2016年3月23日、報告会、例会、お仕事。 | 滋賀・高島の機屋・サダ杉岡のブログ

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滋賀の高島という地域で機屋をしている今年53歳の男のブログです。
仕事のこと・家族のこと・日々の日常で感じたことなどを綴っております。
大したことは書いておりませんが、それでもよろしければご覧ください。

現場がとても忙しい最近。


社員さんに心でお詫びしつつ、朝9時前から会長とわたしの双方が、「高島ちぢみ」海外展開の報告会へ参加させていただきました。


本日のイベントは、今年度の一年弱をかけて行われたインドネシアとマレーシアへの海外展開の成果を報告するものとして、市の主催で行われました。


我が家、いやわが社としての問題は・・


前述、会長と社長の二人が出ていくという物理的なこともあったわけですが、それ以上に親子ともが話す機会を与えられている、という何とも恥ずかしい機会がたくさんあったということです。


福井市長のご挨拶のあと、僭越ながらわたし、皆様にご挨拶をさせていただきました。





わたしの立場は


海外展開の事業の「リーダー」ということで、まあ確かに話さなくてはいけないのかもしれませんが、正式にはなんの役職も無いわけなので、しれーっと「なにもしない」訳にはいかないのかな、と考えていたのですが、やはりそういうものでもなかったみたいです。


何ヵ所かトチりつつ、紙に書いたものを無事に読み終え、降壇させていただきました。


それから


市役所からの報告、コーディネーターさんからの報告、などなどを経て、休憩に入りました。










休憩中、飾っていた生地や製品などを見ていただき、我々事業者は、パネルディスカッション形式のトークに備えます。





わたしなどは一度舞台に出たのにまた緊張をしていたので、他の若手事業者さんなどもやっぱり、大変だったと思います。





それでもなんとか、してきたこと、考えていることをそれぞれの目線で話すことができたこと、そしてそれらをお越しの方々と共有できたことは、今回のイベントの大きな収穫だったのではなかろうかと思います。


一年、やはり大変だったことも多かったです。


単に時間の拘束のみならず、市の思惑を感じつつ、コーディネーターさんとの方向性を擦り合わせ、なおかつわたし個人の色を出しすぎる訳でなく、組合の有志で動かなくてはいけないという縛りもあり・・。


でもなぜか、あまり不安を感じる事はなかったのです。


わたしの元々の性格にもよるのでしょうが、海外へ行き、知らないところへ出向き、知らない方に自分の仕事の生産物である「高島ちぢみ」をPRしてくる作業は、苦ではないどころか、非常に楽しかったです。


幸せだと思ったのは


既に独自で海外へ展開されている事業者さんや、これからしようと思われている方々に比べたら、本当に恵まれていたと思うわけです。


また


わたしの考えでは、自分の仕事のことを、自分自身でアピールしないで、誰がするのか?と考えた際、住んでいるまちから「海外へ出向いてPRしてください」と言われた今回のプロジェクトのような、いわゆる好機に乗らない理由は一個もないわけです。


ですから、今日の報告会では、その観点からと、地域名を冠した商品、ブランドを扱う有り難さ、それと同時に感じる責任感を、そのまま後半ではお伝えしたような格好です。


嬉しかったのは、わたしだけでなく他の事業者さん、関わっていただいた銀行さん、商工会の方にも、かなりの熱を持って話していただいたことです。


来年度も参加できることになれば、また頑張ってやりたいなと感じる、報告会となりました。


パネルディスカッション後、最後の締めの挨拶は、組合の理事長を現在している会長=親父さんの出番となり、適度に力の抜けた挨拶が、妙に周りの方に好評で、終わってから皆さんに


「おとうさん、じょうずやったなあ」


などと言われ、有り難いというか、ひたすら恥ずかしい思いをしました。


まあとにかく


親父が理事長で、息子が事業のリーダーという、数年前の韓国ドラマのような、当事者としては厳しめの設定の今回を、無事に乗り切れて良かったです。


終了後、リーダーのくせにわたしは片付けもできず、本日行われるロータリークラブの例会に出席すべく、12時13分の近江今津行きの電車に乗るため、会場を後にしました。


皆さんすみませんでした。


そして有り難うございました。


這う這うの体で着いた例会でも報告事項があり、自分のバタバタ具合にあきれつつ、いつも通り、可以登楼さんのご飯をいただきました。


大盛りのご飯+普通もりのご飯、おかずの魚×3。





ゆっくり食べる時間がないので、これ以上増やされると死んでしまうかもしれません。


それでも


ごちそうさまでした。


本日の卓話として


野崎先輩の「パソコンが付きそうで付かない」というネタを織り交ぜた、不動産鑑定士さんならではの情報に満ちた漫談、いやスピーチを拝聴しました。






本も出された、そしてそれをもとに各地へ講演にも出向いている、ということにわたしは大きな感銘を受けました。


「覚えたら忘れるので、決められたことは話さない、その時浮かんだことを話す」


それを四時間も出来る野崎さんは、スゴいです。


その後、委員会を開催させていただき、ようやく帰社することができました。


14時半過ぎに帰社し、17時半前まで現場に入り、ややこしい規格の織りを進めます。





なかなか織れないんです。





そろそろ閑散期に入ったものの、こういった規格のものが出てくるのは本当にツラいですが、仕事なので頑張ります。


18時からは、昼間行われた「海外展開の報告会」の打ち上げとして、事業者の我々と、市役所の担当課の方々を中心に集まり、会費制にて簡単な会食をさせていただきました。





こちらも


わたしが司会進行、会長=親父さんが最初の挨拶という、なかなか厳しめの親子ゲームでの設えとなりました。


試練です。


また、今月末で退職される市の担当の部長さんの慰労も兼ねられた会となり、乾杯のご発声をお願いさせていただきました。





本当に楽しい会で、車座になって話し合ったり、色んな事を思い出したり、よい会だったと思います。





来年度以降はどうなるのか、わからない部分が多々ありますが、事業者のひとりとしてPRの機会があれば、得るべきだと改めて実感した夜となりました。


皆さん、お疲れ様でした。


会長=親父さんが、色々あった上での酒席で久々に盛り上がってきた中、こっそりわたしだけ後にして、ロータリーの方々と合流させてもらいました。





そして、本日三度目の「お腹いっぱい」になりました。


ごちそうさまでした。


まさかそこに、会長=親父さんの一団の数名がやって来るとは思いも依らなかったわけですが、先に居られたロータリーの方々には本当に申し訳御座いませんでした。


ということで


本日は、とことん「親子の日」でございました。


親父さんが楽しそうにしているのを間近に見たのは、しばらくぶりだったかもしれません。


わたしは、出来た息子ではないので、これを「幸せ」とは思えませんが、子としては有り難いことだと思います。


元々は、わたしなどより余程、外の世界に出慣れている部分もありますし、世間様に愛されている向きもあります。


こんなに元気なら


もう一度


社長に戻ってもらおうかしら・・


などと思いつつ、マスダ社の増田専務を駅前までお送りしたあと、生まれて始めて親父さんと一緒にタクシーで家まで帰りました。


良い思い出となりました。


その思い出を胸に秘めて


明日からも、頑張ります。