高野山、「壇上伽藍」見学備忘録の続き。
午後1時、壇上伽藍の境内に入ると、響き渡る梵鐘の音と、その長い余韻で生じる、波動のようなものに包まれた。
(大塔の鐘 ”高野四郎”)
毎日、午前4時、11時、午後1時、6時、9時の5度、全部で108回、鐘が突かれている。
鐘楼の「貫」の上に石が並べてあり、鐘を突くごとに、石を動かして数えていると思われる。
”海に太郎、奈良次郎、吉野三郎、高野四郎”と、どなたかの名前のような言い回しがあるらしい。”海に~”は、唐から運ぶ際に海に沈んだ巨鐘、奈良=東大寺、吉野=世尊寺と、その当時鋳造された鐘の大きさ順に付けられた俗称のようだ。高野四郎は、かつて次郎で、奈良は今では太郎になったりと、変動があるようだが(笑)。
壇上伽藍の建物は、この梵鐘を含め、大火で焼失するなど、再建されたものも多い。高地であるが故、落雷による火事が多かったよう。江戸時代には、木曽五木ならぬ、高野六木が定められ、寺院の修繕以外の使途での伐採を禁じ、森林保護を図ってきた。
(三鈷の松)
空海が唐での留学を終え、帰国する際、「会得した密教を広めるに相応しい場所を示して欲しい」と、三鈷杵を投げたと言われている。そして、それが引っ掛かっていたという伝説の松が「三鈷の松」。
この木の下で三鈷に因んで「三葉」の松葉を探し、幸運のお守りとして持ち帰える人も多いらしい。
木の下で「私、結構、すぐに見つけられるのよ~」と、我々が探す先を回りながら、何本も拾い上げる女性に遭遇(汗)。にぃさんがやっと見つけたが、画像におさめ、その場に戻してきた。
ところで三鈷というのは・・・
(壇上伽藍「中門」の表側、持国天像)
右手には剣を、左手には三鈷杵を持っている。金剛杵(独鈷、三、五、九鈷)は、元々、インドの神話にある武器らしいが、密教やチベット仏教の法具として使用されている。五鈷は、クレーンゲームのアームの先っぽみたいな形状。土産物屋で、法具としては勿論、ミニチュアのストラップが、お守りとして売られているのを見かけた。
(私が昼食後のエスプレッソで描こうとした三鈷)
下画像は、壇上伽藍の中門の多聞天。門の内側の左右には、残りの四天王メンバー広目天、増長天の像もある。
四天王のリーダー、多聞天(ソロ活動する時は、毘沙門天)は、「宝塔」を持っていた。四天王像の持ち物は、”広目天だと「筆と巻物」を持っていることが多い”と、それぞれ傾向はあっても「絶対にこれっ」というわけではないようだ。それぞれが守護する方角が決まっているので、その立ち位置で見分けよ、ということか。
四天王だけで沼落ちしそうなので、ここらで止めておこう。
(大塔の鐘の音)
次回、まだまだ続く、高野山備忘録。