして、なんて、自分がそれまでにいた価値観の世界っていうのは、条件ばかりで固められたものばかりだったのかと、思いました。高いものを持っているから、高く見られるとか、勉強しているから、いい子とか、悪いことをしてしまったけど、隠しておけば、誰も気付かないとか。そんな理屈や方程式じゃなくて、このままのわたしを、神様は無条件に愛していてくれるんだと、確信できたんです。



わたしが、クリスチャンになって、今、2年経つけれども、これは、「わたしの気付かなかった道」だと思っています。気付かなかったというのは、神様はずっと、小さかった頃から、もしくは、産まれてくる前から、わたしを見ていてくれたのに、わたしは、神様がいるなんて、信じられないでいて、知らないふりをして、通り過ぎていた。わたしは自分の外見とか、彼氏とか、学歴とかを身につけて、そんなことで、人から愛されたいと思っていた。結果的に、それは、Emptyなもので、ずっと持っていられるものじゃなくて、空しいな、としか思えなかった。だけど、神様はいつ、どんな時でも、こんなちっぽけなわたしを、見ていてくれて、愛していてくれる、と知って、わたしは、あるがままの、本当のわたしに出会えたと思います。そして、見ていてくれて、ありがとうと、神様への返事を、この2年ずっとしてきました。



もう一度、聞かせてください。自分は変わったと思えることは何ですか?

Positiveなことでも、Negativeなことでも、
なんでもいいから、今夜指折り数えてみてください。