勉強に終わりはあるんですかね?という内容の記事です。

答えは「No」ですので、まぁ、あんまり面白くありませんが、興味のある方だけでも読んでください。


例えば、学校の定期試験期間などに、「試験勉強が終わった」ということを聞いたことがないでしょうか。私はあります。よくあります。

わたしはこの「試験勉強終わった」に強い違和感を覚えます。なぜなら終わるはずがないから。

私が(そしてこの記事を見ていただいている多くの方が)勉強している「法律学」は、大変難しいと思います(他の学問が難しくないと言っているわけではありません。一応。)。「法律」と聞いただけでアレルギー反応が出てしまう方も多くはないのではないかと思います。

私も、毎日難しい学問書や判例解説を読んでいます(毎日は嘘かな。)。それでもわからないことだらけです。よく考えてみてください。私が法律に初めて触れたのが学部に入学した6年前、本格的に勉強始めてから3年ちょっとです。いままで、めちゃくちゃ頭のいい人たちが考えてきて積み残された問題が山積している学問領域において、私のようなペーペーがわかることなんて、1ミリもないでしょう。

そうすると,やはり「試験勉強終わった」という言葉に、違和感を覚えるわけです。


でも最近、「試験勉強が終わった」は、あながち間違いではないのではないか、と思ったりもします。

それは、「勉強≠試験勉強」だからです。

試験に出るところは決まっています。司法試験でも「基本ができていれば合格る」と言われています。そうすると、司法試験の勉強も(これは試験勉強ですね。)、基本ができれば終わるわけです。

もちろん、基本ができるという段階がレベルが高いんですがね。

こう考えると、試験勉強の方向性も見えてくるのではないだろうか、と思います。要は、「基本ができる」ことに重きを置くことがメインになるはずです。

では、「基本ができる」とは何なのか。多分これは以前の記事にも書いたと思います(結論は出なかったような気がしますが。)。その時とは考え方も変わっているかと思いますが、まぁ、正解のない問いなので、気にせずに行きましょう。

「基本ができる」とは何かを考えるにあたっては、①「基本」の範囲、②「できる」という概念がわからなければなりません。

①について

これは、よくわかりません。笑

しいて言えば、予備校でいうAランク論点、あるいは、「受験生のみんなが知っていること」でしょうか。後者については「合格者のみんなが知っていること」なのかもしれません。いずれにしろ、よくわかりません。

一つだけいるのは、基本書に書いてあることすべてが基本ではないということです。基本書なんて、ほんと応用すぎて、基本書を名乗るなと思います。「わかりやすい解説」くらい矛盾しています。

なんでこんな低レベルな子をと全世界向けに発信しているのでしょうか。


②について

こっちも難しいんですが、「自分の言葉に置き換えることができる」というのが、一番近いのかな、と思います。というか、これが書きたくて今日の記事を書きました。ここ以外読み飛ばしてもらったほうがいいくらい。

たぶん、このレベルまでくれば、あとは忘れようが何しようが、いいんですよね。忘れたら思い出せばいいし。

そう考えると、個々の到達点に向かって、勉強すべきなんですよね。暗記とかはチャンチャラおかしい勉強法です。


ということで、今日も偉そうでした。なお、暗記はいらないとは言ってないので。暗記、大事ですよ。絶対しなければならない勉強です。ただ、暗記する対象を間違えないように、という意味で書いています(伝わりにくいわ。)。