聞けばこの人、学校の先生 やっているらしいんですけど、
周りにいるのが「ガキ」ばかりだと、
先生 の メンタリティー も「そのレベル」に落ちてしまう のは仕方がないということでしょうかね(笑)?




当時高校生だった「くりおね」が、平成27年(2015年)12月23日 天皇誕生日 に投稿したツイート(※ポスト)が炎上したことがありました。

確かに、彼女の表現方法自体は「個性的」でありましたが、
べつに 反皇室闘争 に荷担したり、皇室を誹謗中傷 したわけではない彼女に対して、個人情報を特定して晒してまでリンチを加える のは間違いであったと思います。
天皇誕生日を「只の休日」としてしか認識していない無関心な者とは違い、自分なりの方法で 上皇陛下 の誕生日をお祝いした「くりおね」のような子供が抱いた 皇室に対する関心 に対しては
慈愛を以て寄り添ってあげるべきだったと思います。



ただし、

良い年こいた大人 「いちびり」に対しては、相応の「教訓」を与えるべきだと思います(笑)。



「鰯の頭も信心から」という諺の元となった、節分 「鰯の頭」の云われについて知っているならば、
皇室 を「鰯の頭」に例えることが不適切なことくらい、容易に想像がつきそうなものです。

イワシの頭のようなつまらないものでも信心する人には尊く思われる。物事をかたくなに信じる人を揶揄 (やゆ) するときなどにもいう。


出典:デジタル大辞泉(小学館)


やっぱり 矮小 じゃないか!?

皇室国民大衆の皇室に対する敬愛の念 を、わざわざ 節分 の時期を外れれば 生ゴミ にしかならないものに例える必要があったのでしょうか?



そもそも、節分の時期に 柊鰯 を玄関先に飾るのは、
鬼 鰯のニオイを嫌がるという言い伝え (※逆に、鬼を鰯のニオイで誘い、家に近付いてきた鬼の目を柊の葉の棘で刺すというものもある) に由来するものであります。

鰯の頭は、傅いて拝む用途のものではないのです(笑)。

たとえ悪意がなかったとしても、不見識 にも程がありますね(笑)。




> 石ころ、鰯の頭が、矮小かどうかと言うことは、個人の主観にすぎません。

鰯の頭 は魔除けにはなれても、それ自体が 崇拝の対象 になるわけではありません(笑)。

むしろ、地方によっては 鬼は鰯のニオイに引き寄せられる くらいですし(笑)。

個人の主観 もなにも、常識的に考えて 天皇陛下や皇族方と日本国民によって支えられてきた「制度としての皇室」を、
わざわざ 生ゴミ に例えたのが間違いであることを、いい加減認めてください。



そのものの本質がそうなんであって、その社会における価値がそうとは限りません。


結局なにが言いたいの(笑)?

「そのものの本質」という主張こそ、あなたの主観に過ぎなかったわけでしょ(笑)?



天皇だけではありません。

金正恩も、毛沢東も同じです。ゼウスもアマテラスも、そのものは鰯の頭です。


ばか(笑)。


味噌も糞も一緒にするな(笑)。




まぁ私は、その鰯の頭に必死で傅いているんですが。


結局、あなたは 他人様とは違うことをする自分に酔っているだけなんです(笑)。

それにしても、いろんな考え方があっても良いと言う割には、随分と頑固な人ですよね~(笑)。


素直に間違いを認められないのも、自己愛 の強さ故でしょうか(笑)?