鍵盤が白と黒でなかったら演奏家の感覚は大いに変わりそうだなと急に思いついた。


以前ピアノに関する講座の際に、カスタムピアノについて今後期待することを考えたのだが、もうまるで思い浮かばない。というか、もう思いつくものは全て形になっているのだ。

しかし、もしかしたら鍵盤の色は…?まぁクリスタル鍵盤のピアノがありそうですね。



白はもちろん、黒も純粋な色だなぁ。私は黒というとどうしても濁ったものを思い浮かべてしまうが、本当の漆黒も純で、白より蠱惑的ですらある。


という流れでスクリャービンを出そうかと思ったが、ここはやはりタイトル通りドビュッシーを。






想像と創造という同じ音の言葉を組み合わせたらちょっと示唆深そうな言葉になった。


楽譜を読む時は、もちろんそこに書かれているものを読むことになる。ただ読むのではなく、それを理解する必要があるのだが、ここで想像の力が不可欠だ。ここを抜かしてしまうと音楽にならない。

しかしこの想像というのが厄介なもので、ただ自分の意志で想像するのではなく、正しく楽譜から想像しなければならない。そしてまたそれが貧相であってもならない。


ないないだらけで嫌になってしまうが笑、仕方ない。ない。




陽が当たるとポカポカ陽気、僅かに残る雪がキラキラ反射して美しい。

 

今日は少しだけ考えていることを。

舞台に上がるようになってから、舞台で良い時間を作るための練習について長らく考えてきた。

当然、シンプルに自信を持って弾ける状態の時は、予期せぬ変化に対する対応力が違ってくるから大いに楽。ただ、そう毎回いい状況に持っていける訳でもないので、なるべく変化を少なくしようとすると考えるか、変化があることを前提に、状況に寛容になるか…。

 

そもそも会場は毎回違うし、同じ瞬間はない生き物であるから、変化を少なくしようとする試みは基本的に中々うまくいかない。

当然同じ楽器では日常的に練習できないし、椅子の高さ、位置の調整も、完璧に練習と同じ状態になることはなかなかない。特に若いうちは短時間で整える必要がある舞台も多いだろう。そもそも椅子の材質もそれぞれ…。練習の時と違う靴を履いて弾くだろうし…要は当日リハーサルでアジャストすべきことが本当に多いのだ。家で靴を履いて練習したり、なるべく蓋を開けて弾いたり色々してきたが、まあ効果は少ない。

 

練習はなんのためにするのかと言ったらもちろん良い演奏のためにするのだけれど、曲の設計図を作ってそれを実現できる指と耳を鍛えるだけで満足するのでなく、それをどんな場でも実現するための工夫も必要。単純に弾く量を増やせば解決できる面も大いにあるのだけどね。

私は理想を追いすぎるタイプなので、実現する方法にもきちんと脳を使うよう改めて自戒…。

 

 

 

こんなにも自由で楽しそうで、毎回違う素晴らしいことが起きそうな演奏なのに、安心して身を任せられる。こうありたいものだなあ。