☆旧待合・遊廓の建物で日本海の幸
と文化・芸能人の集う宿ー1☆
場所・ 新潟県三島郡出雲崎町石井町90
電話・ 0258−78−2012
創業・ 昭和34年(1959) 旧遊郭時代はその前
竣工・ 大正時代(1912〜1925)
構造・ 木造2階建て 和8室 30畳広間 妻入古民家
風呂・ 貸切内湯 1
人物・ 田中角栄 棟方志功 日本画 川端龍子
児玉清 渥美清 他芸能人多数
料金・ 平日・11000円〜休前日・12000円
当時の御値段・サービス内容ですので宿泊は要確認
昼食プラン・3300円〜6480円、 *当時の御値段
5人以上で一人・2500円 11〜14時
最終訪問・ 2021・04 昼食プラン利用
*2022年10月現在営業確認
・2021年4月 昼食プラン利用
田中先生が尽力された国道402号 出雲崎漁港が目の前
新潟県の中越地方の日本海側、柏崎市と寺泊の間にある小さな港町
かつては佐渡金山の金を運ぶための湊として、幕府の天領だった港町で、北国街道の宿場でもありました
お部屋からの風景 この日は凪で湖のような春の雨の日
当時はこの小さな町に20000人もの人が住んでいましたが、現在は内陸部の方を合わせても4200人ほどの規模の町です
人口的には「村」レベルかも(同じ県内の関川村は5000人なので、「町」の基準て何なんだろう)
そんな静かな町には、かつての妻入りの木造町家が連続して残っています(重伝建になればいいのに)
この石井町付近は、昭和33年の赤線廃止まで遊郭があり、この旅館も遊郭の建物でした
「御用公路」に面した玄関
遊郭時代の面影残すが戸が新しい
かつての面影は、外観と街道側の建物にしか残っていませんが、最盛期は23名もの遊女さんがいたそうです
貧しい農村から口減らしのために売られて来た遊女の女性たちは、日々どんな思いでこの海を見ていたのか
2005年に初めて前まで来た時の画像 恰好が若い
毎晩、三味線の音が鳴り響き、美味しい獲れたての新鮮なお料理が、越後の酒とともに男性たちに振舞われていたのです
・大女将さんのお話
旅館業は、昭和33年の赤線廃止後の、昭和34年からで、いわゆる転業旅館ですね
旅館業を始めてからは、芸能人がロケのために長期滞在で来たり、田中角栄先生も議員時代に演説や政治活動のために、この旅館に泊まったそうです
実際に田中先生に接したことのある大女将さんは、「誰でもがすぐにファンになってしまうような明るくて気さくな優しい方だった」とのこと
玄関 踏み板 大正時代の棟
田中先生は、地元の方に声をかけるときにいつも「よっごはん食べたか
」とお腹を空かしていないか気遣ってくれる方で、お腹を空かせていると、「ごはんを食べさせてやってくれ」とおごってあげたり、
旧待合 職人技の見える引き戸の下部分
困っている方がいると寄付をしてくれたりと、ご自分が貧乏な出で苦労したことがある「苦労人」なので、庶民の痛みがわかる人、とのことでした
大女将さんは、先生についての著書も読んでおり、実際に信者のようです
やはり新潟の中越地方の年配の方の田中先生信仰は今でも続いているんですね
こういう方だから、たくさんの人がついて来て、中学までしか出ていなくとも総理の座まで上り詰めることができたのですね
1階 玄関横の帳簿 神棚の周辺に大物ゲストの作品や写真
この旅館と日本海の間にある国道402号も田中先生の尽力で整備されたそうで、知らないうちにお世話になっているんだなあ
そして、今自分が座っているこの旅館に、先生が実際に泊まられたのかーと感慨深かったです
遊郭時代のお話は、この大女将の先代の方のお話になりますが、玄関すぐのこたつのお部屋が待合になっており、1時間で燃え尽きる線香を置いて、その時間で遊女さんの接客時間を計ったそうです
あまりお客さんの相手をせず、WCに行ったり化粧直しで時間を稼いでいる遊女のことを「線香泥棒」という業界用語も教えてくれました
その他にも、旅館業50年のお話を合計2時間(マスクはしていたけど室内でなかなか帰るタイミングつかめず少し心配)、私たちの親戚のおばさんのような親身なアドバイスに少し感動するお話などが続きましたが(私たちの旅だとお年寄りの方のお話が長くなることがよくあるんですよね)、
かつての遺構は井戸のみ かつては3つあったとか
残念ながらもう体力的に限界だし、コロナもあるので、そろそろ廃業するとのこと
家族と一緒に新築の家に引っ越す、とのことで、今後のこの旅館の建物がどうなるのか心配です
あんまり遊郭としての遺構も残っていないし(火災が多かったそう)、歴史的文化的価値はどうなのかなあ
でも、この旅館の横の街道から日本海へ抜ける「御用公路」の雰囲気が抜群に良くて、あの長岡花火の映画「この空の花」の監督の方が撮影に来られたそうです
日本海へ向かう方向の方が素敵 モノクロではないですよ
すぐ数軒隣にも木造3階建てのすごい遊郭建築があるのですが、今も住んでいる方があまり建物を残すことに理解がないとか、、、町で買い取って内部公開してほしいのになあ
芸術家の方も多く滞在された宿で、津軽の版画家で有名な棟方志功先生が弟子やご家族と来られたときのこと
小柄な先生は、ユカタなどを無造作に着て引きずって歩いていて、けっこう「なれなれしい」方でしたが、とても可愛いキャラの方だったそうで、大広間に色紙が残っています
他にも日本画家の川端龍子先生も、弟子の方たちと来られて色紙を残して行ったとか
出雲崎町は、良寛さんが出身な関係で、句会が多く、その関係で瀬戸内寂聴さんも来られたそうです
(ハイソサエティーな方たちは、句会やお茶をたしなまれるんですね)
全国的には有名ではない小さな港町の木造旅館ですが、知られざる隠れ家的な文化人や芸能人が集うサロンのようなお宿だったようです
それも女将さんのお人柄がなせる技だと思います
女将さんも俳句をたしなみ、作品を披露して下さいました
ロケで滞在された昭和のスターたち
寅さん、児玉清さんなど
大女将さん、戦後の昭和から平成、令和の時代を駆け抜けた、50年の旅館業、本当にお疲れ様でした
素敵な旅館を維持してただいて、今までありがとうございましたm(__)m
(どうも2022年でも営業しているらしい、
孫が継いだのかも)