わたし、この人好きなんだ。。。
わたし、この人好きなんだ!
石井希尚という、日本で初めての結婚カウンセラーです。
冬に、日本に帰ったとき、わざわざ、本人に会いに行ってしまいました。
東京、仙川にて、カフェを開きながら、
二階で、恋愛結婚カウンセリングをしてます。
この人は、わたしが「したいなー」と思い描いていたことを、
ほぼ実現していた人でした。
カフェを経営しながら、人と会話をし、
音楽、芸術をそこで一緒に味わい、愛を教育する。
けれど、実際、本人に会って、話してみたところ、
わたしとマレさんは、同じ地元で、マレさんの奥さんも、
わたしがアメリカに来て一番初めにいた学校の卒業生でした。
なんだか、そんな偶然が重なって、胸を本当にドキドキさせられてしまいました。
(ちなみに、わたしが今アメリカで住んでるところに、マレさんも住んでいたんだぞ)
マレさんは、「この人と結婚していいの?」という本が
ベストセラーになったことで、有名。
恋愛の深層心理とか、男と女の違いとか、結婚の意識とかを教えてくれる。
結婚する前に、誰もが読んでもらいたい一冊だと思う。
今日、マレさんのホームページを久しぶりに開いてみたら、新刊が出ていた。
目次だけ、サイトで見れたのですが、早くも、ちょーーー読みたくなりました。
興奮してしまって、
日本にいる、今愛人している(前にも書いたことのある)友達に
メールで「読んでーーー」と、叫んでしまいました。
くだらない雑誌の「モテる方法」とか読むより、この人の本を読んだ方が、
人間らしい人間になれるよ。
My Name in Korean
わたしの「さえこ」という名前は、世界各国の人から覚えられにくい!
という話を、前にもしたのを、覚えていてくれてるだろうか?
わたしは、大好きで、優しい、毎学期取る授業の先生がいるのだけれども、
先生は、一度もわたしの名前を呼んでくれない。。。。。
アメリカ人にとっては、それほど、「さえこ」という名前が発音しにくい。
この前、日本人の友達が、韓国人の友達と、
わたしのことについて、話していたそうだ。
そのときに、韓国人の子が、
「韓国語では、さえこって、発音し易くて、覚えやすい名前だよ。
『さえ』っていうのは、韓国語で"BETWEEN。
" 『こ』というのは、"NOSE"って意味だから。」
と言ったそうだ。
"BETWEEN NOSE"
思わず、友達とお腹をかかえて、笑いころげてしまった。
本当に、この名前に生まれて、いい思いをしたことはない!!!
けど、(笑)!
日本愛革命
日本愛革命
死んだ友人と朝まで、Danny's で話していたとき、
彼は、将来「クリスチャンの村」を作りたいと言った。
「そこには、別に仏教の寺があってもいいから、
クリスチャンのモラル中心に生活してほしい。」
と、彼は言った。
わたしは、彼に「愛革命をしたい」と言い返した。
「愛革命?」
そう、わたしは、愛というものは、基礎つけ、教育されるものだと信じている。
だから、小学校でも、中学校でも、
そういう人を愛する基礎やコンゼプトを伝える仕事をしたい、と思っている。
この考えは、日本の丸ごとの教育システムを堀り上げるようなことかもれないけれど、
心のなかで、頭のなかで、夢のなかで、何度も、煮詰めていることだ。
そして、「一緒にがんばろうな」と、わたしをまっすぐ見て言った。
わたしは「うん」と、正直に答えたことを、はっきり覚えている。
彼は、その夢に駆け昇ってゆく途中で、消えてしまったけれど、
彼の思想や、想いや、言葉は、風のようにして、わたしを元気つけていてくれる。
だから、わたしも、わたしの夢に向かって近づいていこうと思う。
日本愛革命
恋愛依存症
少し前に、「恋愛依存症」の本を読んだ。わたしは、診断テストで80%もその確立がある人だった。
そう、わたしは、恋をすると、よく自分さえも失われて、その人のものに、身体ごとなってしまう。
けれども、20歳から、ずっと一緒にいる彼氏との付き合いは、わたしがそれまでしてきた恋愛の形とは、まったく違うスタイルで過ごしている。つまり、それまでのわたしの恋愛は、わたしが常に、その人以上に好きでいたのに、今回は、その人の方がわたしを、わたし以上に好きであるのだ。ちょうど、その人にわたしが出会ったときも、一つの恋が終わり、途方にくれているときだった。冷たい言い方かもしれないけど、彼とGoing Outすることが、そのときのわたしにとって、とてもいい気晴らしになっていた。
そして、この時だけ、「愛する恋」ではなく「愛される恋」を続けている。
そんな彼は、とてもHard Workerだと思っているけど、
保守的であるところが、憶病者を作り出している。
「もう3年も一緒にいるんだし、一回、日本のわたしの家に来て、家族に会ってよ。」
と、言ってから、もう3ヵ月も経つのに、「分かった、分かった」だけを連発して、結局、今の今まで、航空券を買っていない。わたしは、彼がもし、日本に来てくれなかったら、もう終わだな、と思っている。今まで、彼に色々なことをかせてきたけれど、これを、今、逃げようとしているなら、彼はわたしのことを本当に好きじゃないのだな、と明白になると、わたしは思っている。
正直、わたしは、アメリカに来てからの数年、彼氏を絶やしたことがない。それは、日本から、家族から、離れて遠く、暮らすということで、寂しいって理由も、十分混ぜていいと思う。そして、その反面、そういうものから離れて、「自由」であることも、理由の一つ。
友達以上の、愛しい存在が、このそばに、一番にわたしを想っていてくれることは、とても心強い。</p> そして、それを手放すのは、とても苦しい。
でも、
だから、と言って、
それを許して、引きとめて、
一緒にいるってことは、わたしの「恋愛依存症」を悪化させていることになるから、
「さよなら」を言うのは、わたしなのかな?と、彼の勇気を待ちぼうけしながら、思う。
4月 の最後の日。
4月の一番、初めの日は、友達の葬式だった。
カレンダーに、4月1日(April Fool's Day)と書いてあって、嘘だと信じたかった。
だけど、こんなに彼の葬式だというのは、彼は本当の「関西人だな」と認めざるえなかった。
そして、今日は、4月の最後の日だった。
わたしは、時は、このまま流れてゆき、
事は、なにも変わらず、
人が、かすり傷をつけて、歩いてゆくのだな、
と思えた一日を過ごしました。
心の旅は、まだ続きそうです。
わたしの友達
わたしが、その友達とちゃんと出会ったのは、12月にアメリカから日本に帰る飛行機の中でだった。
長い間、すごく仲の良い男友達と、一緒に日本に帰っていて、その友達は、彼との友達で、
偶然に、わたしたち3人は、同じ飛行機に乗り合わせた。
その友達は、元覚醒剤中毒だった。
日本にいたとき、17歳から23歳までの、約5年間、覚醒剤を打ち続けていた。
23歳のとき、彼は、どうしても覚醒剤を止めたくて、でも、止めきれなくて、手首を切った。
だけれども、一歩手前のところで、彼の命は助かった。
死にそうだったところを、助かったところで、クリスチャンになった。
自分は、どうして助かったのか?というところを知りたかったからだ。
けれども、それでも、覚醒剤は止め切れなかった。
だから、彼のカウンセラーは、アメリカに送った。
環境を変えることで、彼自身が変わるかもしれないことを、期待したのだ。
アメリカに来てからの、2年半の間 、彼は一度も薬物に触れることはなかった。
わたしがその彼と、最後に会ったのは、彼が死ぬ5日前で、一緒にクラブに行った。
そのときも、彼は少し踊っただけで、ぜんそくになって、椅子に座っているだけだった。
そして、わたしたちは、そのクラブで、レズビアンとか、ホモの人を見て笑っていた。
その帰り道、わたしは少し雨が降っていたのもあって、わざと遠回りをして、彼の車を追いかけることにした。わたしは、「ついてくからね」とはっきり言ったのに、彼はFreeWayに乗った瞬間、すごいスピードで走しり始め、わたしは追い付こうと頑張ったけれど、追い着き切れなくて、彼を見失い、飽きらめた。彼は、真夜中の2時の小雨の中、暴走し、消えていった。それが、わたしが彼を見た最後だった。
それから、3日後、つまり彼が亡くなる、2日前。彼はオンラインで、「祈ってくれ、苦しい」と言ってきた。彼は安定剤が切れていて、薬をまたしたくなって、色々な人に「苦しい」と訴えかけるのは、何度もあったことだったから、わたしは、「また、いつものことかーー」と、聞き流すように彼と会話をしていた。
わたしが、そのとき、彼に話したことは、「人は、なにかの奴隷にならなきゃいきていけない。タバコとか、セックスとか。誰にだって、そういうものはあるはず。でも、あるシンガーが、『どうせ何かの奴隷になるなら、わたしはイエスの奴隷になりたい』言っていた」って話をした。そうしたら、彼は「そういうものになれるものなら、なりたいなー。」と言った。
彼は、安定剤がない代わりに、睡眠薬があると言うので、わたしはそれを飲んで、寝ることをすすめた。「おやすみ」
それが、彼との最後の言葉だった。
それから、2日後、彼はもう二度と目を開けない人になった。部屋でぐったり寝たまま、3日間も、誰からも見つけられないでいた。
はじめ、友達から電話で、彼の死を聞いたとき、信じられない気持ちでいっぱいだった。</p> <p>だって、つい、数日前まで、一緒に遊んで、話して、笑っていた友達だったから。
「死体を見るまで、信じない」と叫んだ。
でも、それを許されるのは、家族だけで、可能なことじゃなかった。




