2020年2月28日、月末・会議日。 | 滋賀・高島の機屋・サダ杉岡のブログ

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滋賀の高島という地域で機屋をしている今年53歳の男のブログです。
仕事のこと・家族のこと・日々の日常で感じたことなどを綴っております。
大したことは書いておりませんが、それでもよろしければご覧ください。

金曜日です。


本日は、高島晒役員としての大事な大事な3連発会議の最終日。


朝、7時前に出勤、鬼のような書類作り。


工場に入り、社員さんに挨拶をして、ゴミ出しをして。


再度書類づくり。


それから昼前にようやく高島晒に出向くことができて、会議の準備を開始。


おかげさまで


ジェトロさま管轄の海外向けの助成事業を終えて、その報告会をさせていただくことができました。


無事に?という見方で言えば、この災厄のような現状の世界環境において、まず生きてることが素晴らしい。


無事です。


でも


もっともっと商売をしたかった、世界を相手にして。


というのが本音。


もっともっと「巻き込み力」を蓄え、「高島ちぢみ」のブランド力を付け、わたし自身の自力を付けたあと、世界情勢を見ながら、できることからまた挑戦します。


半年ほど、海外は様子を見たいです。


そんなことを思った本日。



そんなわけで、午前中は書類づくり、会議準備で明け暮れ。


12時半頃、帰宅して赤いきつねを食す。


後で聞いたら、京都に住む弟が仕事で高島に来ていたようで、お昼は「かばた館」さんにてお昼を頂いていたそうで。


行けばよかった。


そんなこととは「つゆ」しらず。


「お揚げさん、割れてるわ〜」とかヨメに伝えながら、笑いながら食べていた。


美味しかったです。


ごちそうさまでした。


(なお、「かばた館さんのうどんの出汁が美味しい」という弟の意見を聞き、流石 兄弟だなあと感じた次第です。)


13時過ぎ、再度高島晒さんへ。


会議前、作った資料を配布、モニターの準備、いろんな段取りをして。


ジェトロさん、堀田さんなどがお越しになり、無事に設え完了。


新型肺炎・コロナの関連で、久木さん(ジェトロ滋賀所長)自ら、マスクと消毒液を準備していただき、参加者はそれを身にまといました。


14時から会議スタート。


久木さんは前任地、カラチだとか。


カラチといえば、山崎豊子先生の「沈まぬ太陽」の主人公・恩地元(おんちはじめ)が日本での勤務から左遷され赴任したところです。


(恩地元はそこからさらにテヘラン、ナイロビと計10年くらい外地勤務)


その印象が強いのですが、実はカラチは今現在は、相当な都会だそうです。


パキスタンのカラチの前は、インドでも長かったとか。帰ってきた日本がこんな災厄に臨んでいるあたりは、かなり驚きだとは思いますが。


海外の長い方は、尊敬します。


ここ数年で、その大変さがよくわかりました。


そんな久木所長からご挨拶。


織物組合、内藤社長からご挨拶。


海外でのマーケット獲得の難しさ、その中で国内で今手掛けているリブランディングで学んだ、気づいたことなどを話していただきました。


その後、ジェトロ関谷さんからも少しお話をいただき、三年度目のこの事業の捉え方なども教えていただきました。


それから


堀田ブランドプロデューサーから、今年度の総括をしていただきました。


堀田BPとは、あえて打ち合わせをせず。


堀田さんがまとめていただいた資料は、それはそれ。


わたしはわたしの目線がある、とは思ったので。


(結果としてわたしの作った資料が堀田さんの資料になっていたりして・・まあしょうがないかな)


そのあと


わたしの作った資料を元に、一年間の総括、そして海外展開の総括をさせていただきました。




(一枚目の写真に戻る・・)






中国に出向いていただいた、本庄織布の剛専務からも意見をいただき、剛専務らしい意見をお聞き出来ました。


とにかく、わたしがお伝えしたかったことは、種をまかないと花も咲かない、実もならないという事。


その種まきのことはできた、という感覚はあります。


海外の深耕も大事ですが、国内でのブランド振興も大事です。


また


双方の市場に必要なアイテムになれば、「高島ちぢみ」を買いに来られる方々が今より増えるはずです。


今年度で言えば


上海の展示会の成果を刈り取ることが、諸事情により残念ながら中断していますが、いつか実を結ぶはずだと思っています。


高島市役所の上原さんからは、来年度の高島市は特産品販売にも力を入れるお聞きしましたし


晒組合の川島理事長は、そんな高島市にも期待されている旨を強烈にアピールされていたし


一時間の会議だとしては、濃密なものになったと思います。


無事に終わって、良かった。


会議後、片付けをして、皆さんをお見送りして。


高島織物組合に出向き、借りていたスクリーンをお返しし、またそちら側での完了報告も終えて、また高島晒へ。


そのまま、夕方まで。


写真撮影、マスク関連の話を聞いたり、Wi-Fiを飛ばしたり、メールアドレスのパスワードを確認したり、なんかそんな雑用が止まらない。


今週は


高島晒の役員としての仕事が多かった。
 

「来週以降、会社からの下達により、出張取りやめます」


との連絡が多かったのは、気になるところ。


そういえば


ジェトロさん、堀田さんからも新幹線がガラガラだったと伺いました。


もう、コロナ不況が既に、始まっている。


会議を終えても、まだまだ考えることがある。


ともかく疲れた。


今日は帰ります。



帰宅、夕食。


ハヤシライス、久しぶり。


いただきます。


「たまにはハヤシライスもいいなあ」と上の子。



同感ですが、「たまには」というのは、やっぱりカレーが上だ、と言うことにほかならないのか。


まあしかし


明日から休みが決まっている、上の子下の子はテンションが総じて高い。


明日以降、親は大変だ!


頑張らないと!!


漬物、いただきました。


ごちそうさまでした。


食後、これからの休みについて話し合う。


わたしは、国が急に決めた強制的な「学校休み」を、かなり評価しています。


国会でさんざん、中国が災厄に陥っている一ヶ月前頃、しょうもない論議を繰り広げた結果、新型肺炎・コロナ関連を置き去りにして、クルーズ船での感染をより広げたことを思うと、このまま従っていては、大事な子どもを守れません。


インフルエンザも流行ると防げないくらいですし。


(実際、今回上の子がインフルエンザに罹る前の日、外へ出ていくのをわたしは「どうかな〜」と思ってみていて、注意も心配もしたけど、ヨメも上の子も、わたしが「あまり出ていくな、インフルとかあるから」とか言っても、「みんなが行ったら行くしかない」とか言って全く聞く気がないのがわかるから。)


日本の人は、みんなが行ったら行くんです。


だから


強制してくれるくらいでないと感染なんかは止まりません。


小学生、中学生、高校生などの若い方々に亡くなる方が万が一でも増えてきたら、その後どうせ叩く人は叩くでしょう?


誰かを叩いても亡くなった人は帰って来ないですよね。


だったら、守ってしまえばいいと思います。


しかしながら、物事の順番がぐちゃぐちゃだ、とヨメは指摘します。まずは中国からの入国がどうなっているのか?という指摘。クルーズ船でのことで失敗したのが誤算だったのか?という点とか。


その通りなんですが・・


そんなことは、後でどうとでも検証したらいい、とわたしは思っています。


世間の親御さんの方々、の意見は大半がヨメと同様でしょうが、わたしは自宅で守った方がよほどマシだと思えるからです。


ただし


働き手が育てる側でもある、と言う現状が、わたしにもズドンと響きます。


我が社の社員さんにも、お子さんがいらっしゃる。


例えば、学童保育にも影響がある。


急に言われても、困る。


そういうことなんでしょうね。


わが高島市でも、方策を練っておられます。



頑張れ。


とにかく今は耐えどころです。


まわりの悪口言ってても大事なものは守れない。


乗り切りたい、と思います。