「ブスは死ね!」って、本のタイトルはひどい(笑)。今日は、「ブス」についての考察です。日本語の「ブス」は顔の作りだけではなく、ブスッとしていて態度が悪いから、「ブス」と呼ばれるのだとも言います。

 

アメリカに長年住んでいると、アメリカ人の女性たちと比べて日本の女性は「美」へのこだわりが強いとつくづく感じます。

 

 

そして、日本人の男性は、女性の外見で価値判断を細かくする傾向があると思います。特に、日本では口の悪い人(有吉のような?)が「うるせえブス!」とか言うことがありますが、この言葉は英語に翻訳が不可能な言葉なのです。なぜかと言うと、英語圏では誰も使わない言葉だからです。

 

こちらに長年住んでいて、誰かが人に対して「あんた、醜いな」などと外見について本人に言った言葉を聞いたことがないのです。アメリカなどで、きれいな人に対しては賛辞は送りますが、ブスは無視(笑)。というか、完全無視。存在しないものように扱われます。ブスをブスと言ったら、自分が「性格悪い失礼な人」と思われて評判を下げるだけだから、誰も言わない。だから、特にブスだからという理由で暴言を吐かれることはないのです。確か、グイネス・パルトローが肉襦袢を着て太った女性の役をやった時に、その姿で外を歩き回ってみたら、周囲から自分を存在しないかのように扱われて衝撃を受けた、と言ったのを聞いたことがあります。

 

 

しかし、日本では、ブスをスルーせずに虐める傾向があるから、それを防ぐために、ブスこそ頑張って少しでもマシに見られ、不利にならないように頑張るのかもしれません。一般的にアメリカ文化では、「ブスでも努力して美人に見せる」とか「少しでも可愛くなろう」とか「女子力アップ」的な考え方自体がほとんど存在しません。それは、ブスであっても、特に困らないからかもしれません。

 

アメリカのように男女平等が行きすぎると、学校や職場での服装や行動などもほぼ男女変わりない状況になっています。特に私が住んでいるシリコンバレーのIT企業の社員などは男女共にジーンズにTシャツかセーターというようなユニセックスな格好をしています。私も周囲に合わせて職場ではジーンズなのですが、何か化粧が日本人ぽいためか分かりませんが、時々、人の視線を感じるくらいなので、悪目立ちしないためにできる限りフェミニン過ぎる格好や化粧はしないようにしています。こちらでは「ブスが頑張っちゃってる」風に見えるのが一番痛いとされているので…。

 

日本の文化とアメリカの文化では、ブスに対する扱いがこんなにも違う(笑)。

 

「どちらがいいか?」と考えたことがなかったので改めて考えてみましたが、私は総合的に判断すると日本の方がブスにとっては長い目で見て親切なのではないかと思います。なぜかというと、アメリカだったらブスはブスとしてスルーされるだけで、暴言も吐かれない代わりに「もっとキレイになるように努力すればいいのに」という期待や励ましさえももらえないわけです。

 

それに比べたら、「おい、ブス!」という日本人の方が、親切な気さえしてきます(笑)。そういう風にはっきり言われて傷つく面があったとしても、「ブスなんだから、せめて清潔にしてファッションくらいはちゃんとしよう」とか思うかもしれないではないですか。「ブスは死ね」という極端なタイトルの本の中身も、文字通り「ブスを抹殺せよ」という意味ではなく、実は「美人育成」を行っている女性が自分を「私はブスだ」と思っている女性たちへの励ましなのです。

 

 

武田久美子さんは、「女は美人と認識されると、一生で合計すると三億円得をする」と言っています。子供の頃から「お嬢ちゃん、可愛いね」と言われて飴をもらうところから始まるのだと仰っていますが…。

 

しかし…。

 

「何が美人か」という基準は、文化によって違うので、キレイになれるように努力することも一つの手ですが、美人の基準が違う文化に引っ越してみるというのもアリではないかと思います。例えば、グアムやニューギニアなど、太平洋の島々やアフリカ諸国などではぽっちゃりした女性が美人とされているので、平均的な日本人の女性は痩せすぎで魅力がないブスとされます。

 

そういうわけで、美人とかブスなどというラベルは、自分がいる文化の価値観によって基準が変わってくるもので、世界共通の絶対的な物差しではないということです。