2012年宝塚記念予想 ~強さを求められる君が弱くても | Everyday People Dance To The Music

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日々人は音と共に踊る

色々考えたし書こうとも思ったが、結局はオルフェーヴルに帰結するので考えるのを止めた。



レース前の期待と不安に全て答え、ここからどこまででも行ける手応えを見る側に、或いはこの馬自身の陣営に、もしかすると周囲の全てに(少なくともウインバリアシオンをしてまともに勝負することを諦めた安藤騎手には)与えたこのレースと、同じ舞台にまた戻ってくる。

それは阪神大賞典と同じコースだと言うことでもあるわけだが、結局神戸新聞杯と阪神大賞典とでは、騎手の意識が決定的に違っていて、それによって与えられた違和感が蓄積されて臨界点を超えた結果があの逸走だったように思う。

続く天皇賞では、馬場云々もあったにせよ、前走からの流れで4コーナーまでは梃子でも動かないという作戦ともいえない作戦を採った、採らざるを得なかった時点で、負けるべくして負けたと言うことになるが、陣営にとっても見る側にとっても、過剰な信頼から過剰な不安へと移っていったオルフェーヴルへの視線をニュートラルなものへと戻すための、通過儀礼としての敗戦とも言えるのではないか。

適切な信頼と適切な不安。
神戸新聞杯の、菊花賞のレース前の心境に、再び池添が戻れているならば。



◎オルフェーヴル



今回もレースはリアルタイムで見ないかもしれない。
見ない理由は今回はあまり無いのだが、気持ち的に見ない方に傾いている。

それは詰まるところ思い入れの裏返しと言うことになるのだが、単純に1頭の馬にここまで思い入れられる気持ちが自分にまだ残っていたのだと言うことに、正直驚いている。

競馬を本格的に見始めた約10年前、恐らく最も熱心に競馬を見ていた時期でもあったろうが、そのとき追いかけたアグネスフライトやテイエムオーシャンといった馬と同じくらいの熱量を、オルフェーヴルに対しては感じている。

それは結局、去年の夏から秋にかけてが人生の中でも最たるクライシスモメントであり、と言った個人的事情が色濃く関わって来るわけで、オルフェーヴルにというよりもその強さに思い入れている部分が大きいのかもしれない。

アグネスフライトにせよテイエムオーシャンにせよ、それぞれにある時点で壁にぶつかり、やがてフェイドアウトして行き、という流れの中で僕自身もその熱量を冷ましていったわけだが、その意味においてもオルフェーヴルは今分水嶺に来ている。

力を示すのか、窄んで行くのか。それを目の当たりにして、その先を追いかけるのか、追いかけないのか。

今回の結果が出てもなお、僕は判断を先送りにするのかもしれない。