松尾芭蕉の句の元にもなった馬の産地の国境の庄屋の家

場所・ 山形県最上郡最上町大字堺田57−4
 
電話・ 0223−45−2397

竣工・ 江戸時代 300年以上の歴史あり

構造・ 木造平屋建て 茅葺

開館・ 8時30分〜17時 冬は閉館 12〜3月
     11月は16時まで 250円 *当時の情報 

最終訪問・ 2023.06

*国・重要文化財

山形県北部の最上地方、宮城県との県境にある最上町の旧堺田村の国道47号沿いにある古民家です乙女のトキメキ
 

画像がないので戸沢村の秋の最上川 国道47号

 

国の重文なので、かなり重要な江戸時代の築300年以上の古民家で、あの松尾芭蕉の句の元になった村の庄屋ですウインク
出羽と仙台領の国境を守るかつての役人の家だそうですお父さん

・芭蕉ゆかりの宿zzz


元禄2年(1689)5月15日、俳人の松尾芭蕉は門人の曾良をともない仙台領尿前の関を越え、出羽の国へ旅路を急ぎましたアセアセ
しかし、もう日暮れ頃になってしまいましたガーン

「大山を登って日すでに暮れければ、封人の家を見かけて宿りを求む。
 3日風雨荒れてよしなき山中に逗留す。 蚤虱馬の尿する枕もと」

秋の戸沢村の最上川 庄内へ続く 


と芭蕉は「おくの細道」につづっています(今でいうブログか)鉛筆
梅雨ときの大雨のためいたしかたなく17日まで2泊3日、この家に滞在したのだといわれています傘

曾良は「17日快晴、堺田を立つ」と日記にしたためていますが、2人は主人から案内の若者を付けてもらい、
山刀伐峠の難所を越えて、尾花沢の鈴木清風を訪ねて行ったのです富士山
 

このまま国道47号沿いのルートで西へ新庄へ抜けたのではなく、峠越えで南下して尾花沢に行ったのですね上矢印

堺田村と有路家

堺田村は、寛永15年(1638)以後、正保年間(1644〜47)頃までの間に独立村となりましたキラキラ
永くこの家に住んできた
有路氏は代々この村の庄屋で、当主は15代目と伝えられていますお父さん

この建物の様式や技法には元禄を下らない古さが見られ、300年以上の歴史をへていると推定されますラブラブ

 

初夏の最上川 水量が少ない 

 

建物の特徴は、いわゆる庄屋(村役場)としての性格を持ち、さらに問屋や旅館の機能もそなえた国境の庄屋家屋にふさわしい構えの住宅といえることです乙女のトキメキ

・小国馬産の歴史馬

最上町は、昭和29年9月1日に誕生した町ですキラキラ
それまでは小国という地名で、
山形県内では随一の馬の産地でした馬
 

馬産の始源は中世頃と想定されますが、この地方が本格的な馬産地としての歩みを始めたのは、江戸時代半ばのことです上矢印

秋の最上川 


以後、この地方は新庄藩の保護・奨励下に、乗用馬中心の馬産地として発展しました馬
この地方では主として牡馬(雄馬)を移出しましたが、小国産の牡馬は「
小国駒」と呼ばれて、江戸や越前地方にまで移出されました上矢印

明治25年に、小国地方は軍馬の購買地に指定されて、それから
昭和19年までの53年間に、836頭の小国馬が軍馬に買い上げられましたガーン
戦地で負傷・死亡した馬はそのまま、飢えた兵士の命をつないだかも知れませんガーン

秋の最上川 


芭蕉の「蚤虱馬の尿(ばり)する枕もと」の句の背景に、まず
馬産地ということを考えなければなりません馬
(パンフより)

                    *

ここは以前から鳴子温泉の行き帰りに前を通過して気になっていましたが、なかなか時間がなくて寄れずアセアセ
今回は行きに、近くの「JR最上駅」でストピを弾いたので、そのついでに寄ってみましたラブラブ
といっても、外観を見学しただけなので、中には入っていませんガーン

 


なんとここはまたあの芭蕉さんが訪れた地ということですおじいちゃん
この先月には秋田県にかほ市の「
おくの細道」の最北端の地のお寺も訪ねたので、芭蕉さんはあちこちに出没していますね乙女のトキメキ

 

 

ここへ来るまでも戸沢村の国道47号沿いの最上川沿いに来たので、ちょうど「五月雨を 集めて早し 最上川」の風景を見てきました波
 

時期も似たような時期だったようで、ちょうど良かったですハート
なんとこの地方は古くからの馬の産地だったそうで、それでこの隣の鳴子温泉の宿でも夕食に馬刺しが出たのですね馬
 

 

これで東北で馬刺しの出る県は、福島県の会津、山形県の置賜、宮城県の鳴子温泉と3つの県で出ますね(北東北でもあるそう)ウインク



それにしても泊めてもらっておいて「蚤虱」ってクレームじゃね(爆)!?
その上、枕元では馬のWCがあるとは馬
音がけっこう大きそうですよね、寝ているのにタラー

通り道の国道47号沿いの道の駅「とざわ」 韓国風 


大変な滞在だったようですが、外が荒れた天気で嵐ならどうにもなりませんもんねドクロ
昔の旅は徒歩ですから、命も危ないですし注意
ということで、今回も芭蕉さんの足跡の場所でしたチョコがけハート

韓国の写真と言われてもわからないかも?


かつては国境で緊張感のある場所だったかも知れないですねドクロ
そして戦時中は軍馬の産地だったということで、ここから戦地へと馬が送られて行った歴史も忘れてはいけませんねガーン
分水嶺も近くにありますし、おいしいそば店もPにある(「時空」という店)ので、観光がてらいかがでしょうか?

芭蕉・茅葺・歴史好きの方にもおススメです♪