小泉進次郎先生、撮影役の私にも気を配っていただき、撮影をしていただいてありがとうございました。
何の撮影か?ということで・・
高島経済会、という組織が地元の高島市にありまして。
本日は、その高島経済会の設立10周年の記念事業として予定されていた「小泉進次郎 衆議院議員 講演会」が無事に行われました。
13時57分から、14時57分まできっちりと一時間、真摯に講演いただいたことは、
「こういう政治家も、いてはるんやなあ」
という、わたしにとってはかなり大き目の感心の対象となりました。
この事業が無事に成功に至るまで。
才川10周年記念実行委員長、中田副委員長、土井委員だけの組織ではどうなるのかなあ、と思っていたところ・・
夏の頃に小泉先生が来られることが決まってからは、萬木代表幹事、川島代表幹事、吉田副代表幹事、桑原副代表幹事、をはじめとした執行部の方々の目の色が変わり、事務局の朽木さんと伊香さんの顔色が曇り始めました。
外国へ行って、帰って、という生活の中でも、傍らやそばで見ていたわたしにとっても、そんな有名な方が来られるなんて、思っていなかったのですから、担当されている方々には青天の霹靂に近いものがあったと思います。
というわけで
当日ふらっといって、手伝うだけではすまないだろうな、と思っていたわたしには、才川くんの手から溢れ、こぼれた、色んな役割があたりました。
撮影係。
ステージの設営係。
リハーサルでの補助。
いずれも、今まで高島青年会議所の中で、もしくは高島ロータリークラブで、やってきた大会や、イベントに比べたらはるかに楽なものではありますが、違うのがほとんどがぶっつけ本番で、経験則に従っての行動だということ。
しかしながら
普段、一緒にいるロータリークラブの若手軍団の方々は、本当に頼りになることこの上ありません。
(まあ、看板とビデオ撮影に関しては本業の方もおられるので当たり前かもしれませんが・・)
ただ違うのは
ステージの準備、進め方などについては、やはり市内の有力事業者の皆様が揃う中、指導や指図が各方面から飛ぶ、あるいは飛びまくる、ということでした。
朝9時に今津町の高島市民会館に集合して、準備開始。
あいにくの寒い日ではありましたが、なんとか雪降り未満、の天気。
持ってくれ、と思いつつ・・。
カメラ数台を携え、撮影場所の確保のあと、ステージの設営を手伝います。
幕や、看板の高さの確認、スライドショーが映るかどうか、などを決めながら、司会の方にお願いしてリハーサルを2回足らず。
「人生100年時代のまちづくり・くにづくり」
という題で、講演をお願いしています。
高島市民会館のキャパシティは約1100人までだったと思いますが、配布券の状況からいって、それがほとんど埋まるだろうという予測でした。
ああでもない、こうでもないというやり取りの中、11時過ぎにお昼を食べます。
メインで働いている才川、中田、土井、の各氏に先んじて、そして事務局のお二人をさておいて、もくもくと食べる他のメンバーさん。
ベテランが多いからしょうがないのだけど・・わたしも皆さんに配りおえてから頂いたのですが、何となく、その辺は皆さん、もう少し気を遣いましょうよ、という気持ちになりました。
まあしかし
みなさん、西友さんの鰻を見てちょっと、お腹すいちゃったんですよね。
阪田くんとこ、こういうのもしてるんですね。
玉子焼きとのマッチング、美味しかったです。
ごちそうさまでした。
小泉先生は新幹線で京都駅に来られた
あと電車で高島までお越しいただいたようです。
その後、高島市長、地元選出の大岡衆議院議員とともに「畑の棚田」(はたけのたなだ、でなく、はたのたなだ、と呼び、市内の畑、という地区の棚田のことです)を見学いただいた模様です。
13時過ぎにお越しになり、控え室に来賓という名の色んな方が殺到するのを、笑顔と、話術と、思いやりで応対されていました。
撮影などをするために近くに居させて頂いたのですが、裏と表が(まあ、あるんでしょうけど)、本当に感じられない。
人に対しても(ないこともないんでしょうが)、分け隔てがない。
政治家になる人は、なるべき人はこんな人なんだろうなあ、と思いました。
少なくとも、高島市や滋賀県レベルのおっさんでは、醸し出せない「雰囲気」がそこには備わっていて、確実にオーラが在るんです。
13時半過ぎ、予定より少し遅れて、講演は始まりました。
最初に、萬木代表幹事から挨拶。
(今日はややギリギリ短めで、助かりました)
続いて、高島市長が小泉議員のスピーチ能力をべた褒めの上、「ようこそ」のご挨拶。
そして続いて、地元選出の議員、ということで大岡衆議院議員のウェルカムスピーチが行われました。
今回、大岡議員には小泉議員をお呼びするに辺り、確かにずいぶんお世話になったのですが・・
人気者を呼んでこられた立役者ですよ、というアピールがそこはかと垣間見え、あまり「然り気無さ」を感じられるものではありませんでした。
これはどうなのか、と思っていたところ・・
始まった小泉先生のスピーチでは、それらを見事に利用して、うまく人の心を掴まれます。
つかみとして
大岡先生の「良い意味での」空気の読めない発言に感心されたことを述べられた辺りで、聴衆の先程の心をマイナスからプラスに転じさせます。
そして
福井市長の「みなさん、小泉先生のYouTubeで自衛隊の学校の卒業式でのスピーチを見てください!」という発言には
「生のスピーチを聞いてくださいよ!」
とツッコミ、それはそうだと思わせる。
また、高島郡域時代の町名を覚えておいでになり、それと織り混ぜてさりげなく畑の棚田の話をして、市民の心をわしづかみ。
高島経済会の代表幹事のふたりの名前もきちんと織り混ぜてこられる。
嫌らしさが微塵もなく、上品で、エレガント。
素晴らしい。
「その地域でしかできないものを作りましょう」
「(選挙区が横須賀と三浦なので)東京、川崎、横浜、に勝とうとしてはいけない、と常々選挙区ではお伝えしている」
「その地域にしかできないものが、まちをすくう」
として、そのあと、地域創生の話題を具体例(島根の離島部のまちや、福島の炭酸水が湧き出るところでのハイボール振興)を交えて紹介いただきました。
しかも
専門分野である、農水省関連の話題をあちらこちらに織り混ぜてこられる。
神戸ビーフの、アメリカへの出荷の拠点は鹿児島にある、とか。
それを正すように、いま工夫をされている、とか。
各地を回られているので、話はやまほどある中で、おそらく類似の地域などを考えられ、わかりやすく説明してくださいます。
人生100年時代、に関しては「生き甲斐をもった人は強い」ということで、例えば米作農家の方の平均年齢が70才であることを挙げ、その事に絶望せず、逆にその年齢まで仕事ができることに喜びを感じればいい、と逆の目線のあり方を示します。
他の年齢においても、生き甲斐を見つけた人は強いし、キラキラしている、ということを、自身の周りの人などを例えにされます。
つまりは年齢ではないと。
そして最後には、自身の家庭のご事情をさらりと披露され、笑いを誘った上で、その上で地域愛をくすぐった上で、自分の思い入れを語られる。
あとで考えたら、一般論に近い、わかりやすく当たり前のことをおっしゃってるのですが、聞いているときにスッと腑におちる独特の感覚が、魅力的です。
約1000人の方には、本当によい講演だったと思います。
一方、現役の政治家の方には、人気も話術も長けている人が目の前に現れては、たまったものではなかったと思います。
ともあれ
わたしみたいに極度にインスパイアされた人を含む市民の方々に、「まちをかえる」意識を少しでも植え付けて頂いていたなら、本当に有り難いと思います。
感謝の言葉、川島代表幹事より。
長さはギリギリアウト。
ですが、普段より相当に随所随所を短めにされていて、例えばなしも分かりやすかったので、ギリギリセーフ。
川島代表幹事、お疲れさまでした。
小泉さんがさらに偉いなと思ったのは、最後には、ホールに出てこられて残られた方と出来るだけ握手をされたことです。
スマートなんですよ、それが。
見習うべきことが多すぎて、勉強になりました。
最後に、高島経済会のメンバーとも記念撮影に応じていただきました。
萬木代表幹事とは、息子さんとの撮影の際「親子で撮りましょうよ」と約束され、社交辞令でなくそのあと実際におとうさんも招き入れ、撮影される姿は、おそらく萬木代表幹事の心にも刻み込まれ、お宅の家宝になるのでは、と思います。
小泉先生、寒い中、高島まで本当にありがとうございました。
お見送りをしたあと、後片付け。
この後、小泉先生は富有柿の産地である今津町のカキ農家さんを訪ねられたそうです。
勉強熱心さには、頭が下がる思いです。
寂しい会場の中で、片付けます。
最後に、代表幹事、担当委員長の才川くんが話をしました。
なんとか終わった中、才川くんが無事に大役を果たされてくたくたなのがよくわかりました。
才川くんには、今回はさらに能力を上げる良い機会だったと思います。
改めて、人に振る範囲と、自分で進める範囲の住み分けを考えられる機会になったのではなかろうか、と思います。
いつもシニカルで、それでいて口下手で、人が思うよりは不器用で、なおかつ熱い部分を持っている才川くんが、更なる飛躍をされることを祈ります。
次は・・
組織は変わり、高島ロータリークラブの40周年の副実行委員長だとか・・?!
頑張ってください。
そして今回、とにかく「陰」となり続け、最後には燃え尽きていた朽木さんと、伊香さんの事務局コンビのお二人には大変お世話になりました。
これからも、高島経済会の発展と、それに基づいた地域全体の盛り上がり(これがないと意味がないのです!)に我ながら祈念と期待を致しつつ、これからも「出来ることをする」基本理念を変えず、頑張って参ります。
さておき、お世話になった方々、ありがとうございました。
その後
高島市民会館を出たあと、わたしは家族と合流し、LED電球を買い、家庭の用事をひとつ、果たすことができました。
大所高所もいいですが、わたしはやっぱり、子どもと手を繋いでいるときが一番安らぎます。
しかしながら
その子どもの将来のため、大所高所での活動が必要であるなら、やはりそれはそれで、身を粉にしないといけないのかもしれません。
にわとりが先か卵が先か。
今日は少し眠いので、明日以降、また考えていきます。