痛い日記 -25ページ目

エデンの住人

昔誰かの本で、美しいものに感動するのは自分が汚れたからだと読んだ。
子供はそれ自体がピュアで美しいものだから、いちいち美しいものに心が動かないのだという。

思えば子供のころ、自分より小さな子供や動物なんかに興味がなかったし、
ドラマや本にも心を動かされなかったし、
努力・友情・勝利とか、綺麗な景色とか、とにかく今なら目頭が熱くなるような美しい様々なことがらに、全くの無感動であった。
あれこそ「純粋」であった。

母親の絶対的な愛に包まれ、美しいものにだけ囲まれて、当たり前に幸福を享受し、
他人や世間に興味を持つこともなく、わたしの世界は完成されていた。

なんにせよ、持てる者は無自覚で、無邪気で、悪意なく傲慢だ。
全身全霊で祝福を受け、感謝など知らない。
純粋とはサイコパスと紙一重だ。


何も知らぬ子供のころはきっと幸せだったのだろう。
でも、純粋さを失い、汚れたからこそ見える光がある。
孤独を知り、他人を知り、現実を知り、自分がいかに祝福されていたか、知ることができる。
そして、愛を識る。
イエスも言っている。
「幸いだ、貧しい者は。幸いだ、飢えている者は。幸いだ、泣いている者は。」
人類は、望んでエデンを出たのかもしれない。

我慢を知らずに育ちました

みんな気が長い。

片思いの時、いつもその人のことを考えて、ケータイが鳴るたびに心臓跳び上がるほどドキドキして、会えた時には天にも昇るような幸福感があって…
わたしだってそういう思いを知ってる。

だから不思議でしょーがない。みんな気が長い!

水商売の男だろうと昼職の男だろうと、わたしが片思いしてるときは、
会いたくて会いたくて我慢ならんくて、ホストならば毎日行った。
許される相手ならば、ドキドキを楽しむプロセスとかすっとばしてさっさと好意を示してさっさと会ってさっさとセックスした。
付き合ってからだって毎日会いたい。飽きるくらいでちょうどいい。

みんなほんと気が長いよね。
好きな人と抱きしめ合えない関係なんて時間の無駄だし、どうせセックスするのに進展を惜しむのは機会の損失だ。

じらされて気持ちいいとか、我慢したぶん幸せとか、会えない時間が愛育てるとか、ぜんっぜんわからん。

もちろん別れるときも思いついたら速攻です。

悪い見本

そりゃ身銭切ってねーんだから一年も二年も進展しない女とへらへら楽しく飲めるでしょうよ。
そんなに好きでなんとかしたいなら一人で飲みに来てみろよ。金も気持ちも続かねーと思うよ。
わたしが取り持つとか冗談じゃないわ。

わたしたち小娘がホスト覚えたてのハタチのころだって、自分の金で飲む楽しさを知ってたけどね。
いい歳こいたおっさんがばかじゃねーの。
人の金であそこまで偉そうにできる神経がわからん。ううみっともない。
好きにさせてる連れもどうかと思うわ。

あんなもん「お客さん」の風上にもおけんね。
あんなもんににこにこサービスしてたら、ちゃんと金払ってる他のお客さんに申し訳ないわ。
調子のんなよほんと。