いくらなんでも急に暑くなりすぎではないでしょうか。花粉もひどいし、服装もうまくいかないし、外に出るのが憂鬱な毎日…。


しかし今日はプロ野球開幕!日々の彩りが一気に増す。

私は長年のヤクルトファンだが、今はほぼ惰性で応援を続けている。本当に不思議なチームで、勝つときは勝ち続けるし負けるときはその逆。負けるときは何から何まで良くなくなるから、見ていて感情を失う球団である。

今年は誰からも期待されておらず、怪我人も最初から多すぎるので、案外勝つ年なんじゃないかなと思う。我ながらなんて冷めた応援スタイルなのかと悲しくなるが、このくらいが気楽に毎試合楽しめるのだから仕方ない。


打線にここまで主力がいないとは新鮮だなぁ。今年も楽しいシーズンになりますように!



先週日曜日はオールピアノデュオでの演奏会。


ピアノ2人のデュオリサイタルというと、「デュオ」としての活動が多い演奏家を除きほとんどの場合ソロ曲も演奏する。

今回はデュオとして組んでいるわけではない2人が全てのプログラムで一緒に弾くという、ありそうでない演奏会になった。しかも前半は2台ピアノの2nd、連弾の下。後半は連弾の上、2台ピアノの1stと全て違う場所。バラエティ豊かで良い試みとはいえ、中々タフなことをしたもんだ…。


大学の同級生との演奏、刺激的だったなぁ…人間変わらないなと懐かしくなる反面、友達の順調な成熟に感服。自分は自分とはいえ、見習ってますます精進精進…


一歩前へ。



電車の通過音や救急車の音やら、普段気にならない音に過敏に反応してしまう時がある。身体のどこかに不調をきたしているのか、環境によって単に音が歪に響いているのか……

人の感覚は面白い。心地よさ、もまたうつろうのだろう。


全ての感覚から解き放たれてみたいと思う時もあるが、きっとそれは肉体にとって強烈なストレスであろうことは容易に想像できる。

ただ、そんな解放を欲しているのも事実。芸術はそのためにあるのかもしれない。

現在は過去と未来の境目にあって、過去でも未来でもある。というような考えに最近囚われているのだが、敬愛する聖飢魔IIのギタリストが同じようなことを述べていて安心したというか何というか。


それなら過去にも進めそうだな、と思ったりするがそうならないのが生きる面白さかな。


演奏において、過去と未来の境目である現在が永遠に続いているという考え方は大事だと考えている。

既に醸成された空間から何かを受け取り(受動)、空間に音を生み出す(能動)。この所作をなるべく排除し、全体をプログラミング、固定化してしまった演奏は本質から乖離したものではないかと思う。

レッスンは固定化を行うものになりがちだが、固定化を避け、かつ良い演奏に導くものにならないか日々試行錯誤している。


私は受動か能動か、どちらかに極端に触れてしまう傾向が強いんだろうな〜と最近気付いたから、これをうまく昇華して、さらに人に伝えられるレベルまで辿り着きたいものである。

我が家の梅が満開である。

紅白の梅の木があるのだが、特に今年は華やかに咲いていて気分が良い。なんでも花が咲きやすい剪定というのがあるそうな…、植物の命を扱う庭師の技も奥が深い。


花をメジロが可憐につついて散らすのは絵としても美しいからまあ良いとして、ヒヨドリがどすんと着地して豪快に撒き散らすのはなんとかならないものか。声も野太いし。彼らもそろそろ山に帰るころかな、今度はカラスがひなとともにうるさくなる季節だ…