どこにいても どこかに隠れてても どこまでも 長く・・・ -4ページ目

今日

まだ、わたしの友達たちは、友達の死に対して、

もがき、悲しみ、泣いている。
けれども、ここに集められた人たちは、

みんな、わたしの宝物で、これに勝るものはないと思う。

kare no koto

わたし、今の中国人の彼が、どうしても手放せられない理由が、分かりました。
彼は、わたしのお母さんのような存在で、

どうしようもないものに縛りつけられて、
それをしっかりまっとうしようとしている姿勢です。

けれども、ある意味、その行ないは、自分の世界 を縮ませているようなもの。

だから、彼にひたすら、日本に来てほしいとか、
初めの一歩を踏んでもらいたいのだと思っているのだと思うのです。
好きだけれど、なにか、彼にもの足りなさを覚えているのは、

彼の存在がこんなんだからなのかな?
と、昨日の夜、思いました。


今日。

今日、わたしが思ったことは、

 

 

生きることは、愛することで、

死ぬことは、愛されることかもしれない、

 

ということです。

 

 

おやすみなさい。

真夜中の夜食

ただ今、アメリカは、朝の3時。

わたしは、チャーハン食べてます。

                                   *

ジャーナリズムと、聖書なんか、勉強していると、

一日中、読むのか書くことしかなく、生活も不規則になります。

わたしは、いつもはだいたい、朝の5時とかに起きて、何か書いてます。

それくらいしないと、宿題が終わり切らないんですよ!アメリカの大学。

ちなみに、食生活も、不規則で、

だから今、こんなチャーハン食べているんです(苦笑)。

                                   *

わたしの今の学校は、白人が80%で、日本人10人くらいしかいないんですよ。

すごい人種差別の多い学校です。

クラスに行っても、誰も話しかけてくれないとか、

先生でさえも、わたしの名前だけ、呼ばないで、

「ユー、ユー」としか言ってこないんです。

色々嫌ことをされながら、通っているんです。

ま----、こんな学校の方が、カルフォルニアでは、珍しいのですけど。

なんてたって、カルフォルニアの公立校は、アジア人が大体多いのです。

それだけ、努力する人種なのですよ、 アジア人は。

                                  *

だから、やれば、できるだから、

自分を優しい環境に置いておいてあげないでください。

あきらめないでください。

 

チャーハン、食べ終わりました。

勉強に、戻ります。

きのう、あれから。

昨日、あれから、わたしは日本の大切な友達に電話をかけた。わたしと彼女との付き合いは、もう10年にもなる。中学生の頃から、お互い、なんでも打ち明け合い、泣いて、色々なことを、乗り越えてきた相手だ。だからわたしが、アメリカに移ってきても、日本に帰ると必ず会う。

わたしたちは、いつも、途方もない恋に嘆き、発狂の寸前をかけさまよう。

 

彼女は、愛人をしていて、その現場を知り合いの人に見られてしまったのだ。

 

彼女は、そんなピンチを向かえていて、どうしょうもなくなって、

「もう笑うしかないね」なんて言っていた。

「これが,わたしの選んだ、人生だから」って。

 

正直、この彼女の今の恋に対して、「頑張って」という応援の声はなかった。それは、社会の道徳に反することだし、わたし自身、その犠牲になって(これはまた別の話で)きたのだから、わたしは、許せない気持ちでいた。恋をするにも、ルールがあって、それに沿れない人は、どこかおかしい、と思う。

 

そして、日本人はなんでもかんでも「仕方がない」で、すべてのことを、流そうとしている。

わたしは、日本にいる日本人と話すときにしか、この「仕方がない」という言葉を使うことがない。

確かに、この狭い日本の社会の中で、純粋に生きていくのは、すごく難しいことかもしれないけれど、

その「仕方がない」という言葉、一つで、不条理なことが流せるとするなら、東京はあんなに臭い匂いはしないはずだと思う。「仕方がない」という言葉に逃げないで、流されないで、自分の心、行いを見つめ直してほしい、と思う。

 

 

                                    昨日、あれから、あの子は、どうしたのだろう?

 

 

                                                    iwai

どれくらいぶりだろう?

loveletterどれくらいぶりだろう?

                                          自分のこのページを開くのは。。。

もうこういうことをするのは、自分に必要のなくなったことだと思っていた。

だけど、数え切れないほどの出会いと別れを、この数ケ月繰り返し、たくさんのお金を使い、涙を流したあと、またここに戻ってきた。気づいたら、わたしの一番の友達は、『孤独さん』だったのかな?だから、もう一度書きたいと思う。誰のためにでもなく、このわたしのために、もう一度。

1年半ぶりの日本。


1年半ぶりの日本に帰ってきています。
帰って来るときは、緊張しすぎて、飛行機の中で眠れませんでした。
なので、友達と寝ずに話してました(その子の睡眠を邪魔していたような感じだけど)

それから、昨日に日曜日は、近所の教会に行きました。
そしたら、わたしの小学校の先生に会いました。と言っても、わたしの卒業した年に、その先生は勤務し始めたので、すれ違っているのですが・・・・・

今年はわたしがクリスチャンになって、初めて日本でクリスマスを迎えます。

日本帰国一日前。


日本帰国一日前の今日は、
8月に別れた彼氏と、別れたとき以来に会った。

久しぶりに会ったけれど、わたしたちは、もう大人。
沈黙なときが続いたり、
また口ゲンカが始まったり、
この人にしか、わたしの部分を指摘されたり、
そんな数時間を過ごした。
そして、帰り道、一人、嬉しい、爽やかな気持ちでいた。

わたしたちは、また会うのかも、
もう会わないのかも、しれない。

でも、この「時」は、心に刻まれているから、
きっと、消しゴムでは消えることはないだろう。

そう思う。


明日、日本帰国日。

日本に対する危機感。

  今日、日系新聞を読んでいました。
  驚いたことに………

  日本人の女子高生の10%が、
  性病を持っているそうです。
  
そして、この数は、世界の高校生の中で、日本が一番だそうです。

あと、日本が唯一、先進国の中で、毎年AIDSの患者が増加し続けている国だとそうです。


               *


日本帰国、2日前、ゾックっとさせられることでした。

「だったら、アメリカは、どうなの?」って、突っ込みたくなるでしょう?

例えば、たくさんの中学生が、SEXをしてるとします。
そうすると、学校で、コンドームを配ります。
18歳以下の子が、無料で性的な悩みを相談できる、
Counseling施設が、ほとんどの地域にあります。

SanDiegoで短大に通っていたとき、「保健体育」の授業を取りました。
そのときに、本当にAIDSに感染した人が、
どういう環境で育ってきたのか、どういう人付き合いをしてきたのか、
どういう風にしてAIDSに感染してしまったのか、今どういう状況か…と、
話に来てくれたのです。これは、いい経験した・・・と思っています。

アメリカの性教育の仕方は、すごくOBJECTIVEだと思います。
”本物を見せて、感じさせる!”

日本の友達の話していると、本当に「不倫」しているだの、
「できちゃった婚」するだの、また妊娠しただの・・・です。

わたしは、日本は「愛の教育」が欠けているなー、と思っています。
そんなことを、一度も教えられることなく、教えられる人もいなく、そんな中で、育ってきたわたしたちは、Practicalな人付き合いでしか、痛いも、苦しいも、感じれなくて、比較でしか、価値つけられないでいる。でも、何人もの人に、移り渡っても、Emptynessしか残らない。みんな土台がないから、”自分をあげる”ということでしか、愛を確かめられないのでは…・・

わたし自身も、昔、そうだと思い込んでいました。だけど、”その果て”というのは、結局、傷ついてる自分なのです。



                    
                        どこへ、ゆくのだろう、日本?
                        沈まなきゃ、いいけど・・・                       







我的旅行歴

*小学校一年生から六年生まで、
 毎年夏、Hawaiiで過ごす。
    けれども、一度も、Hawaiiを外国だと感じたことがない。
    ちょっと、遠い日本の南の島のよう。    
    
    そして、これ以来、一度も足を踏み入れてない。

けれども、父の事故により、
毎年の旅行却下。


*1997
 高校一年生のGWと夏休み2度に渡って、
 FIJIに行き、ScubaDivingにはまる。

*2000
 高校卒業後、アメリカ留学。


*2001
 (旅デビュー!)
  一年後、5月、友達とAmtrack(アメリカ全土を走る電車)で、
  LosAngelesから、CANADAのVoncouverまで、行く。

*3ヶ月後、8月、Mexico・LosCabosに、ScubaDivingしに行く。
 (初めての人旅でした)

*その3ヶ月後、11月、
 自分の成人式だと思って、Canada・Yellowknifeに、
 オーロラを見に行く。(一人旅)

*2002
 (旅デビューから、ちょうど一年後)5月、
 南米コスタリカに、5日HOMESTAY、5日JUNGLEで過ごす(一人旅)。

 ここで、すごくコスタリカ人から、強い影響を受け…

 約6ヶ月後、12月、
 コスタリカの孤児達に、一ヶ月間、英語を教えに行く。
 でも、結局、レストラン・ウエイトレス、ツアー・ガイドをしていた。


*2004
 5月、ブラジルの南部の日系人たちが、
 農業開拓してきた街を、人つてに渡り歩く。
 アルゼンチン・パラグアイも、一日観光。
 




            そして、モンキー・ガールの旅は、続く……………