①内地
②台湾、新南群島
③南樺太
④朝鮮
⑤関東州
⑥満鉄付属地
⑦南洋諸島

日清・日露の戦いに見事勝利し、幕末に欧米列強と結んだ不平等条約を外交交渉によって改定した日本。

第一次世界大戦には連合国として参戦し、その勝利に貢献した日本は、名実ともに大国の仲間入りを果たしました。

そして、第一次世界大戦後のパリ講和会議の場において国際連盟規約に人種差別を禁止することを提案しました。

日露戦争以降、日本は工業力が急速に高まり、第一次世界大戦ではヨーロッパやそれらの植民地地域への輸出が増加する一方で、
欧米諸国において日本人をはじめとする黄色人種を排斥する動きがありました。

国際会議の場で、はじめての『人種差別撤廃提案』が、我が国の代表によって発せられたことは、日本国民として誇るべき歴史事実であります。

しかし、この提案は過半数の賛同を得たにも関わらず、米国代表などの反対によって握りつぶされてしまいました。

『正義の人』とされていたウィルソン大統領でありましたが、彼も平和一辺倒の理想主義者などではなく、
人種差別撤廃を国際連盟規約に書き加えることによって国内法の改正が必要となることから、本国の人種差別的政策に迎合する方針を維持したのでした。

結局「重要な案件の決議は全会一致で」と、白人社会にとって都合の良い平和を維持するためにゴールポストを動かされてしまったわけでありました。

このようなヴェルサイユ体制と国際連盟に対して、当然ながら、日本の思想家や国民の間では、白人中心の欺瞞に満ちたものとして受け止められました。


大国民としての自信と誇りを確固のものとした日本国民大衆は、日本の実力以上に強気に世界を見るようになり、
政府の外交政策に対しても、次第に『弱腰』であると非難するようになりました。

しかし、明治以来、日本が新たに獲得した台湾や朝鮮などの海外領土は、いわば 安全保障上の『緩衝地帯』であり、
欧米諸国のそれのように、経済的搾取や移住を目的とした植民地ではありませんでした。

そのため、台湾や朝鮮などのインフラの整備のために逆に内地からの持ち出しが多かったくらいであり、
僅かに得られる石炭などを合わせてもみても、日本は依然として資源に乏しく、特に石油や鉄などに関しては外国からの輸入に頼らなければ経済を維持できないことに変わりはありませんでした。

そして、第一次世界大戦による大戦景気も、ヨーロッパが復興してゆくにしたがって不況に転じ、
関東大震災やその後の恐慌によって、日本は経済的に追い詰められてゆくのでありました。