「大御所様、その‥大変申し上げ難いのですが」

「なら、よせ」

「えっ、あの‥その‥」

「なんじゃ、言うてみよ」


雄三郎は麦子が来るのを待っていた。
今日も麦子と夕食を共にするのだ。

森川としては、雄三郎にこのことを、
由基が帰った直後に話すつもりでいた。
だが雄三郎は、身を隠していた最上階の他の病室で
ずっと熟睡していた。(‥いい気なもんね)

そのため、森川は今の今まで言い出すきっかけを
失っていた。


「あの、由基様はその‥もう気づいて

 いらっしゃるのではと‥」

「そうか」

「えっ、大御所様。ご存じで」

ソファに座っている雄三郎の、
斜め後ろに控えていた森川は思わず声を張り上げた。

「うるさい。声が大きい」

「申し訳ございません。大御所様」

「それで、由基はなんだと」

「はい。由基様は、大御所様が昨日、咳込まれた際、

 先生も駆けつけたはずと。咳について、あの‥

 例えば、呼吸器系の疾患‥とか、

 何も記載がないが、どういうことかと、

 おっしゃって。由基様は、いずれ

 先生に直接お話を伺うおつもりかと」

「ふん。わしの演技は完璧じゃ。

 主従医も、素人の由基相手にボロを出すほど

 アホではなかろう。

 となると、やはりおまえじゃろ。

 それに、おまえが言っておった根回しとやらも

 どうせ余分だったんじゃ」(‥森川散散)

「そんな‥大御所様・・・」

「はぁ‥あれのためにやったことじゃ。

 わしは感謝されるべきだ。

 森川、麦子はまだか。腹が減ってかなわん」

雄三郎は、役作りのために食事制限をしていた。

森川は、失敗に終わりそう?な、
暗雲垂れ込めている今回の企て、
大御所様は、今のところお怒りのご様子はないが、
一体どうなさるおつもりなのか‥と気になった。

「大御所様、お嬢様は会社にいらっしゃいます。

 お出になられたとの報告はございません。

 先に、軽めのお食事をご用意いたしましょうか」

「うーん、それならよい。

 森川、それじゃ。そこのバナナでいい」

「かしこまりました。大御所様」

森川は、バナナと水を雄三郎の前に置いた。

「大御所様、その‥お嬢様がいらっしゃったら

 今回の件、お話なさいますか」

雄三郎はバナナを頬張りながら答えた。

「なぜじゃ」

「大御所様。お嬢様が、本当のことをお知りに

 なったら、それはお怒りになられますよね。

 そうなって、困るのは大御所様かと」

「麦子は知らん。そうだろう。

 由基が、麦子や他の者に喋るのであれば

 とうに言っておる。

 あれは、そこまで単純じゃない」

「大御所様。

 大御所様のおっしゃるとおりでございますが、

 由基様は事実をお知りになったら、

 お嬢様にお話しされるのでは」

「全く‥言わせなきゃいいだろう」

「それでは大御所様。何かご名案がおありで」

「まあ、ない訳ではない」

「差し出がましいことを申しますが、大御所様。

 やはりこの辺りでお止めになられた方が‥

 お嬢様を悲しませることは得策とは言えません」

「それは何度も聞いておる。

 おまえは聞こえなかったのか。

 わしがいいと言っておるのだ。

 おまえは迎えにでも行ってこい」

「大御所様」

森川は一礼すると特別室を出ていった。

「全く‥誰も、わしの気も知らんと」

雄三郎はカーテンの隙間から外を眺めた。


~~
麦子は一日中、彩人から目が離せなかった。

彩人は、麦子の教育係に任命された。

そのため、麦子と彩人のデスクは隣りどおし。
嫌でも、麦子の視界に入るところに彩人はいた‥

そんな麦子の頭の中は、

~どうしたら麻里と彩人は仲直りできる?~

だった。

麦子の見たところ、彩人は平然と仕事をしていた。

(そりゃそうでしょー)

今のところ、彩人の所に麻里からの連絡はない。

麦子は、今夜、麻里から彼女の思いを聞き、
自分のできることはしてあげようと考えていた。


「・・・紫堂さん」

「は、はい」

麦子は勢いよく立ち上がった。

「はい、GL。お呼びでしょうか」

「ふっ。お疲れさん。終わっていいよ」

GLは自身の腕時計を見せながら言った。

「はい。ありがとうございます。

 お疲れ様でした」

麦子は振り返ると彩人を捜した。

彩人は忙しそうだった。

麦子は自分の席に戻ると、小さく溜め息をついた。




~~
☆彩人、一応、一年目の新人なんですけど、
 これまた彩人もできる男ってことで‥
 麦子の教育係♪彩人以上の適任者いないよね。。
由基は誰とも目を合わせず、病院内を足早に横切った。

エレベーター前まで来ると、ちょうど降りてきた
一機に乗り込んだ。
由基はさり気なく周りを見渡し、
記者らしき人物がいないか‥と確認したが、
怪しい人物は見当たらなかった。

次々に人は降り、乗ってくる人はいなかった。
最後には由基ひとりとなり、正直、ほっとしていた。

特別室のある最上階は、
いわゆる紫堂家専用スペースだった。
紫堂家と紫堂家に係わる者だけが使用できた。

森川は14時10分前から、
最上階のエレべーター前で
由基が現れるのを待っていた。
たった今、由基がロビーを通過したと、
担当者から連絡を受けた。


~~
午前、由基からの申し出を受けた森川は、
ただちに特別室に舞い戻った。
そして、雄三郎と策を練り、主従医を呼びつけ
口裏を合わせたのだ。

雄三郎と森川は、

これで万全だ‥

と、顔を見合わせてほくそ笑んだ・・・
~~


エレベーターの点滅が、最上階に到着したことを
知らせると、森川は深々と頭を下げた。
それを目にしたふたりの護衛は、
身体の向きを変え、慌てて頭を下げた。

エレベーターが開き、由基が降りてきた。
森川は、由基が自分の目の前に来たことを
確認すると、ゆっくりと頭を上げた。

「由基様、お待ちしておりました」

「森川、急ですまなかったな」

「いえ、とんでもございません。由基様。

 お部屋は、大御所様の‥

 特別室でよろしいですよね?」

「森川、他にあるのか。

 それならそこに行こう」

「えっ、いえ。由基様、そうではございません。

 こちらでございます」

「知ってるよ」

由基は顔を横に向け、笑いを噛み殺した。

先を歩く森川は、特別室に着くと扉を開けた。
由基は中に入り、誰もいないことを確認すると
ゆっくりと振り向いた。

「由基様、こちらにお掛けください」

森川は、用意してあったコーヒーをカップに注ぐと、
ソファの前のテーブルに置いた。
そして、由基の座るべき定位置の斜め後ろに控えた。

由基は、その様子を黙って見ていたが、
森川の無言の圧力に、仕方なくその定位置に
腰掛けることにした。

由基は腰掛けるとこう言った。

「やはり、主従医は来ないってことだな」

「はい。先生はお忙しい方なので。

 その代わり、現段階での大御所様のご病状を

 こちらに‥ご用意してございます」

森川はこう言うと、まとめられたカルテの写しを
由基に手渡した。

「お忙しい先生なのに、こんな短時間で‥

 申し訳ないな‥先生に少しでも会えないか。

 直接、御礼が言いたい」

「由基様、それはできません」

「できない?なぜだ」

「いえ、そうではなくて。

 先生は、本当にお忙しいのです。

 まず、大御所様の検査と、あと診察に治療に」

「この時間、診察はないはずだか」

「いえ、先生は入院中の患者の診察をするんです」

「そうか、検査はいつ終わるんだ」

「由基様、ご覧にならないのですか」

由基は写しを握ったままで、中を見ていなかった。
写しをテーブルに置いた。

「先生がいらっしゃる時にじっくり見るよ。

 じいさんの検査はどこでやってるんだ。

 様子だけでも見たいんだが‥」

「かしこまりました。ご案内いたします。

 あっ、その前にお召し上がりください。

 その間に、大御所様がただ今、どちらで検査して

 いらっしゃるか確認いたしますので」

そう言うと、森川は一礼し、部屋を出て行った。


由基はコーヒーを口にした。

由基が思った通りだった。

きっとこのまま帰ることになるだろう。

由基はテーブルに置いた写しを開いた。


~~
午後5時を過ぎ、周平と渉はやっと解放された。

渉はシャワーを浴びようと、部屋へと急いだ。

「渉ー」

「はぁ‥疲れが増す・・・」

渉は走った。

「あれ?‥なんで走るんだよー

 渉、待てよ。渉ー」

周平も走った。

渉は、周平に追い着かれることなく、
自分の部屋にたどり着いた。

ふぅ‥

こんな日は、ひとりで飲むに限る。

渉は部屋に入り、鍵を掛けた。

はあー

渉は両腕を横に伸ばした。

「渉ー」

「しつこ‥」

渉は、周平を無視し、シャワーを浴びに行った。

「渉‥」

尚も渉を呼び続けていた周平は、

渉は出て来ない‥

と、やっと悟ると渉の部屋の前で座り込んだ。

周平は不思議だった。
だから、渉に聞きたかった‥
それだけだった。

今日行われた周平の教育プログラムは、
これまでとそれほど変わらなかった。
今後の予定もそのように聞いている。

だが、渉のプログラムは、これまでとは違うと
担当教授に言われて、なぜ?と思った。

渉の希望?

そうではないらしい‥

じゃあ、じいさん?

どんな理由で?

渉とは幼い頃から一緒だった。

周平も分かってはいた‥

周平はふいに悲しくなってきた‥

周平は、のろのろと立ち上がるとバーへ向かった。




~~
☆周平、ほどほどにしてね‥(ノω・、)
 では、読んでくださって感謝です。。
先ほどまで、麦子は同じ部署で働く社員は
もちろんのこと、グループ本社全ての社員から
挨拶を受けていた。

ひと通り挨拶が済むと、
麦子は、こじんまりした打ち合わせ用の一室で、
彩人と麦子が働く部署のリーダー(以後GL)から、
今後の説明を受けることとなった。

その最中、物凄い睡魔に襲われた麦子は、
眠気覚ましに(おいおい‥)
横の椅子の上に置いていたバックの中から
携帯を出した。
そして麦子は、ふたりから見えないように
自身の膝の上で携帯を見た。

「あっ」

麦子は慌てて自身の口元に手をやり、
申し訳なさそうに言った。

「あの‥お手洗いに行きたいのですが」

「そうですね。じゃあ、一旦休憩にしましょう」

GLはこう言いながら、自身の腕時計を見た。

「ありがとうございます」

麦子はこう言うと、彩人の方を見ながら
立ち上がり、部屋を出て行った。


そして、トイレに急いだ。

麦子は女子トイレに着くと個室に入り、
麻里からのメールを開いた。

「麻里‥」


~麦子、仕事中にごめんね。
 私は家に着いたわ。
 なんか懐かしい感じなの‥
 ふふ、へんでしょ。
 こっちが自分の家なのに。
 今夜、麦子と話がしたいの。
 何時頃なら大丈夫?
 返事はいつでもいいからね。
 お仕事頑張ってね。
            麻里~


麦子はすぐ麻里に返信した。
本当は、今すぐにでも麻里と話したかった。
でも、それはぐっと我慢した。

麦子は、もうひとつ我慢していた。
そのもうひとつとは、
戻ったら自分で確かめることにした。

でも、どうやって聞こう・・・

「うーん」

はっ

麦子は両手で口を押さえた。そして耳を澄ます。

ガタガタガタ

少し離れた所から、何か音が聞こえてくる。

あちゃー

麦子は無意識に、ぶつぶつと独り言を呟いていた。
誰かに聞かれていたかも知れない‥

ああ、恥ずかしい・・・
どうしよう、ここから出れない‥

あ、そういえばいつ来たんだろう?
休憩って、何分まで?

麦子はひとり、あたふたしていた。

もう覚悟を決めて、ここから出るしかない。

麦子はそぉーと扉を開け、少しだけ顔を出した。

あれ?!誰もいない。

麦子は慌てて、女子トイレから出た。


その頃‥

麦子の戻ってこない一室に、彩人が3人分の
コーヒーを持って戻ってきた。

「どうぞ」

「ああ、彩人君。ありがとう」

「いえ・・・ふっ」

「うん?」

「あっいえ、何でもありません」

「そうか」

「GLも大変ですよね。

 こんな扱いづらい部下ばかりで」

「いや、そうでもないよ」

GLは、不敵な笑みを浮かべながら彩人を見た。

彩人は、一見温和そうに見えて、
実は相当なやり手であるこの上司と
結構、馬が合うと思っていた。

「ちょっと見てきます」

「ああ、そうだな」

彩人は、部屋を出てトイレに向かった。


~~
「彩人」

彩人が部屋を出て、廊下の最初の曲がり角に
差し掛かると麦子と出くわした。

「麦子、大丈夫か?何かあったのか」

「えっあの、えっとーその‥
  
 彩人、あれからメールあった?」

「えっ、メール‥麻里から?」

「そう。麻里からメールあった?」

「そんな‥見てないよ」

彩人はポケットから携帯を取り出した。

「きてた?」

「いや・・・麦子、もう気にするな。

 それに今は仕事中だ」

「ごめん‥」

「いや、悪い。そんなつもりじゃ‥

 麦子。麦子のところに、もし、また麻里から

 連絡があったら教えてくれないか」

「あっ彩人」

「戻ろう」

「彩人・・・」

麦子は、それ以上何も言えず、
彩人の後を着いていくしかなかった。




~~
☆麦子、結果的に彩人に嘘ついちゃいました‥
 では、読んでくださって感謝です。。