私は「庶民」という言葉が大嫌いです。


何故かといえば、存在事態が 無知蒙昧 無教養無責任 そのものであり、

少しでも良くなろう、良くしようとする「向上心」が見られないところからして不快だからです。


出自はどうあれ、自分を「庶民」のカテゴリーに入れてもらいたくありませんし、
何より、自分もそうだと認めてしまった時点で、そのままズルズルと「卑しい存在」に堕落していきそうな気がするのです。


「庶民派」「庶民の味方」を自称する政党や政治家、評論家、コメンテーター にとっては、
「そういった層」の 身勝手で欲惚けた論理に迎合 して自身の人気を集めればよいわけで、
屑はいつまでたっても屑のまま、つけあがる一方なのです。


 

 

日本人は、そのような「庶民」ではなく「国民」になれ!!


集落のゴミ捨て場の生ゴミをひっくり返して中身を漁るカラスや野良猫 じゃあるまいに、

皇室の私生活 を粗探しするよりも、もっと賢く清潔に生きるべきだと思いませんか!?




  


皇室 が、我が国にとって重要な価値を有することは言うまでもありませんが、
戦後長らく、その「本質」がなおざりにされた結果、週刊誌報道などを通じて伝えられる 皇族 の私生活に対する「好奇心」が「忠君愛国」に取って代わってしまっている のが現状です。

皇室 を 自身のアイデンティティ と完全に同一視している「国士気取り」な連中ほど、
おそろしいくらい 天皇陛下 や 皇族方 に対して残酷であり、皇室と国民との絆を大切にされてきた 上皇陛下 に対しても「まだ働けるだろう」と言わんばかりの不遜な態度でありました。

それにしても、上皇ご夫妻 に対して「爺」「婆」「皿婆」「ミテコ」とは、あまりにも酷すぎて気分が悪くなってきます。




 名古屋大学准教授の河西秀哉氏が月刊「文藝春秋」11月号に寄稿し、ネット上にあふれている上皇・上皇后両陛下への誹謗中傷の知られざる実態について指摘した。

〈ネットを見ていないような世代ではなく、見ているような若い人たちでも、意外にそれに気がついていない。(中略)それはかなり深刻な問題を含んでいて、しかも最近では目立って一定の影響力を持ちつつあり、このまま放置しておけば、より大きくなって象徴天皇制・皇室の危機に繋がるのではないかと私は思う〉

 では、どのような誹謗中傷があるのか。「紹介するのも正直憚られるのではあるが」としながら、河西氏が挙げたのが、次のコメントだ。2023年8月22日から4年ぶりに夏の軽井沢で静養したことを伝えるフジテレビ配信のヤフーの記事に対して付けられた“ヤフコメ”である。

600件の「いいね」がついた投稿

《静かにお忍びで行こうと思えば行けるのに報道陣をわざわざ呼んで記事にさせるのは何故なの?
 テニスコートのお話も古過ぎて老人しか知りませんし時代遅れのロマンスは興味もないです
 軽井沢は東京と大して変わらず暑くなりました。せっかく豪華な隠居先を建てたのだからご自宅でゆっくり静養して下さい》

 これに対して、600件ほどの「いいね」が付けられ、コメント欄のトップに上がっているという。言うまでもなく、上皇・上皇后両陛下が「報道陣をわざわざ呼んで」記事にさせているといったことはない。「メディアはニュースバリューがあるから取りあげているのである」。そしてSNS上はもっと酷い状況だと河西氏は指摘する。

「爺」「婆」「皿婆」などと

〈X(旧Twitter)では、上皇・上皇后へのさらに根拠のない批判や誹謗中傷があふれている。しかも彼ら彼女らを「爺」や「婆」と呼び、高齢であること自体をバカにするなど、人として礼儀を欠くような表現が見受けられる。(中略)
 なかには、上皇后を「皿婆」なる隠語で呼んでいるケースもある。彼女が外出するときにかぶる帽子が、小皿のように見えると揶揄する言葉だが、そこには「衣装代に多額の税金をつぎ込んでいる」という印象付けをしようとする意図も感じられる〉

 こうした誹謗中傷は、退位前後から始まっていた。また小室眞子さんの結婚、そして小室圭さんの母親の金銭問題の浮上で、税金と皇室がいっそう強く結びつけられてしまったことがその背景にあるという。

 なぜこうした現象が起きているのか、河西氏はその要因を分析。第一に、人々が公的な問題に対して眼を厳しくしたこと、第二に「私」より「公」を重視するイメージを広げて支持を集めてきた“象徴天皇制のあゆみ”をあげる。

秋篠宮家に「裏切られた」

〈(上皇・上皇后両陛下の被災地などでの活動により平成の皇室は)「私」よりも「公」を重視するイメージが広がっていくことになった。そして、そうしたイメージが、空前とも言えるほどの象徴天皇制・皇室像への支持を生み出していく。だからこそ、(小室圭さんと眞子さんの結婚、金銭問題の浮上などの騒動などの)秋篠宮家の動きは「裏切られた」と見られたのだろう〉

〈「私」を重視する秋篠宮家、そしてそれを認めてきた「爺」と「婆」。彼らを批判しなければならない。そうした思考がネット上のコメントから見えてくる〉

 こうした根拠のない批判や誹謗中傷が、「最終的には象徴天皇制・皇室全体を傷つけることにも繋がる」と河西氏は強く主張した。

 河西氏による10ページにわたる論考「美智子さまが狙われている」は、10月10日(火)発売の「文藝春秋」11月号、および「文藝春秋 電子版」(10月9日公開)に掲載される



> なぜこうした現象が起きているのか、河西氏はその要因を分析。第一に、人々が公的な問題に対して眼を厳しくしたこと、第二に「私」より「公」を重視するイメージを広げて支持を集めてきた“象徴天皇制のあゆみ”をあげる。

> 「私」を重視する秋篠宮家、そしてそれを認めてきた「爺」と「婆」。彼らを批判しなければならない。そうした思考がネット上のコメントから見えてくる



本来「雲の上の存在」である皇室 に、手前の勝手な理想やポリシーのようなものに当て嵌めようとする精神性自体が「不健全」なのです。

実際、連中の理想とする「皇室としての振る舞い」にしても、驚くほど卑近な例えばかりで、お世辞にも公的な義憤とは言えません。

「いじめ」を楽しんでいる DQN の精神性なのです!!

そもそも、奴らが全てに於いて間違っているのは、皇室が公務を通じて国民に寄り添う姿勢 「あたりまえ」だと思い込み、
その人格や、ささやかな自由すら許容できないくらいに 人間性が劣化しているところにあります。




> 朕󠄂ト爾等國民トノ間ノ紐帶ハ、終󠄁始  相互ノ信賴ト敬愛  トニ依リテ結バレ、單ナル神話ト傳說トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。

昭和天皇 が、日本国憲法施行前の昭和21年の元日に発せられた「詔書」(※所謂「人間宣言」) の一節です。

御上は、

「私とあなたたち国民との間の絆は、いつも  お互いの信頼と敬愛  によって結ばれ、単なる神話と伝説とによって生まれたものではない。

と仰っています。





皇室 は常に敬愛の念を以て、我々国民に寄り添ってこられました。

皇室 だけが、そのように振る舞わなければならないのでしょうか!?

いい加減、弁えるべきではないでしょうか!?



 

 


茲ニ新年ヲ迎󠄁フ。顧󠄁ミレバ明治天皇明治ノ初國是トシテ五箇條ノ御誓文󠄁ヲ下シ給ヘリ。曰ク、
一、廣ク會議ヲ興シ萬機公󠄁論ニ決スヘシ
一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フヘシ
一、官武一途󠄁庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂󠄂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要󠄁ス
一、舊來ノ陋習󠄁ヲ破リ天地ノ公󠄁道󠄁ニ基クヘシ
一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起󠄁スヘシ

叡旨公󠄁明正大、又何ヲカ加ヘン。朕󠄂ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ國運󠄁ヲ開カント欲ス。須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、舊來ノ陋習󠄁ヲ去リ、民意ヲ暢達󠄁シ、官民擧ゲテ平󠄁和主義ニ徹シ、敎養󠄁豐カニ文󠄁化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ圖リ、新日本ヲ建󠄁設スベシ。
大小都市ノ蒙リタル戰禍󠄀、罹災者󠄁ノ艱苦、產業ノ停頓、食糧ノ不足、失業者󠄁增加ノ趨勢等ハ眞ニ心ヲ痛マシムルモノアリ。然リト雖モ、我國民ガ現在ノ試煉ニ直面シ、且徹頭徹尾文󠄁明ヲ平󠄁和ニ求ムルノ決意固ク、克ク其ノ結束ヲ全󠄁ウセバ、獨リ我國ノミナラズ全󠄁人類ノ爲ニ、輝カシキ前途󠄁ノ展開セラルルコトヲ疑ハズ。
夫レ家ヲ愛スル心ト國ヲ愛スル心トハ我國ニ於󠄁テ特ニ熱烈ナルヲ見ル。今ヤ實ニ此ノ心ヲ擴充シ、人類愛ノ完成ニ向ヒ、獻身的努力ヲ效スベキノ秋ナリ。
惟フニ長キニ亙レル戰爭ノ敗北ニ終󠄁リタル結果、我國民ハ動モスレバ焦躁ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ク長ジテ道󠄁義ノ念頗ル衰へ、爲ニ思想混亂ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ。
然レドモ朕󠄂ハ爾等國民ト共ニ在リ、常ニ利害󠄂ヲ同ジウシ休戚ヲ分󠄁タント欲ス。朕󠄂ト爾等國民トノ間ノ紐帶ハ、終󠄁始相互ノ信賴ト敬愛トニ依リテ結バレ、單ナル神話ト傳說トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延󠄁テ世界ヲ支配󠄁スベキ運󠄁命ヲ有ストノ架空󠄁ナル觀念ニ基クモノニモ非ズ。
朕󠄂ノ政府ハ國民ノ試煉ト苦難󠄀トヲ緩󠄁和センガ爲、アラユル施策ト經營トニ萬全󠄁ノ方途󠄁ヲ講󠄁ズベシ。同時ニ朕󠄂ハ我國民ガ時艱ニ蹶起󠄁シ、當面ノ困苦克服ノ爲ニ、又產業及󠄁文󠄁運󠄁振興ノ爲ニ勇󠄁往センコトヲ希念ス。我國民ガ其ノ公󠄁民生活ニ於󠄁テ團結シ、相倚リ相扶ケ、寬容相許スノ氣風ヲ作興スルニ於󠄁テハ、能ク我至高ノ傳統ニ恥ヂザル眞價ヲ發揮スルニ至ラン。斯ノ如キハ實ニ我國民ガ人類ノ福祉󠄁ト向上トノ爲、絕大ナル貢獻ヲ爲ス所󠄁以ナルヲ疑ハザルナリ。
一年ノ計ハ年頭ニ在リ、朕󠄂ハ朕󠄂ノ信賴スル國民ガ朕󠄂ト其ノ心ヲ一ニシテ、自ラ奮ヒ自ラ勵マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ。

御名御璽

昭和二十一年一月一日

內閣總理大臣兼󠄁第一復員大臣第二復員大臣 男爵󠄂幣󠄁原喜重郞