占いに行ったら

【寂しさ、孤独、悩みは

加減は違えど皆持っている。

ある意味 “皆一緒”。

だから「私だけいつもひとり」「私だけいつも不幸」のような

「自分だけが特別意識」「自分だけ被害者意識」

を手放しましょう】 と言われてモヤモヤ中。

 

 

 

 

で②の続きです。

 

 

 

 

 

 

 

今度はこの

【『私だけいつもひとり』『私だけいつも不幸』

『自分だけが特別』『自分だけが被害者』 を手放しましょう】への不満を書きます。

 

 

 

 

 

これ上矢印多くの人が言いたがるし、実際何人かに言われてきたけど

何なのこのセリフ。

 

 

 

 

 

こう言う事を言いたがる人というのは

なんで私が『私だけ』だと思ってると決めつけて話してくるんだろう。

 

 

 

 

 

実際問題、親は私を『ひとり』の立場に追い込む事で自分たちを守っていたから

そのせいで私は誰とどこに居ても孤独感に苛まれたし敏感にもなった。

 

 

 

 

 

 

『被害者』にしても実際『虐待被害者』でしょ。

虐待されながら育ってしまったんだからそれは『不幸』でしょ。

『虐待』って人生に丸っと影響するんだから 

なかなか『特別』な経験だと思う。

 

 

 

 

 

ただそれを『自分だけ』だとは思っていない。

虐待されて生きて来た人が私だけでは無いことくらい知っている。

この場合、「虐待された人」と「されてない人」を

一緒くたにして物を言わないで欲しいということなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

さらに私は自分の事を可哀そうとは思ってる。

けどそれの何が悪い。

実際可哀そうな目に何度もあってきた。

「自己憐憫」 上等だ。

でも他人から自己憐憫と言われるのは気に入らない。

いつも人に対して自己憐憫にならないように努力くらいはしてきた。(結果に自信は無いけど)

 

 

 

 

 

そもそも『虐待』をうけてしまうと

なぜか人生というか、もう生活を『楽しむ』事が出来なくなってしまう。

それが『虐待』なんだ。

 

 

 

 

 

誰と居ようが何をしようが常に鬱々としたものが心にまとわりついて

ストレス発散にならない。

ストレス発散を出来る人と何をしてもストレス発散にならない人。

この違い。世界観が全然違う。

 

 

 

 

 

この場合『特別』というのは<割合>の問題でもあると思うんだけど

虐待経験者自体が少ないし、

それににまつわる悩みを直に共有しづらいし

仲間の確率が低い分、やっぱり虐待経験は『特別』ではあると思う。

 

 

 

 

 

 

それでもやっぱり『だけ』とは思っていない。

苦しみ悩みは誰にでもある。

 

 

 

 

 

 

・・・・・だけどそれが何?だから何なの?

他にも苦しんでいる人がいてる。

そう思えば私の苦しみは減るとでも思ってる?

そんなわけあるか。逆に減ったら怖いわ。

 

 

 

 

 

 

普段は「他人と比べても意味が無い」と言いながら

「今の状態が辛いんです。フラッシュバックが辛いんです」と言ってる人間に

そんな時だけ「他の人」を引き合いに出す

そのやり方の意味が分からない。そのやり方が母とそっくり。

 

 

 

 

 

虐待されれば辛い。

おまけにその後の人生への影響も酷い。

人間関係が上手く築けなくなるのが虐待。

結局人生常に辛い。

だからそれを手放しましょう」と言われても

簡単に手放せるものでは無い。

虐待=生活がどんなものか知らないからこそ言えるよね?

知ってる人はそんな事言わないし言えないと思うわ。

 

 

 

 

 

虐待を受けた人と、受けてない人。

それは異次元なみに生きてる世界が違ってしまう。

それが『虐待』だ。

 

 

 

 

 

 

「鬱」の人に「頑張って」が禁句のように

「虐待」を受けた人に「あなただけじゃないのよ」「被害者意識を手放して」も

禁句な世の中になって欲しい。

 

 

 

 

 

無知な人達からの無責任な言葉はキツイ。

たくさんの人の心にこれ以上傷を増やさないで欲しい。

 

 

 

 

 

ぶーぶーぶーぶーぶーぶーぶーぶーぶーぶー

 

 

 

 

そもそも「苦しいのはあなただけじゃないのよ」と言いたがる人は

虐待された挙句に死んでしまった子どもにも同じことを言えるんだろうか。

…言わないだろうな。

じゃあ今までそんなばかりを私に言ってきた人たちは何なんだろう。

死んでしまった子と死なずに生き延びてしまった子に

何か違いがあるとでも思ってるんだろうか。

レイプ被害者や、DV被害者にも

「苦しいのはあなただけじゃない」なんて言える人は少なくなるだろうに。

 

 

 

 

 

 

本当にどうしてだ。どうして『虐待』の話になると

多くの人から「苦しいのは自分だけだと思ってる?」感が出るんだろう

 

 

 

 

 

 


私はそれを“親神話”が絡んでくるからだと思う。
 

 

 

 

 

 

 

今まで結構な数、虐待で子どもが死んでいるのに

未だに虐待はテレビ中の話のように思ってる人は多い。

テレビを見て「可哀そう」と言うくせに

私が「私も虐待されてきたよ」と言うと

「はあ?何言ってるの大袈裟な」

「親に感謝しなよ」

「そろそろ大人になりなよ」

「お母さんだって大変だったんだよ。わかってあげなよ」

などとしたり顔で言ってくる奴。

そういう奴ほど具体的に何があったかは絶対に聞いてこない。

 

 

 

 

 

 

 

相当な数の事件が起きてるのに

実際身近な虐待被害者にはそんな無神経な事が言えるのは

“親神話”にしがみつきたいせいにしか見えない。

何故かと言うと“親神話”は自分の言い訳に使えるからだ。

 

 

 

 

 

自分が子どもの時は

「親なんだから私を愛してないわけがない」と思い込めば

その先何とか生きていける。

そして自分が親になった時には、もしも子どもに何かをしてしまっても

「でも子どもを愛している」と言ってしまえば周りがそれに同調してくれる。(事が多い)

「親なんだから。子どもを愛してるんだから。私のした事はしょうがなかったの」

と思い込めるし事実を封じ込むことが出来る。

 

 

 

 

 

 

そうやって“親神話”を利用できると無意識に考えているから

“親神話”を否定する私に変な圧を出してくるんだろうと思っている。極論だけど

 

 

 

 

 

 

この世の中、極論を極論だからと軽く見る機会が多いと思うけど

それはやっぱり普通の世界の話なだけで、

実際虐待世界では加害者の中のかなりの人数

そんな極論を普通に、でも無自覚に

言い訳として使ったり利用してるんだろうなというのが私の実感だ。

 

 

 

 

 

 

 

“親神話”は加害者にとって出来事を都合よく解釈するのにとっても便利。

 

 

 

 

 

 

この考え方、極論の自覚はあるけど

私は私の母を見て育ってきてるので間違いではない自信もある。

ただあくまでも 私個人の考えです。

 

 

 

 

まだ続きます