高野山、再び(2) | (続)ワタシ、サビてます。

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個人の日々の”よしなしごと”を、ただ綴っています。

仕事で忙しいと予想していた4月~5月。そのため6月になったらデトックスしようと、早々と高野山行きを計画していた。

2011年に一人で行った高野山。実は、(本人は覚えてないだろうが)にぃさんに腹が立ち、「家出してやる!」と、出掛けた旅行だった(笑)。

一人旅の気楽さも良いが、(途中で喧嘩にならなければ)道連れがいるのも悪くない。

昼食後、最初に向かったのは、壇上伽藍。弘法大師空海が、開山の際、最初に造営に取り掛かった修行場。奥の院と並び、高野山に行ったら、訪れるべき聖地と言われている。
(参考:高野山真言宗 総本山金剛峯寺HP
 

前回の旅のブログでは、訪問先で見聞きした事を詳細には記していなかったが、今回は、多少なりともまとめてみたい。

 

壇上伽藍には19ものお堂があり、「中門」もしくは「蛇腹路」から境内に入ることができる。


(蛇腹路)


 

(大塔)


 

前回の旅では大塔内を拝観したが、今回は外観のみ。

 

塔内部は、御本尊である(胎臓)大日如来を囲むように、(金剛界の)四仏や菩薩が描かれた柱や壁で構成され、寺院などで見る平面の曼陀羅図を、立体的に表現している。

 

(西塔:大塔と対となる多宝塔)

 

大塔と同じく、(金剛)大日如来を中心に、曼陀羅の世界観を表現する構成になっているらしいが、真言密教(というか、仏教全般に関して)知識が乏しい私には、すぐには理解できない情報が多過ぎる。

13年前、高野山の金剛峯寺を訪れた際、2種類の曼陀羅図について解説してもらったことを、ちょっと思い出した。

ざっくり復習すると、真言密教の世界観を表わした図=曼陀羅には、大日如来(=宇宙)の「理、無限の慈悲の広がり(胎臓界)」を示したものと、「智、悟りを得るための道筋(金剛界)」を示したものの2種類がある。弘法大師は、表裏一体、相互関係により一つの世界と成す、その両界の曼陀羅を、壇上伽藍にて3Dで具現化した、ということか。

 

(御影堂 みえどう)

 

弘法大師の御影(肖像画)が安置されている、美しいフォルムの御堂で、最重要の聖域とされる。旧暦3月21日(弘法大師が奥の院に入定した日)の前夜である「お逮夜」の法会後のみ、一般の内拝が許されているとのこと。

 

(六角経蔵)



”鳥羽天皇の皇后が、浄写した一切経(すべての経典を網羅した経典集)を納め、天皇の菩提を弔うため建立された”もの。下の方に付いている把手を押して時計(右)回りに一周すると、一切経をすべて読んだのと等しい徳が得られるのだとか。

反時計回りに一周するグループがおり、「逆回しは、どうよ?」と思ったが、では、何故、”時計(右)回り”をするのか?


気になって調べてみると、仏教では”右が清浄、左が不浄”とされる。右遶(うにょう)という尊者の傍らを右回りに歩く作法がある。自分の清浄な右肩を尊者や仏像に向けて回る=時計回りになる、ということだ。

 

壇上伽藍のお堂参拝も、右遶、つまり「金堂」に自分の右肩が向く順路(=時計回り)となっている。前回の訪問を含め、このことを知らず、不敬なお堂巡りをしてしまった。

物事には意味があり、その上で形式が成り立っていると、あらためて気づく。

 

まだまだ続く、壇上伽藍での備忘録。