高野山、再び(4) | (続)ワタシ、サビてます。

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高野山「宿坊体験」備忘録。

今年3月下旬から始めた高野山旅行計画。宿坊探しは「奥の院に近いこと」が私の第一条件。その他条件を総合的に考え、13年前と同じ、恵光院さんにした(過去記事1)。

 

宿泊プランに、写経、精進料理、朝の勤業はもちろん、護摩祈祷参加や、阿字観体験が含まれるのは良い。

 

 

(襖絵:高野純子氏作)

 

(「如意宝珠」の宝来飾り)

 

宝来は、稲藁の入手が困難だった高野山で、正月のしめ縄の代わりに飾られてきた切り紙。縁起物、干支などの図柄の宝来が、御堂や玄関前、仏壇、床の間等に飾られている。

如意宝珠は、全ての願いを叶える玉で、サンスクリット語では「チンターマニ」というらしい。小学生が喜びそうな響き。

 

(コンパクトな6畳和室で、1泊2食付き19000円/1人)

 

スイートルーム、特別和洋室、上級和室、バス・トイレがない通常和室、コンパクトな和室と、前回(一人で広縁付き8畳間に宿泊)から、だいぶ改装されていた。
 

午後2時にチェックインし、徒歩2分という近さにある奥の院へ散策に出掛け、4時半からの阿字観体験までに戻って来た。

 


 

(阿字観道場)


 

前回と同じ道場かと思い行ってみたが、「日本語で体験する方は本堂へ」という案内があり、本堂へ。外国人旅行者の増加がうかがえる。
 

 

(阿字観御本尊)

 

月と蓮、梵字の「ア・阿」=大日如来。

阿字観は、この「阿」を観想して行う。「”阿”は始まりの文字であることから、本源を表わす文字で、「本不生」という意義を持つ。本不生=元より生まれてもいない、だから終わりもない=それが宇宙の真理である」というような説明をいただく。深く考えても「どういうこと?」となるので、阿字=大日如来=宇宙で、瞑想により宇宙と一体となり、悟りの境地へ向かう、と、ざっくり飲み込むことにした。

胡坐の姿勢、ドラクエのスライムみたいな形の”法界定印”を教わり、阿字観の最初の段階”数息観”(息の出し入れを1回とし、10まで数えたら1に戻る)を体験。


呼吸にだけ意識を集中するというのは、難しい。気付けば、10を越えて数えているし、慣れてくると数えながら他事を考えているし。ただ、にぃさんは、数息観でリラックスできたと言うのが意外だった。

宗教的な”悟り”を拓くというのが、どういうことか分からないが、心の平穏が得られれば、人に優しくできそうである。


阿字観体験後、夕食の前に、私は写経をすることにした。



前回の写経はボロボロに終わった(過去記事4)ので、再挑戦である。最初は文字にとらわれ過ぎて、上手く書けない。般若心経自体を知らないので、なぞり書くという”作業感”を生むが、書き進むと、なるほど、と、分かってきたような気になるのは不思議。

ただ、「空」という字が何度も出てくると、何かが引っ掛かる。

 

 


「空」が、実は、パンダの象形文字で、「空空」は、クゥクゥという名のパンダを表わしてるんじゃ?とすら思えて来た。

 


 

般若心経の基本「空」の思想を説いているのに、空の字に雑念を抱いてどうする・・・。

本来は「色即是空・空即是色」で、この世の全ての物事は実体がない「空」であり、その「空」であるものが、この世のすべてという意味。「空」がパンダだったら、この世のすべてがパンダになっちゃうじゃん!

 

罰当たりな邪念を何とか振り払い、最後まで書き終えた。「筆ペンで文字を書くのが苦手だ」というにぃさんは、写経しなかったので、般若心境を正しく知ってから写経しようと、持ち帰らせてもらった。


(夕食、朝食の精進料理)

 

精進料理は、肉、魚、卵を使わず、匂いの強い葱やニンニクなども使わない。味付けに変化があり、お腹も満足。ご馳走様。

日本最古の宗教都市として、20年前に世界遺産となった高野山でも、各寺院の檀家の減少、参拝者の減少、地域の少子高齢化で、いかに人々を呼び込むかが課題であると聞く。

 

その様相を、次回の備忘録で綴ってみたい。