sachiのブログ -2ページ目

sachiのブログ

「一人ひとりがそれぞれに自分らしくいられる場」をつくる人
でありたいなあと思いながら働く日々を綴ります。


新年です。

2009年の後半は「公開して書くこと」から大分離れました。
自分が読む非公開ノートにはこれまでの2倍文字が書かれているけど、
誰かに発信するための文章は極端に減りました。
ツイッターという比較的発信しやすいツールでも
やはり呟くことは少なかったなあと思います。

それは、ぐちゃぐちゃ、ぐるぐる、もやもや、そわそわしたものや、
何かしら頭では気付いてはいるけれど自分の中に「落ちて」いないもの、
そういう言葉にならないものが自分の中に渦巻いていたからだな、と思います。
きっと今は、書いて公開する時期じゃないんだろう。

2010年も、このブログは中々更新されなそうです。
でも、2010年夏ごろには復活しそう。

今年は、色々と行動しながら、
非公開ノートに色んなことを書き記しながら
自分のよわい/やわらかいところと
じっくり話し合う年になりそうです。
そういうやわらかいところが、どうも、仕事のアウトプットや
周りの人との関係性に影響しているようであるので。

人のことを考えるまえに、自分ときちんと付き合えるようになろう。
いいよね、自分本位で思考が展開したって。だってまだ若いんだし(笑)


さむい、さむい、さむいのは、苦手。

今日はどうしたことか、12月初旬の気温だという。冬は苦手だ。
着込めばいいんだから、夏より冬のほうがいいじゃないと友人に言われるけれど
ちがう。そういう問題じゃない。寒さは、生命力を奪われるようなかんじがするのだ。


けれどいつもこの時期になると思い出すのは、
フローレンスインターン時代のせんぱい(私は個人的に「お姉さん」だとおもっている)人と、
「寒いねー」と言いながら、夜ご飯を食べに八丁堀の万豚記まで歩いていった日のこと。
月曜の夜で、その日も木枯らしが吹いていて、もうなんというか
やめてほしいぐらい寒い日だった。

そのときに、「どの季節がすきか?」という話になった。
私は、寒くなきゃなんでもいいというように、冬以外のどれかの季節を答えた。
その人は、にこにこ笑った。

「そっかー。でも私ねー、冬って好きだよー。
冬の寒い朝とかにさ、すうって息を吸うと、
鼻からスーッと冷たい空気が入っていってね、すごく気持ちいいんだよー。」

その人はそう言って、深呼吸するみぶりをしてみせた。
その真似をして、私も鼻から息を吸い込む。
冷たい空気は体のおくまで染み渡り、
暖房の聞いた部屋でぼうっとした頭をパキっとさせる。

その人はもうフローレンスで働いておらず、
ここから遠い広島に行ってしまったけれど
寒い朝は深呼吸をして、そのひとのことを思い出す。
冬の寒さをゆるせるようなやさしい気持ちになって、
いつも「寒い」と文句だけ垂れていた自分を、はずかしくおもうのです。
今回、とあるワークショップに参加した。
大切な友人が運営に関わるワークショップで、
他にも大事な友人・知人が参加しているとても楽しみにしていたものだった。

そのワークショップでは、ファシリテーターが言いたいメッセージもわかったし
言っていることも理解できるしまあ共感もした。
けれど、そのワークショップの場の持って行き方がどうにも苦手で、
ひっかかるものを感じた。

ワークショップの中では、とあるゲームを参加者みんなでやって終えて、
最後にファシリテーターが「実はあのゲームにはこういう意味が」と種明かしをする。
参加者が唸る。「そうだったのか」と驚く。
ファシリテーターは、ほらあなた実際にこういう動きをしちゃってましたよね、
とその皆の経験を根拠に講義を始めていく。自分の話に持っていく。

うーん、なんというか、すごく乱暴に人をその場に押し込めているかんじがして
私はなんとなく居心地が悪かった。
「ゲーム」には、その中の独自ルールがあるから、
人を「ゲーム」のルールに従わせる強制力を持っている。
その強制力の下で「ほらあなた(いつも)こうですよね」と言われても
なんだか腑に落ちなくってきもちわるい。

そのゲームで考えさせること、伝えたいメッセージは良いのだ。
とても本質的なことを言い当てていると思う。
でもその場の作り方、持って行き方、
「ゲーム」に「ひっかかった」ときの参加者のびっくりした表情を見たときの
嬉しそうなファシリーテーターの顔。色んなものがひっかかって離れない。

一方で、自分を疑ってしまうときもある。
私は彼らのメッセージを本当には受け取れていないから
そんな「場のつくりかた」にいちゃもんつけているのかもしれないし、
これも彼らの言う「固定観念」や「考え方のくせ」なのかもしれない。
自己否認モードに入りつつも、やっぱり「場の作り方」にはどうにもひっかかる。

「ファシリテーターやカウンセラーはそうやって、人を操ることができるんです」 と、

静かに呟いた橋本久仁彦さんのたたずまいを思い出す。
ワークショップの罪をかんじてしまう。