告白(映画版)
95点。やっぱり松たか子は良い演技をするわ。ある中学校、雑然とした教室。終業式のホームルーム。1年B組、37人の13歳。教壇に立つ担任・森口悠子が語りだす。「私の娘が死にました。警察は事故死と判断しましたが、娘は事故で死んだのではありません。 このクラスの生徒に殺されたのです」一瞬、静寂に包まれる教室。物語は「告白」から始まる。(Amaz○nより)この作品は「告白」というよりも「独白」といった方が適している。この作品の原作は各登場人物の「モノローグ」のみによって構成されているからだ。これを映像化するという時点で、無謀。タイトルの趣旨にも反する。にもかかわらず、これほど高い点数に設定したのは、成功しているからだ。映像化が。ストーリーについてのレビューは小説版に委ねるとして、ここでは小説版と映画版との描写の差異を検証してみる。冒頭、教室での松たか子(森口先生)の告白。(これは描写ではなく、私の小説での印象と違っていただけなのだが。)その違いというは「教室が騒がしいこと」。先生の話の深刻さに、徐々に教室が静まり返っていく…という描写になっている。私の小説での印象は「最初から生徒たちは真摯に話を聞いている」ものと思っていた。一方の映画版では、「たくさんの生徒に向かってずっと話し続けているんだけど、 実は何も語りかけていない。」(文庫版「あとがき」より抜粋)――という演技を松たか子に要求したそうだ。これが実に見事にフィットしている。まさに「告白」ではなく「独白」なのだな、と思わせるシーンだ。また、微かな感情の変化も松たか子は実に上手く演じている。必見のシーンだ。後半、夜の街を歩く松たか子(森口先生)。これは新たに追加されたシーンだと思う。美月の主張。嘲笑する森口。別れた後の帰路で森口は、突然泣き出してその場に蹲ってしまう。こんなもののために我が子は殺されたのか。渡辺修哉の弱点を知り、復讐の終着点を知る森口。しかし、復讐が完遂しても、何も戻ってこないことは分かっている。だからと言って、復讐以外の選択肢を取っても、何も戻ってこない。それでも・・・彼女は再び無感情に突き進む。終盤、修哉の嘘。自身のWebサイトに遺書を残す修哉だが、森口はそこに嘘が含まれていることを指摘する。「告白」である以上(第三者視点が無い以上)、話し手の嘘が含まれている可能性を監督は指摘している。それを体現化したシーンである。とは言え、それが別に重要なこととは思われないので、詳細は割愛する。ラストシーン、松たか子(森口先生)の一言。修哉が自殺するために仕掛けた爆弾を森口は、修哉の最愛の母親の元へと送る。そうとは知らずに起爆スイッチを押してしまった修哉に、森口は語りかける。「ねえ、渡辺くん。これが本当の復讐であり、あなたの更生の第一歩だとは思いませんか?」映画版ではさらに一言が追加される。「……なんてね。」これはどういう意味だろう?爆弾を修哉の母親の元へ仕掛け直したというのは嘘。誰も死人は出ない…とでも言うのか。いや、そうではない。この物語に救いを与えてしまっては、本作の特徴的な「陰鬱した印象」が掠れてしまう。「暗い影を落とす読後感」が無くなってしまう。こういう意味を含んだ台詞だと考えれば、私は納得できる。「ねえ、渡辺くん。これが本当の復讐であり、あなたの更生の第一歩だとは思いませんか? ……なんてね。なかなか、聖職者っぽい台詞だと思いませんか?」森口にとって、修哉の更生なんてどうだっていいこと。望んですらいないだろう。気が触れて馬鹿になってしまった様を表現するためだろうか。コミカルに描いたシーンが個人的には違和感であったため-5点。