高野山、再び(6) | (続)ワタシ、サビてます。

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個人の日々の”よしなしごと”を、ただ綴っています。

ようやく「梅雨入り」が宣言された。例年より10日ほど遅いと。

雨天を心配した高野山への旅は、梅雨入りが遅れたお陰で晴天に恵まれた。

奥之院備忘録の続き。

奥之院参拝は、宿坊でチェックイン後と、その翌早朝5時半の2回。往復約4kmなので、結構な運動となる。

早朝の気温は約10℃、空気が凛としている。

 


 

燈籠はまだ灯っているが、鳥がさえずり、木々の間から朝陽がこぼれ、1日の始まりを感じる。

 

奥之院の御廟は、まず拝殿の「燈籠堂」を正面から入り参拝し、順路に従い、お堂裏の弘法大師が入定した「御廟」を参拝する。順路をさらに右回りで進み、そのまま歩き去る人も多いが、燈籠堂の「地下法場」へ行くべし。ここは、地下霊窟で座して瞑想を続ける弘法大師を、正対した位置にて拝むことができると言われている。

信仰を持たない私なので、寺院等の参拝の際、「お邪魔させて頂き、ありがとうございます」と、心の中で言うことにしている。

 

さて、早朝に奥之院を訪れたのは、「生身供(しょうじんく)」を拝見させてもらうため。これは、大師入定後、毎日午前6時、10時半に、欠かさず続けられてきた、大師へ食事を運ぶ儀式。


(食事を作る御供所)

 

(嘗試地蔵:大師様のお食事を味見する)

 

御供所前で待っていると、美味しそうな香りが漂ってくる。嘗試地蔵の前へお食事が運ばれ、儀式が始まる(野菜など、その日の食事の一部がお供えされていた)。

 

 

御廟橋より先は、撮影禁止。橋の前で一礼してから渡って行く。

 

 

御廟(燈籠堂)へ運ばれる後を、約30名ほどの参拝者が追従。食事がお供えされ、その後、朝の勤行が始まるが、僧侶の方に外陣へどうぞと勧められ、塗香で掌を清め、約45分の読経の様子を拝見させて頂いた。

各宿坊でも朝の勤行参加は可能だが、御廟拝殿での勤行参加は、なかなか貴重な体験となる。生身供の儀式もそうだが、信仰の無い私には、現実と非現実の狭間を”見学”しているに過ぎないが、それでも、良い1日の始まりを頂いたと、素直な気持ちになれた。

 

奥之院から恵光院へ戻り、寺の「毘沙門堂」で護摩祈禱に参加させて頂いた。宿坊の部屋には護摩木が置かれており、前夜まで祈祷を受付けている。

 

 

私は2度目の加持祈祷(過去記事3)。宿坊の宿泊者が参加するので、ほぼ8割は外国人の方。日本の密教の儀式が、彼らの目にはどう映っているだろうか?

有難い煙を頂き、朝食も頂き、9時前には宿坊を出た。

バスを待つ間、バス停前の「苅萱堂」に入り、”石堂丸伝説”の物語を、彫刻絵で拝見。浄瑠璃や歌舞伎の演目でもあるようだが、ざっくりストーリーは、妻と妾の”女の嫉妬”が元で出家した父を、その子が尋ね、親と名乗れるまま、生涯、師弟として仏に仕えるという悲話。この物語をベースに高野山周辺を観光する人もいるようだ。


心のデトックスが出来た高野山1泊2日旅備忘録、続きは、こぼれ話。