孫正義は偉大 | 世紀末救世主ブログ

孫正義は偉大


もう周知だと思いますが、孫正義が個人資産から100億円を寄付。


今後の役員報酬全額寄付。






これを見て

最初、「企業戦略だろう」と呟いた自分が情けない。


孫正義について、「ソフトバンク」・「買収」という二つのキーワードしか発想

することができないくらい、孫正義について理解していなかったからだ。




孫という名字から、在日であると思う人が多いと思うが、彼は

34歳の時に、日本人国籍を取得している。

もともと孫は「安本」という名字を使っていたが、それは

日本人による在日韓国人への差別行為を受けることが理由であった。


彼が、「安本」から「孫」へと名字を変えたのは、米国へ渡った後だ。

韓国人だから差別されるというのは、当時は一種の日本文化と言っても良いかもしれない。

それが米国に渡ると、人を資質で判断し、国籍への差別が無い、または薄いことから

自信をもって、「孫」という名字に直したのかもしれない。



幼稚園時代、正義に国籍の問題を初めて意識させる出来事が起きる。

幼稚園の友人に後ろから石を投げられたのだ。出血し、正義は泣きじゃくった。 

孫は当時のことをはっきりと覚えていた。 

「その時に、たまたま言われた言葉がすごく心の傷みたいにして残って。”何々人”っていうわけですよ。

それがすごい傷みたいになって・・・・・・」  こうした心の傷を普段は忘れていた。しかし、なぜか

決まって雨の日になるとその傷が心に蘇ったと孫は漏らした。 

彼はソフトバンクを始めた後、再会して食事をした中学三年当時の担任、河東俊瑞にもその時の様子を

もらしている。当時、知的障害者の施設を任されていた河東が、彼らの作った粘土の箸置きを孫に見せ

ていたときに、先生、実は、と話し始めたという。  「小さいころ、この朝鮮が、と言って石を投げら

れたんです。今でも頭にまだ傷があります」  孫は淡々と語ったという。


正義が最も影響を受けた教師は、小学校五、六年の担任の三上喬という人物だろう。

三上は当時、グループごとに目標を達成させる、班教育に力を入れていた。

そのリーダー格が正義だった。 

正義は、この三上を慕い教師の道をめざそうと思い始めた。 

ところが、韓国籍では、日本で教師になれないと知らされる。孫はその時の思いをこう語った。 


「小学校五、六年の時に、小学校の先生になりたいと、

おやじとおふくろに言ったことがあるんですよ。

そうしたらおやじがウーンってなんか口ごもるわけですよ。

公務員ですから国籍が日本国籍じゃないとなれない、

おまえそれは無理よということを言うから、

子供たちに教育してやろうというのに何で国籍が関係あるんだと。

だけど国籍を変えてまですることじゃない、こう言うわけですよ。

だから僕は国籍という書類上の肩書きが邪魔になるなら、

それにこだわることの方がおかしいんじゃないかと。

理にかなわん納得いかん、ということを一週間くらい親に、

お風呂場まで、トイレまでついていっておやじにくってかかって」 

その時彼は、日本では自分の将来を自由に選べないという現実を初めて突きつけられたのだ。 


その当時、小学6年の孫正義が書いた詩が次のものである。

タイトルは「涙」 

君は涙を流したことがあるかい。 

「あなたは」  「おまえは」 

涙とはどんなに  たいせつなものかわかるかい。 

それは人間としての感情を  あらわすたいせつなものだ。 

「涙」  涙なんて、  流したら、はずかしかい。 

でもみんなは、涙をながしたくて、ながしては、 いないよ。 

「じゅん白の、しんじゅ。」 

それは人間として、  とうといものなのだ。 

「とうとい物なのなん  だよ。」 

それでも、君は、はずかしい  のかい。 

「苦しい時」「かなしい時」そして、「くやしい時」 

君の涙は、自然と、あふれ  でるものだろう。 

それでも、君は、はずかしい  のかい。 

中にはとてもざんこくな、  涙もあるんだよ。 

それは、  「原ばくにひげきの苦しみを  あびせられた時の涙」 

「黒人差別の、いかりの涙」 

「ソンミ村の大ぎゃくさつ」 

世界中の、人々は今もそして  未来も、泣きつづけるだろう。 

こんな悲劇をうったえるためにも、涙はぜったいに欠かせないものだ。 

それでも君ははずかしいのかい。 「涙とはとうといものなのだぞ」
 




もう一つ、彼が中学1年の時に書いた詩もある。


タイトルは「じゅく」 

ぼくのきらいな じゅく。 

じゅくは悪まだ。 

差別を生みだすじゅく。 

エゴイズムを生みだすじゅく。 

「お金」「お金」 

うすれゆく友情。 

金をはらって行くじゅく 

コンピューターにしてしまうじゅく 

今この世にどれだけ 

ぼくらのためのじゅくがあるというのだ。 

いつかきっと  正義の原爆がおちる時がくるぞ。 

いつかきっと。  きっと。 

その時こそ  ほろびるんだ。

にせのじゅくが。
 









ちょっと、ここまで書いてて、まだアメリカに渡るところまでなんですけど

孫正義のエピソード・生い立ちを全て調べて読んでいたら

泣いてました。

なんと言ったらいいか分からないけれど、

確かに言える事は、「立派な人間だ」ということ。

上に立つ資質を持って生まれた人間だということ。

人の大切な心を持っているということ。

自分に自信を持っているということ。

悲しみを分ち合う事の出来る人間だということ。

約束は必ず守る人間だということ。



そんな彼だからこその寄付金

金額に値する以上の心のこもった寄付なのだ。


孫さんについては、また今度書きます。