演奏会準備と暑さに追われる夏を過ごしていました。

皆様いかがお過ごしでしょうか?

 

10月9日に東京オペラシティリサイタルホールにてソロリサイタルを開催させていただくこととなりました。プログラムは以下になります(チラシ掲載からテンペスト→熱情に変更しました)

 

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バッハ:イタリア協奏曲 へ長調  BWV971

ベートーヴェン:ピアノソナタ第23番 へ短調 作品57 「熱情」

 

ベートーヴェン/リスト:連作歌曲「遥かなる恋人に」 S.469

リスト:巡礼の年 第2年「イタリア」S.161より

     ペトラルカのソネット第123番

     ダンテを読んで-ソナタ風幻想曲-

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熱情は作曲者35歳、リストがインスピレーションを受けた「神曲」をダンテが書いたのも35歳。私も35歳。意識して選曲したわけではないのに、導かれたように隠れたつながりが見つかるのもまた、真摯に打ち込んでいることへのご褒美なのかもしれません。

 

何か特別な空間が浮かび上がることを信じて、舞台に上がります。

是非皆様お誘い合わせの上お越しいただけましたら幸いです。

 

 

いつの間にやら、前回書いてから一ヶ月以上が経ってしまった…習慣化したかなと思った時期もあったのにな笑

 

再来週の土曜日、8月3日に室内楽の演奏会があります。

 

アムゼル三重奏団演奏会

8月3日 16時開演

加賀町ホール

 

モーツァルト:ピアノ三重奏曲 変ロ長調 K502
ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第5番 ニ長調 作品70-1 「幽霊」
メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲第1番 ニ短調 作品49

 



この三重奏団は、私が東京藝大時代初めて組んだ室内楽のメンバーです。当時共に学び、今も音楽を続ける仲間との久しぶりの演奏、どんな化学反応が生まれるのか私自身大変ワクワクしながら準備に臨みます。

特に幽霊は、このメンバーで受けた学内の試験で演奏会に選出していただいて、初めて室内楽の演奏会で弾いた思い出の曲。まあ、思い返すと当時の自分は大して弦楽器の音も聴けず、ひよっこ全開な演奏になっていたな…当時の若さと勢いは忘れず、今の自分達の音楽を全力で出し切ります。

 

まだ席には余裕がございますので、ご都合よろしければ是非お誘い合わせの上お越しくださいませ。

チケットのご用命は私に直接メッセージいただくか、上記チラシのQRコードよりお求めください。

 

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学生時代は試験で弾くとかコンクールとか、演奏会に出るとしても複数人で弾くことが主だから、演奏時間が短い。コンクールはまあ長いことはあるけど、1ラウンド90分は記憶にない。

45分くらいまでなら、「これだ」という特別な良さの一点突破、もしくは完璧さ、面白さで何とかなるのかもしれないが、演奏会で複数の曲をまとめて弾くとなると全く違うものが必要になる。ただ一曲一曲に立ち向かっていくのではなく、プログラム全体を通してお客様と共にどう演奏会を完成させていくのか、中々難しいテーマだと思う。

最近は大きな視点を持って演奏会に臨めている気もするけれど、何となく移行できただけであって、掘り下げて考えてみたことはなかったなあ…こういう機微っていつ学ぶのだろう。音大のカリキュラムに、一度はフルリサイタルを入れる必要もあるのではないだろうか。それも、学生任せではなく、先生の知見をきちんと伝える形で… 舞台慣れや曲の完成度以上に大事なこともある気がしてならない。

 

 

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随分暑くなってきましたねえ〜

寒がりの私には有難いのですが、何でかこの季節は毎年くしゃみが止まらない。花粉が治っても何だか違うくしゃみが出るのが何だかなあ…いつか腰をいわしそう。

汗に反応してるのかな、自律神経が弱いのかな、とりあえず筋トレ増やそうか。

 

最近はなかなか調子良く練習できていて快調快調。こういう時に行けるところまで進めようっと

 

 

 

 

スクリャービンとは思えない終楽章に注目笑

28日にエヴァ・ポブウォッカ先生の演奏会を聴いた。

それはそれは幸せな空間で、素晴らしい時間…終わってほしくない時間、とはなんと尊いことか。

 

バッハ、モーツァルト、シューベルト、ベッリーニ、フィールド、ショパン

という流れ。まさに「天才的な」系譜だと思う。前回ブログに書いた内容と若干リンクするところがあり、奇妙な偶然も感じた。

 

この流れと異なるもう一本として、

バッハ、ベートーヴェン、リストとワーグナー

があるように思う。後者が(キリスト教的ではなく)宗教的な側面が強いことも面白い。手法も主題労作的で、意志を強く感じる。

そしてこの二つの流れがラフマニノフ、スクリャービンで再合流するような大きなクラシックの流れを見る、と言ったら言い過ぎかな笑

 

どちらにいても違和感が全くないバッハは改めて音楽の父であると、深く敬意を表すると同時に、もっとバッハを弾きたいと感じるこのところであるが…難しいんだよねえ…笑

 

 

 

何故人がそう感じるのか、何はともあれモーツァルトは間違いなく「天才」である。モーツァルトの音楽が現代人にとってのクラシックの印象を大きく占めている(と感じる)が、モーツァルトの音楽は特別で、これがクラシックの本流かというと、どうも違うように思う。モーツァルトだけ別の軸にポンと存在するような…。(ショパンも同じようなところがあるかもしれぬ。)

 

天才の音楽には全てが整っていて、余分も矛盾もない。解き明かせば解き明かすほど色褪せる。だから演奏するとしたら何も無理することなく、そのまま弾けばいい。

大人には、その「そのまま」が難しい。

放置する、もしくは無関心に何もしないのではなく、そのまま全てをしなければいけないからだ。

 

愛の反対は無関心、という言葉がふと浮かんだが、これは「そのまま」にも繋がる話だ。無関心な演奏は愛のない演奏に等しい。

 

子どもの方がモーツァルトらしく聞こえることが多いのは、モーツァルトが子どもっぽいからではなく、子どもが純粋で愛があるからからだろう。

 

さて、大人の私がどう演奏しよう、と考えている時点でどこか違う気もするが、色々試してみようではないか。