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the art,music and subculture.

趣味に関する日記というか記録というか、そんなとこです。

 
またもやゴッホですよ。
 
でも今回はゴッホ展ですからね。
 
 
神戸展は「阪神・淡路大震災30年」と銘打ってますからね。
 
 
気合十分ですよー😤
 
 
なのでこちらも少ない有休を活用して、気合十分で木曜日に行ってきました❗️
 
 
ところが、ついつい気がはやって午前10時半に現着してしまい。
 
 
 
 
 
平日なのに行列。
(建物をぐるっと囲むように並んでました)
さすがゴッホ展。
 
 
んじゃ久々に神戸に来たことだし、その辺うろついてから再訪すっか〜と12時過ぎに行ったところ、列は解消してました。
 
 
でも、中はまあまあな混雑ぶり。
もちろん、ゆっくりのんびりなんて鑑賞できません。
 
 
昔は人気展でも平日は比較的空いてたんだけどな~😭
 
 
目玉の夜のカフェテラスを最前列で観るため専用の(てか、写真を撮るための)行列もあり、15分程で作品の前に到達したけど、絵の前には3秒程度しかいられない。
 
 
この方式は、フェルメールの真珠の首飾りの少女の来日以来かな。
あのときは写真不可だったけど。
 
 
あ、後で後方からじっくり鑑賞できるのでご安心を。
ただ、私のときは凄く混んでました😅
 
 
 
 
 
今回の展覧会は、ゴッホがこの夜のカフェテラスへたどり着くまで、「誰もが知るファン・ゴッホになるまで」をたどる構成となっています。
 
 
短い画業後半の、アルル時代の直前にゴッホは豊かな色彩に目覚め、傑作の数々を生み出すに至ったという。
 
 
やっと私らの知ってるゴッホになったね〜
 
と、展覧会では、アルル時代の作品を観た奥様方が嬉しそうに私の背後で話しておられました。
 
 
奥様方がそういう感想をそこで抱けたということは、展覧会の企画意図がドンピシャにハマったということです。
 
 
ただ、「やっと」とな…❓️


それを聞いた私は、画業前半の、働く人たちを暗めの色彩で繰り返し描く素朴で土着的な画家としてのゴッホが、なんだか急に愛しく思えてきた。
 
 
いつかも書いたけど、ゴッホが本来目指したのはそっち側だったと私は思っている。


何かと情熱や狂気で語られがちな彼が労働者達に向ける視線は、穏やかで優しい。
(作風の変化は芸術家的には当たり前なので、そっち側論は単なる私の妄想です)
 
 
私はこれからもっとそっち側のゴッホを知りたい。
あの奥様方にももっと知ってもらいたい。
 
 
…なんて、なんか勝手にそっち側のゴッホ応援団みたいな心境になってました。
 
 
それだけ夜のカフェテラスがそっちとこっちを分ける的な、インパクトの強い素晴らしい作品だということなのでしょう。
 
 
使ってる絵の具は黄色とか派手だけど、作品全体としてはどこかうら寂しく物哀しくも見える。
一方で、一日の終わりの穏やかで温かい空気感も漂っているような。
不思議な魅力のある作品だと私は思いました。
 
 
 
缶バッジ集めるのが趣味。
 
 
インパクトのあった夜のカフェテラス以外の作品は、あまり印象に残っていないなぁ。
 
 
ゆっくり観られなくて、心への焼き付け作業を行う精神的ゆとりが持てなかった。
どれだけ混んでいても眼前の作品に集中できる胆力がまだ養えてない。反省😓
 
 
ちょっとした感想を強いて言うと、以下の2つ。
 
1.私の好きな「ゴッホが描いたお花の絵」が数点あったけど、観たことあるやつとあまり好きになれない感じのやつだった(個人の好みの問題)
 
左《野の花とバラのある生物》1886-1887年 
右《青い花瓶の花》1887年
下《バラとシャクヤク》1886年
 
 
2.新印象派のスーラやシニャックの技法を真似して点々で描いたレストランの絵で思わず吹いた(ごめん)
 
《レストランの室内》1887年
 
いや、だってね、こないだ読んだ評伝では、ゴッホという人は癇癪持ちで飽きっぽくて気難しくて、仕事も恋愛も人間関係も、絵を描くこと以外は何一つ全うしてないのよ。
 
 
そんな人がどれだけの忍耐力で他人の真似をして最後まで点を打ったのかと思うと、なんか笑えて泣ける。(ごめんって)
 
 
 
 
 
アルルの跳ね橋に展示替えとなる後期では、どれだけ混んでいても作品に集中しよう❗️
 
 
と、鑑賞後の一人反省会で私は固く誓いました。
 
 
反省会場は、駅の高架下の「茶々」。
私の大好物であるオッサン御用達系の居酒屋ですが、ランチとかなくて平日の昼間からガッツリ飲めるし、料理が本気なので超オススメですよ〜
 

 

 
太刀魚の炙り
 
たこの旨煮