司法試験後、事例研究行政法を使ってゼミを組んでいます。

事例研究 行政法 第2版/日本評論社
¥3,996
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言わずもがな、の定番書ですよね。使っているのは、第2部です。第1部は基本的な問題が多いので、個人回すことができるレベルだと思います。

先ほどまで第2部は10問しかないと勘違いしていて、もうすぐ終わるね~などと言っていたら全15問でしたね。全然終わりません。

さて、事例研究行政法はおそらく司法試験受験生ならばほとんどの方が使用している演習所なのではないでしょうか。合格者のブログなどでも絶賛されていますよね。

なので、私が記事にするまでもなく購入決定の本なわけです。演習書・参考書は王道を選ぶというのが賢いでしょう。

ですが、どうも、個人的には使いにくい。というより、解説は不親切だなぁ、と思います。

これむはいいんです。というか、素晴らしいと思います。また、問題もやはり練られているな、と思います(上から目線ですみません。)。メインは問題を解くことなので、そういう意味では、問題ないのかもしれません。

ただ、解説はもっときっちり書いてほしい、と思います。正直言って分かりにくい個所が何か所かある。事例研究シリーズはお値段もまぁまぁしますから、やはり、解説まで読み込んで(関連問題までやりこんで)ナンボだと(勝手に)思っているので、残念でなりません。

事例研究の刑事法は、解説が素晴らしいんですけどね~(問題も、まぁ。)。

と、偉そうに書いてきましたが(何時も偉そうですね。すみません。)、問題は、私の頭が事例研究に到達していない可能性がある点ですね。そりゃ、難しすぎるものを読んでも「素晴らしい!」とはならないですからね。

なので、現在は同書は上級者向けの演習書という位置づけになるのかな、と思っています。

そうなると、初級・中級者向けの演習書は何かいいのがないのか、という話にまりますよね。私は思いつきません。う~ん、とりあえず事例研究つぶそうかな。


ところで、同書は改訂情報があるらしいですよ(伝聞)。購入を検討されている方は気にしてみてください。

勉強に終わりはあるんですかね?という内容の記事です。

答えは「No」ですので、まぁ、あんまり面白くありませんが、興味のある方だけでも読んでください。


例えば、学校の定期試験期間などに、「試験勉強が終わった」ということを聞いたことがないでしょうか。私はあります。よくあります。

わたしはこの「試験勉強終わった」に強い違和感を覚えます。なぜなら終わるはずがないから。

私が(そしてこの記事を見ていただいている多くの方が)勉強している「法律学」は、大変難しいと思います(他の学問が難しくないと言っているわけではありません。一応。)。「法律」と聞いただけでアレルギー反応が出てしまう方も多くはないのではないかと思います。

私も、毎日難しい学問書や判例解説を読んでいます(毎日は嘘かな。)。それでもわからないことだらけです。よく考えてみてください。私が法律に初めて触れたのが学部に入学した6年前、本格的に勉強始めてから3年ちょっとです。いままで、めちゃくちゃ頭のいい人たちが考えてきて積み残された問題が山積している学問領域において、私のようなペーペーがわかることなんて、1ミリもないでしょう。

そうすると,やはり「試験勉強終わった」という言葉に、違和感を覚えるわけです。


でも最近、「試験勉強が終わった」は、あながち間違いではないのではないか、と思ったりもします。

それは、「勉強≠試験勉強」だからです。

試験に出るところは決まっています。司法試験でも「基本ができていれば合格る」と言われています。そうすると、司法試験の勉強も(これは試験勉強ですね。)、基本ができれば終わるわけです。

もちろん、基本ができるという段階がレベルが高いんですがね。

こう考えると、試験勉強の方向性も見えてくるのではないだろうか、と思います。要は、「基本ができる」ことに重きを置くことがメインになるはずです。

では、「基本ができる」とは何なのか。多分これは以前の記事にも書いたと思います(結論は出なかったような気がしますが。)。その時とは考え方も変わっているかと思いますが、まぁ、正解のない問いなので、気にせずに行きましょう。

「基本ができる」とは何かを考えるにあたっては、①「基本」の範囲、②「できる」という概念がわからなければなりません。

①について

これは、よくわかりません。笑

しいて言えば、予備校でいうAランク論点、あるいは、「受験生のみんなが知っていること」でしょうか。後者については「合格者のみんなが知っていること」なのかもしれません。いずれにしろ、よくわかりません。

一つだけいるのは、基本書に書いてあることすべてが基本ではないということです。基本書なんて、ほんと応用すぎて、基本書を名乗るなと思います。「わかりやすい解説」くらい矛盾しています。

なんでこんな低レベルな子をと全世界向けに発信しているのでしょうか。


②について

こっちも難しいんですが、「自分の言葉に置き換えることができる」というのが、一番近いのかな、と思います。というか、これが書きたくて今日の記事を書きました。ここ以外読み飛ばしてもらったほうがいいくらい。

たぶん、このレベルまでくれば、あとは忘れようが何しようが、いいんですよね。忘れたら思い出せばいいし。

そう考えると、個々の到達点に向かって、勉強すべきなんですよね。暗記とかはチャンチャラおかしい勉強法です。


ということで、今日も偉そうでした。なお、暗記はいらないとは言ってないので。暗記、大事ですよ。絶対しなければならない勉強です。ただ、暗記する対象を間違えないように、という意味で書いています(伝わりにくいわ。)。

なんともありきたりなテーマですが、今日は試験勉強と健康について。

試験勉強に限らずですが、健康は大事ですよね。よく、「心技体」と言われますが、やはり人間、体が資本でしょう。そういう意味では「体技心」なのかもしれません。


では、健康管理について持論を少々。

こう見えても(見えませんね。身長170にして体重は60ない超痩せ型です。)ここ10年ほどで風邪をひいたのは片手で数えられるくらいです(あるんかい、というツッコミはなしで。)。

1日でも勉強ができないと、取り戻すのに数日かかりますからね。もちろん、やむを得ない事情で勉強ができない日は出てくるかもしれませんが、防げるものなら防ぎたいですよね。


上記のような考えのもと、健康管理には気を付けています。しかし、その方法は少し特殊かもしれません。

まずは、「規則正しい生活習慣」について。

私はそんなものいらないと思っています。最低限の睡眠時間と最低限の食事がとれれば、人間死ぬことはないだろう(少なくとも自分は死なないはず。)と考えているからです。

司法試験直前期はさすがに当日の体調を考えて無理はしていませんでしたが、それ以外の期間は少々の無理をしても勉強時間を確保するようにしていました。ひどいときは、「1日=24時間」に縛られたくなかったのもあり、48時間サイクルで生活していた時もありました。8時間の睡眠でも起きている時間が20時間取れるので、効率が良かったと思います。ただ、世間は、「1日=24時間」で動いているので、講義がある、仕事がある方には厳しい方法かもしれません。

睡眠は大事です。睡眠をしなければ記憶の定着もおぼつかないという言説もあります。

しかし、試験合格のためには、最低限の勉強時間は確保しなければなりません。司法試験においてはその時間数はとてつもなく長い。やはり、勉強時間確保が一つの大事な指針になるのではないかと思います。

「朝方」「夜型」という話もありますが、そんなの関係なく勉強すればいいと思います。結局、この手の話は「一般的には朝方がいいといわれているけど、私は夜型だからどうしましょう(結果は出ていません。)。」というのが始まりなような気がします。「私は夜型だから朝勉強できないんです」というのは言い訳に過ぎないと思います。要はやる気の問題でしょう。思い込めば誰でも朝方になれるし、夜型なら夜型で、結果を出せばだれも文句は言いませんし。


次は、食生活についてです。

これもまったく何も考えていない、というのが本音ですね。しいて言えば、朝はコンビニで買っているのですが、魔位置に同じものを買うように決めて、悩む時間を減らしているくらいですかね。

食にこだわりがありません。味音痴でもあります。それが功を奏してか、どのようなメニューであっても不満がありません。ご飯にお好み焼きを載せる、全然オッケーです。

量に関しては、「腹が減っては戦ができぬ」的考え方のした、まあまあの量を食べています。でもそこに時間を取られるのはしゃくなので、かなりの早食いです。それで上記の体型(高校生くらいから変わってはないのではないでしょうか。最近ちょっと体重が増えたくらいです。)なのは、体質です。もともと太らないんですね。

大体これを言うと、「自慢かよ」と言われます。本人はそんなつもりはないのですが。

そもそも、太ってもいいじゃないか、と思っています。私は、太ろうが何しようが、合格すればオッケーという考え方なので。

「痩せたい=モテたい」なら、「モテるために合格する」のですから、「痩せるために時間を使って落ちる」というのは矛盾でだと思います(たぶん。)。「何でもいいじゃん、合格すれば」。


ということで、かなりの極論かもしれませんが、こういった考え方で日常生活しています。よって、お察しの通り、集団生活は苦手です。

しかし、1年半のブランクで、考え方も変わったのでしょうか。以前のブログとは内容に変化が表れたような気がします。

この記事を読んで不愉快に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、ただのニートの戯言と思って、ご容赦いただきたいと思います。批判は甘んじて受けます。

復帰2日目にして何を書けばいいかわからない状態です。

とりあえず、もし仮にH27年司法試験に合格していれば修習に行くことになるので、その点について今日は書こうと思います。

さて、合格発表後1週間以内に提出しなければならない書類がたくさんありますね。

司法修習生採用選考

発表待ちの皆さんは着々と準備を進めているのではないでしょうか。

かくいう私は、まったく何もしていません。笑


笑い事ではありませんね。


1番時間がかかるであろう健康診断にもいっていません。予約すらとっていません。

やる気の問題ですね。

逆に言えば、健康診断以外は合格発表後でも準備ができるでしょう(その点の確認すらしていません。)。

というわけで、今週中にでも健康診断に行こうと思っています。その前に予約を取らないと意見あせんね。お金の準備も必要です。

やっぱり行くのやめようかな。

そして、修習の前には事前課題が出されます。合格している可能性がある方はそちらの勉強もされているのでしょう。要件事実などの民事系と、刑事系(特に刑法各論)の勉強はしておいて損はないとか。

私は今から行政法をする予定ですが。

こう見てみると、本当にやる気が見えませんね。というか、合格していないと踏んでいる以上やる気も出るわけがないのです。

とはいいつつも、周りでも修習に向けた勉強をしている方はちらほらいます。

「この人たち自信あるんやなー。」などと高みの見物をしています。

それに刺激を受けて、買ってみました、「事例で考える民事事実認定」(法曹会・2014)。

一読しただけですが、司法試験には直接的には不要かな、と思いました(信じるか信じないかは、あなた次第です。)。

内容は、1つの事例を使って民事事実認定を始めから終わりまでやってみよう、というもので、ありきたりといえば、ありきたりなものだと思います。ただ、法曹会が出していることからしても、修習でやることを言語化したという点に意義があるとは思います。

文章自体、論理的で、わかりやすいとは思います。理論的なところ(二段の推定等)は知識が必要な部分がありますが、それも法科大学院で学んだ範囲、ないし択一レベルの知識だと思います。


司法試験に「直接的には」不要と書いたのは、論理的な文章を読むことができるという点で司法試験に生きると思うからです。

この本は思考過程が書いてあります。そして、(規範的な意味での)行間を埋める必要がありません。

確かに、最高裁の判決文や他の基本書等も論理的なものがあるのですが(法律家が書いたもの、法律を学ぶために書かれたものである以上当然でしょうか。)、「事例で考える民事事実認定」とは違い、行間を埋める必要があるものが多いです(芦部憲法に顕著でしょう。)。


最近、周りの法科大学院性を見ていると、論理的に書けない人、話せない人、思考できない人がいるなと思います。これは、司法試験を受けるうえで、法曹になろうとするうえで、致命的なのではないでしょうか。

その原因は多々あるとは思いますが、その1つに論理的に思考されて書かれてあるにもかかわらず、当然のことであり、また紙幅の関係上省略された文章で書かれた出版物があるから、というものがあると思います。

こういった出版物は、読む人が読むと、当然の前提を埋めることができ、紙幅の関係で省略された部分を埋めることができるので、素晴らしいという評価になると思います。

一方で、読む人が異なれば、すなわち,当然の前提、省略部分を埋めることができない人が読めば、わけのわからんただ難しい文章ということになるのです。

しかし、自分より偉い人(教授とか?)が素晴らしいと評することから、これが素晴らしいんだ、こういった文章を書けば評価されるんだ、となるのではないでしょう。


これは、ある意味仕方のないことかもしれません。当然のことは当然のこととして、自分もできるのだから、開いてもできるという前提で話は進むからです。でも、「相手」はできる人だけではありません。私が通っていたような地方の法科大学院ではこれができない人が圧倒的に多いと思います。ここに、地方弱小ローと毎年何十人と合格者を輩出するロースクールとの根本的な違いはあります。

全学生に手取り足取りというのは、時間の制約がある(そして大した給料ももらっていない)教員にとっては難しいことなのかもしれません。できる学生もいるのだから、お前だってできるはずだ、ということかもしれません。でもそれは、無責任だろうと思うわけです。

できないことは、その原因を発見し、対策する以外にはできるようになる方法はないわけです。そして、その方法論もない学生は、成績不良として、卒業もできないという結果になる。それでいいのか、疑問ではありますね。個人的にですが。


「事例で考える民事事実認定」を読んで、思ったことを書いてみました。同書をよんだ方のうちには、自分の思考の甘さに気づく方もいらっしゃるかもしれないと思い、自戒を込めてブログにしてみたところです(決して同書も完ぺきではないですが。)。

前回の更新からかなり開いてしまいました。

約1年半です。開きすぎですね。

さて、法科大学院在学を言い訳にストップしてきたブログの更新ですが、この春卒業したことからこの言い訳は使えなくなりました。そこで、司法試験受験を言い訳にブログの更新を止めていたわけですが、この言い訳も使えなくなりました。

司法試験受験後の喪失感を言い訳に更新を止めることもできなくなった今日この頃、ブログ再開の契機もありましたので、ちょっと再開しようかと思い筆を執った次第です。

タイトルを「ブログ再開(仮)」としたのは、そのうち止めるかも、という意味が含まれています(みんな知っています。)。


さて、ブログ再開の契機というのは、司法試験合格を目指していらっしゃるブロガーさん(あの、超有名ブロガーさんです。)と、直接お話しする機会を得たことです。ブログについてはあまりお話ししなかったのですが(私がブログをしていることを話さなかったため。身バレが怖いのです。)、勉強方法、受験に向けての心構え等、学ぶべきところが多かったです。


そしてもう1つ。H27年司法試験を受験したわけですが、合格発表直前(でもないか。)にして、不合格を確信しており、来年に向けたモチベーション維持ツールが必要となったことも挙げられます。ま、受験直後から不合格は確信していたため、翌日から勉強に復帰できたことが、唯一の救いでしょうか。何の救いかわかりませんが。


ちょっと、久しぶりのブログかつ話題がなさ過ぎて、何を書いているのか分からなくなりました。


今は、法科大学院に残って、バイトもせずに専属受験生として勉強をさせてもらっているわけですが、この甘えた生活からもさっさと抜け出さなければなりません。来年は背水の陣です。おそらく、受かろうが落ちようが、最後の試験となると思います。

とは書いたものの、さすがに落ちるわけにもいかないので、合格するため、勉強をしなければなりませんね。lこれまでは扱わなかった法律関係の話題も、一応法科大学院卒業生として、触れていこうかなと思います。


とりあえず、一時期はまあまあのPV数があったこのブログを、復活させることが目下の目標となりますかね。

書きながら、このブログが長いのか短いのかも感覚としてつかめず、ブランクを感じますね。

もともと長文ブログだったはずなので(違うかな?)よしとしておきます。

それでは、もしご覧になってくださっている方がいらっしゃれば、今後ともよろしくお願いいたします。