今ここに生きる理由がきっとある -38ページ目

今ここに生きる理由がきっとある

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松陰神社を出てすぐ。まーるバスのバス停の前に松浦松洞さんの誕生地があります

松陰先生の肖像画を描いた人で、松陰先生が賛(文章)を書き添えた肖像画は現在6種類確認されています。

文久2年、長井雅楽の暗殺が果たせず自害しています。



ヤジの通学路を辿って品川弥二郎の誕生地


でたークラッカー リバーサイドヤジ家  ←Mさん!やっと来れました~

ヤジ家はリバーサイド 川沿いリバーサイド 食事もリバーサイド 


食事がリバーサイドって良いよね。シンガポールのクラークキー行ったことあるけど綺麗だったな。


写真撮る係がリバーサイドヤジ家を知らなかったので、あんまりリバーサイド感が出ていないが。



ヤジ家を後にして、前日行きそびれた場所へ。

萩反射炉

安政2年8月、反射炉の操業に成功していた佐賀藩へ藩士を派遣し、鉄製の大砲の鋳造を教えてもらおうとしましたが、拒否されてしまいます。←ひどい~あせる

佐賀藩から反射炉のスケッチだけ貰えたので、それを頼りに翌年反射炉を作ります。


スケッチがどの程度のものか分からないけど、作れちゃうんですね~。さすが日本人。




現在、韮山と萩にだけ反射炉が残っています。 韮山の反射炉に比べると規模が小さく、試作的なものだったようです。



去年、韮山の反射炉に行ってます。


それがコチラ。 

萩のものと比べると全然大きさが違います。


詳しいブログはこちらから


そういえば、平助問題を解決していなかった・・・!! 




ランチはしーまーとで。 海鮮丼音譜

来萩スペシャル。うまー。

東光寺を出て向かったのは松陰先生、高杉さん、久坂くん、栄太郎さんたちのお墓参りへ。



松陰先生と金子くん

緑が茂っててすごいことになってる。



下から


霊山かどっかの龍馬さんと慎太の像に似てる気がする。



戻ってきて、松陰神社へ。


さすがGW。松下村塾に人が溢れている~



去年のお正月の松下村塾。 誰もいなかったの。



松陰先生の実家の杉家の建物も残っています。

松陰先生は野山獄から帰ってきてから杉家の3帖半の部屋に幽囚されるのです。


で、こんなんあった。

これ、お米を精米する器具なんです。足で踏んで使うんだけど。




イメージ図



松陰先生は精米する時間も本が読みたかったから、

天井から板下げてみました~

これで、ぺったんぺったんしてる時間も読書が出来るって訳です。


寝ながらゲームしたいからゲーム機置く台が欲しいわ~と言っているわたしとは大違い汗☆



松陰神社に来たらここは外せない!!


至誠館


石で書いた立志。 前は無かった。


至誠館の企画展示は前原一誠生誕180周年記念


「松陰先生と前原一誠 - 誠実・寡黙な志士 -」



こちらの展示物で気になったのは


前原さんが松陰先生に送った手紙


前原さんの手紙の裏に松陰先生が九一・靖宛てに手紙を書き、九一はその続きに返事を書き、その返事を松陰先生が書き、前原さんにこの手紙を転送するようにとヤジに送ったもの。


前原→松陰→入江九一・靖→松陰→ヤジ→前原 とグルグル回ってるんですよ。


これだと、松陰先生と九一とのやりとりも前原さんが分かるのがいいですよね。

通過点のヤジがよく分かんないですけど。


貰った手紙の裏に返事って、よく見かけるけど読みにくくないのかな。



孝明天皇から賜った草履の片方


上賀茂、下鴨、石清水へ行幸の時、前原さんが孝明天皇の護衛をした時に拝領したもの。

もう片方は西郷さんが持ってるとか。


長州藩が京で輝いていた時期ですね。 残念ながらその頃の京のこと知らないんだよなぁ。


でも、なんで草履片方づつなのはてなマーク 履けないじゃんね。(←履かないのか)



高杉さんから前原さんへの手紙


四境戦争のうちの前原さんが指揮していた小倉口で勝利した時のもの。


自分の病気は体に深く根付いた病なのですぐには治りません。残念ながら寝込んでいます。笑ってやってください。

勝男武士を差し入れします。受け取ってください。谷潜蔵 慶応2年10月8日

勝男武士=かつおぶし



松田屋ホテルで見た手紙より、こっちのほうが先でしたね。


長州観光に来ても元気な高杉さんのイメージしかなくて、こうやって手紙を見ると辛い。

萩2日目。長州旅行最終日です。


山田顕義(市ィ)の誕生地!!


銅像が緑・・・



瓦に『日』 『本』 『大』 『学』

大学の財力すごいな。

 

市ィの家のもうちょっと先に来年の大河で知名度UP間違いなしパーの楫取素彦さんの自宅跡があります。


えー・・・特に何もないです。


ホントに何にもないです。

しかも妄想できるほど楫取さんのこと知らないので、どうしようもないという汗



楫取素彦って誰よと思ってる人が多いと思うので、簡単に説明。


兄があの松島剛蔵!! 苗字違うから兄弟だって気づかなかったですよ。 

高杉さんと一緒にイギリス公使館焼き討ちに参加してる人で、下関戦争では庚申丸に乗り、自らの指揮で戦ったり。 

第一次長州征伐で藩政が俗論党に変わった時、捕縛され野山獄へ。

その後、高杉さんが功山寺でクーデターを起こしたので、処刑されています。



そんな兄を持つ楫取さんなので、特に危険なことはせず松陰先生が亡くなったあと松下村塾で教えてたり、ちょっと藩のために動いてみたりしてたようです。


維新後は堅実に県の職員を続け、明治9年に群馬県令(いまでいう知事)になります。


県令になってからは養蚕業に力を入れたり、全国で初めて娼妓廃絶を布告したり。

廃娼運動の中心になってた人は新島襄の影響でクリスチャンになっていた湯浅治郎さんって方です。


このあたりでジョーがうっすら出てくるのか、スルーなのか。 


富岡製糸場の基礎を作った事になるのかな。明治の工業に興味ないからよく分からないんだけど。


で、大河にするほど面白いのか!? 


特に維新後がつまらなそうな予感しかしない。


☆おまけ☆楫取さんの弟さんの松田謙三さんは岡山県で私塾『明志学舎』を開いてたそうです。



東光寺

実は初めて来たんです。


1691年 萩藩三代藩主 毛利吉就公が開基となって創建された黄檗宗の寺院です。

毛利藩主の奇数代がこちらに祭られています。



500基の石灯篭が建つ風景は圧巻です。

この石燈籠は家臣らが寄進したもので、その一基一基に弔う藩主・夫人の法名と寄進者名・年月日が刻んであります。


方丈は1792年建立

偶数代のお墓は大照院にあります。


ここには『元治甲子殉難烈士墓所』があって、禁門の変の幕府への謝罪の為、自刃した三家老や、野山獄で処刑された市ィの伯父さんの山田亦助さん、松島剛蔵さんや周布政之助さんのお墓があります。