ライフエンターテイメント 坂本のブログ

ライフエンターテイメント 坂本のブログ

TOSHI SAKAMOTO(株)ライフエンターテイメント代表取締役。ストレッチ専門店やリラクゼーションブランド、デイケアサービスを運営・展開しています。趣味はNetflix。

2021年あけましておめでとうございます㊗️


新年最初はいつも通り初詣からです。


2020年は色んな意味で日本中が期待に満ち溢れたスタートを切りました。


しかし、早々から新型コロナウイルスが国内でも猛威をふるい始め、異例の緊急事態宣言、オリンピック延期、大型金融政策など期待とは裏腹に我慢な1年を強いられることとなりました。


その影響は政治や企業のみならず、一般の私たちの生活も様変わりし、健康、経済、精神までもを蝕まれました。


当然、我々の会社も影響を受けました。

お客様も不安、社員も不安。

毎日、多額のお金が水のように出て行く状況は恐怖を通り越して意識が散漫になりそうでした。


しかし、普段からお客様に寄り添い、会社のカルチャーを体現してくれている現場スタッフのお陰で6月以降は持ち直し、何とか危機的状況を抜け出す光が見え始めました。


ここで僕は決めました。


「こんな天変地異が起こることはもうない。今こそ目先のことではなく、この先会社を引っ張っていけるリーダーを育成しよう」と。


そして、リーダーセミナーという社内研修を立ち上げ、相談役に元三井不動産の有山さんを招へいし、ミーティングのフォーマットを変え、参考資料に課題図書、極め付けは現場から強制的に離れさせもしました。


約半年間、皆んな何とか食らいつき、これまで見えなかったことや目を背けていたことと向き合えるようになったと思います。


この半年やってきたことの結果は今年の春先に見えてきますが、2021年スタートはなかなかいい出だしです。



ここで、僕個人が思う今回のコロナについて書いておこうと思います。このブログは社員の方も見ていると思うので確認の意味も含めて。


まず、本当に今恐れているのはコロナに感染し、自らの命を落とすかもしれないという環境に対してでしょうか?


1月1日現在で厚生労働省の発表では国内での新型コロナウイルス感染症の感染者は234,395例、死亡は3,460名、入院治療等を要するは36,186名、退院又は療養解除となったは193,714名という状況です。


その重症化する人の割合は 約1.6%(50歳代以下で0.3%、60歳代以上で8.5%)、 ・死亡する人の割合は 約1.0%(50歳代以下で0.06%、60歳代以上で5.7%)となっています。


高齢者と基礎疾患がある人が重症化しやすいわけです。


これを踏まえた時に、0か100で店を営業するかしないかで決めてしまうことには、疑問に思います。


実際、お客様からも「営業していいの?」というお声は沢山いただきました。


コロナが上陸して早い段階から検温、消毒、マスク着用などを実施してきましたが、やはり不安に感じられる方も多いと思います。


引き続き、コロナ対策には万全を尽くして営業して参りますが、不安に思われる反面、お客様からこのようなお声も沢山いただいております。


「パーフェクトストレッチに来るとみんな明るくて元気になれる」


「ストレッチを受けないことで身体が不調になってコロナ以前に生活に支障をきたす」


「私にとってあなた方はなくてはならない、外出禁止にならない限りストレッチを受けにきますよ」


このように生活の一部に我々のサービスが必須になっている方々も多いのです。


これは、全ての業種で全く同じことだと僕は思います。

コロナの影響で日本国内の実質成長率は−7%、失業率は3%(実質7%)とズタボロにされています。



何も売上の為にゴリ押しで営業するべきだ!と言っている訳ではなく、客観的にみて妥当なラインを決めてそれぞれが経済活動をしていかないと、僕たち若い世代の人たちは、これからも続く様々な困難なことに毎回「なんとなく」で判断してしまうのではないかと思うのです。


「若造が何を言っているんだ。無責任な」というお叱りも受けそうですが、あえて言うと僕たち若い世代がしっかりとした根拠を持ち、自ら考えギリギリのラインで判断する力を持ち、リーダーとしてその責任を重く受け止めて、覚悟を持って前に進まなければ、「人任せ」な体質ではどんどん衰退してしまうと思います。


今年も我々は、何とか頑張って、このコロナ禍でも突破口を見つけ、採用を進めて、成長を止めずに前進していく覚悟です。


様々な情報が溢れ、錯綜する中でしっかりと根拠を持ち、ひとりひとりが責任を持ち、生活をしていくということです。



また今年も年始に気持ちを新たに走り始め、困難ことや不安やストレスに感じることが襲いかかってくると思いますが、昨年の経験が生きるのは当に今年です。


2020年という怒涛の1年を戦ってきましたが、また新たな1年の戦いが始まりました。


共通の目的を持った仲間同士、今年も頑張って実りある1年にしましょう。



最後になりましたが、新型コロナウイルスによりお亡くなりになられた方にお悔やみ申し上げます。

憎いコロナウイルスに若い世代の僕たちは臆するわけにはいきません。最大限のプロテクトをしながら、戦って参ります。




気がつけば2020年も残すところあと1週間ほどとなった。今年は2月頃から猛威をふるい始めた新型コロナウイルスの影響で人々の健康や経済活動、精神までも振り回される1年となった。


今も、1年間でもっとも人々が盛大に賑やかに迎えるはずのクリスマス、年末年始も感性拡大防止の観点から行動規制や自粛を余儀なくされ、経済的、精神的に限界まで来ている人が多いのが事実だ。

僕達も創業期から続けていた社内イベントや1年間の労をみんなで労い、新年に素晴らしいスタートを切るべく大忘年会も苦渋の決断だが全て中止にした。
今まで8年間、経営に携わってきて年末だけはどうであれ、全員の労を労い感謝の気持ちを皆に伝えようと催してきたイベントなので残念でならない。



そして本題だが、激動の1年を過ごし色々と出来なかったことや少し時間がかかることも進めることができた1年でもあった。


まず、snsによる情報発信については社内の意識もかなり変えることができたと思う。僕たちは、パーフェクトストレッチの〇〇さんではなく、〇〇さんがいるパーフェクトストレッチというブランディングを大切にしているので、個人が目立ち、「あなたに会いに来た」と言っていただけるように、snsを通じて自分をアピールしていくことが大事でその基盤はできつつあると感じる。


そして、今期の初めに立てたリーダー育成の目標だがこちらはやはり、時間がかかる。正直、手探りな部分もあるが、確実に組織の中心になる人が生まれてきている手答えを感じている。


月1回のリーダーマネジメント研修を通じて、基礎知識を体得し、主体的なリーダー育成に注力している真っ最中だ。


ここで、大きな気付きを得ることができた。


それは、組織の中心にある目的(ベネフィットと呼んでいる)と個人の目的をいかに一致させていけるかが、最重要ポイントであることを僕自身が身をもって体感したことだ。


経営書には、ありとあらゆる手法や戦術が記されているが、リーダー自身が主体性を持ち、自己実現の為にリーダーという職務にあたらなければ、今の世の中のような状況下では意識が散漫になり、不安、恐怖、ストレスに押し潰されそうになる。


たとえ運良く、なんとかその場を凌げても、やがて同じような状況に直面するとまた意識散漫になり、その都度、のらりくらり時間が経つことで片付けてしまう癖が付くと、なかなか変化することが出来なくなり、やがて今の現状からしか物事を見れなくなり、変化や成長(イノベーションと呼んでいる)が起きないことになる。


つまり、社長を含めてリーダーといわれる人はテクニカルなことよりもまずは、「自分はこうなりたい」という一種、欲みたいなものを自分自身が持ち、その実現の為に自分自身で変化を起こすことが何より大切なのだと痛感した。


その姿勢はやがて、周りの人達にも影響を与え、自分自身の存在価値が高まり、その結果「信用」という資本に変わる。


まずは、リーダーが主体性(主役)を持ち、周りを巻き込んで結果を出し、信用を積み上げるしかないのかなと。



僕の中で、この原理原則を身をもって体感できたことは何より大きな収穫だった。


どこやらの書籍には山ほど書いてあることだが、この経験は実体験をしないとわからないことだと思う。


毎日、不安や恐怖、ストレスに潰されそうな中で「結局、自分はどうしたいのか?」という軸がブレなければ目の前のことだけに囚われず、組織を牽引する力が身につく。



この感覚に近い人が今年は何人か出てきてくれたことが僕にとっては大きな前進だ。


テクニックやポジションなんてあくまで手法や手段であって、いくらでも変化させればいいと思っている。


しかし、自分自身の目的は変えてはいけない。


目の前のことに囚われてばかりいるとこれが逆になる。

「この方法じゃないとダメだ」→ 何度も失敗する → 「自分にはできない」


「自分は必ずこれを成し遂げる」→ 「この方法以外にもまだまだあるはず」→ 失敗という概念がなくなる



イノベーションという言葉を何度も何度もミーティングで使い、変化、変化!としつこく言ってきたのはそういう意味だ。


リーダーの人達には一緒にイノベーションを起こしていきたいと本気で願っている。


その中心は会社でも世の中でもなく、自分自身なのだから。



そんな熱苦しいチームに興味がある人は是非エントリーして欲しい。


パーフェクトストレッチリクルート


そして、面接では思う存分好き勝手に自分の目的や思いを語ってくれると嬉しい。

27日の早朝からシンガポールで2泊していました。
現地でフュービックの黒川さんとオンデーズの田中修治さんと合流して晩飯食べたりしながら色々な話が聞けてめっちゃくちゃ有意義でした。

特に昨日は朝から現地のドクターストレッチ受けたり、マッサージ屋回って、昼から黒川さんと現地法人社長の吉田Tomさんとかと新規出店の内見に同行したり、夜は同じく現地の研修を担当しているアランだったり、ウエィンも一緒に食事させてもらって本当に充実した時間でした。

スタートアップで現地で1から立ち上げて、トラブルとか法的な問題があっても対応していく話とか聞いてると、今年は「大変」なんて言葉を俺が使うのなんて100年早い気がして、すごい刺激をもらいました。

ほぼ1日、黒川さんやTomくんと行動を共にして沢山のことを見たり聞いたり、盗んで3つのことを書き留めようと思う。

1、慢心は組織(会社)崩壊の始まり。

慢心がはこびるとアラートが鳴らなくなり、手遅れになる。その際に見栄や恥じらいが生まれ、相談や意思決定が遅れる。

2、リーダーシップ、リーダーマネジメント不足は致命傷。

リーダーシップの取り方は人それぞれ。
そのスタイルを確立させる為にリーダーは試行錯誤するべき。上手くいっているリーダーをマネても、自分にフィットするかは別モノである。
知識や頭の良さだけで組織を引っ張るのは難しく
出来上がった組織に参加する場合には有効かもしれないが、やはりリーダーの思いや心構えが組織に与える影響は大きい。
そして、やはりリーダーには優しさが必要であり、リーダーマネジメントから目を逸らしてはいけない。
外部の人間にあったり、研修に参加する場合、それは自分の会社の出来事から目を背けたいからなのではないか?安息を求めて、部下と向き合うのを嫌がっていないか?と自問自答する事がリーダーに求められる。

3、何度も何度もすり合わせる。実は簡単なことや、目に見えることの小さな改善の積み重ねが、やがて大きな成果をうむ。

部下のマネジメントには根気が必要で何度も何度も擦り合わせを行う。しかし、得てしてマネジメントに向き合わなくなった時に社外や外部に目が行きやすい。自分の職務を全うし、マネジメント出来ているかを自問自答すること。
そして、店に来られるお客様は安心できるから足を運んでくださる。店の前のPOP1つにしても、それぞれの店のロケーションや環境で違うはず。1店舗づつ考えて、お客様に分かりやすく安心してもらえるように観察する。
小さな小さなことを見逃さず、積み立ていく。そのことを何度も何度も部下と擦り合わせる。


大変大変って日頃思うことがあっても、そんなの屁でもないって感じる2日間になりました。

さて、今日の夜は田中修治さんとNews picksです。

大先輩方に気にかけて頂き、感謝しながらもりもり働きます。

今日で2019年も終わり。

年々1年が速く感じるようになりました。
お世話になった関係者の皆様、いつも応援していただいたお客様、頑張ってるスタッフ皆のお陰でライフエンターテイメントはまた少し前進し成長する事が出来ました。

最大級の感謝をいたします。

今年も仕組み作りに力を入れて、思い通りにいったこと、いかなかったこと色々ありました。総評では厳しく55点くらいです。

でも、年初めから社内で言ってきた「〇〇の〇〇ではなくて、〇〇さんが居るからこのお店に来ている」と言って頂けるように、個人が前面に出てどんどん目立つ風土作りは少し出来つつあると思います。


ライフエンターテイメントに入社してくれて、成長してくれた社員みんなの力で少しずつ会社も成長していると感じています。

来年は更に激動の1年になります。

人から必要とされる人間にそれぞれがなり、1人でも多くのお客様に喜んでいただけるブランドにしていきましょう。

年末年始も店舗で頑張ってくれているスタッフみんなも良い一年を迎えてください。

僕も元旦から精力的に動いていきます。


今年もお疲れ様でした。また来年も皆さんで素晴らしい1年にしましょう。
今夜は家族、恋人、大切な人や1人で過ごす人も皆一年の労をねぎらってください。

くれぐれも健康には留意して、1年のスタートをきりましょう!

2019年もありがとう、2020年も宜しくお願い致します😊
先日、僕が尊敬してやまないオンデーズの田中修治社長に誘って頂きホリエモンこと堀江貴文さんのクリスマスキャロルを観劇させてもらった。

場所は上野にある東京キネマ倶楽部

会場はほぼ満席で師走、クリスマスの雰囲気満載で開演前から盛り上がっていた。

約3時間(途中休憩も挟み)WAGYU MAFIAの肉料理をつまみながら笑いあり、感動あり、サプライズありのエンターテイメントだ。


堀江さんの若い頃の自虐ストーリーをベースに最高の演技、演出であっという間に時間が流れた。

だいぶチケットは完売しているようだが、まだチャンスがあれば是非観劇することをオススメする。

クリスマスキャロルのチケットはここからどうぞ

物語の中身は実際に観劇されたほうが良いので、ここには書かないが、僕は終わった後でいくつか考えることがあった。

1番感じたのは、当日運営を含めホールスタッフや受付、アテンドをしていた人達はみなHIU(堀江貴文イノベーション大学校)のオンラインサロンメンバーだったみたいで、この人達は毎月の月会費を払って学び、共有しているメンバーのようだ。

そのメンバーの方々がめちゃくちゃ一所懸命にサービスをしてくれた。むしろどっかのディナーショーよりも何十倍も目配り気配り出来るし、僕自身が客として大満足できた。

あんまり詳しく内情はわからないけど、つまり見方によっては労働だが、その労働を自らお金を払って参加している。

劇中にサプライズで登場したキングコングの西野さんもサーカスというイベントを開催していたけど、その時も100人の運営スタッフを募集した際に、5,000円のスタッフ参加権利がすぐに売れたというのを聞いた。

つまり、魅力的でエンタメ性のある労働にはお金を払ってでもやりたいという時代になっているんだなっていうことをマジマジと感じた。

中には、ミーハーだとか、何とかかんとか言う人もいると思うが、むしろその個人だったりコンテンツに魅力があるからミーハーになるんだと思う。


これを自分の会社に例えた時に、自分達の会社が魅力的でエンターテイメント性があり、やりがいを感じれる、「人から必要とされる」チーム、企業風土を作ることが本当に大切だし、そういうチームに人は集まる。

僕らは仕事も遊びも境界線はない。ある人からすれば労働でも、ある人からすればそれは遊びなのかもしれない。

労働≠お金=信用価値みたいな感じになっていると思う。

僕らの仕事は人の依存度が高いサービスでいわば労働集約型。だからこそなおさら、一人一人の信用価値を高めないといけない。



そんなことをすごく勉強させてもらった。

ここまで読んでくださりありがとうございます。
ちょっとわかるなーっていう方は是非遊びに来てください。

ということでした。

尊敬している方達と話したり、行動を見てると一つの共通店が見えてきたように感じる。それは

"新しいとか、流行りとか、ブランド価値とかで判断せずに本質的なことで判断すること"

ちょっと言葉にすると分かりづらいから具体例をあげると
昔野球をしていた時に元ジャイアンツ、楽天でプレーしていた吉岡さんという方からバッティンググローブを頂く機会があった。トッププロの選手から頂ける品なので僕は最高級の素材、デザインのミズノプロというブランドの品を頂けると心を躍らした。
ところが、吉岡さんから頂いた品は量販店でも販売されている3,000円ほどのバッティンググローブだった。
今だから言えるが「あ、これなんや」と思ってしまった。
しかし、吉岡さんはこのバッティンググローブについてめちゃくちゃ真剣に「革はちょっと硬いかも知れないし、指のフィット感もちょっとルーズかもしれないけど使いやすいと思うよ」と言って丁寧に説明してくれた。そして吉岡さんは実際に練習等でも使用していた。

または、オンデーズ の田中修治さんもレクサスのオーナーズデスクについてめちゃくちゃ丁寧に説明してくれた。正直前からあるサービスだし、ある程度netとかでも知っていたけど月額いくらか、ナビをセットしてくれるサービスだったり、すごく真剣に説明してくれて、凄く良いサービスだと実際に利用している感想なんかもお話してくれた。

ヒュービックの黒川さんも、いつもアディダスのスタンスミスを愛用していて、正直お金たくさんあるからブランド物の最新作を身につけているかというとそうではない。「嫁さんにも何か欲しいものあったら買っても良いよーって言ってるけど、子供と一緒にいて別にそんなブランド物とかいらないーって言うんですよ」と最近も話を聞いた。

ちょっと一貫性が無い話のようだが、みんな本質的なことに注目していて、機能やシンプルさやそれぞれトレンド的なものに左右されていない。

僕は新しいものとか、流行りとかに敏感で結局あんまり意味無いなって思うことに手を出しがちだけど先輩達はみんなちゃんと本質を見極める力を持っている。

もしかしたら吉岡さんも当時20歳の僕にそういうことを伝えたかったのしれないと最近30歳になってようやく気づいた。単純に違うかも知れないけど笑

よくちゃんと軸を持った人とかって聞くけど、もしかするとこういう細かいところって結構重要かもしれない。とふと思った。

こだわりっていうより、本質をちゃんと見極めれる人になろうと感じたんで呟きました。
今年も後2ヶ月になって、毎年この時期になると1年を振り返るようにしている。(自分はいつも1か月遅れてしまう傾向にあるから早めに)

間も無く4期目の決算が終わるが、この1年で自分なりにまとまったことが3つある。

1.物事の選択にはそんなに意味はなく、◯ ✖️ではなく正解になるまで追求して、行動して結果を出すこと

2.TTP(徹底的にパクる)こと、オリジナルとか個性はその後自然に出てくること

3.結局、1つづつ自分でやっていくのが1番早いということ


以上3つは自分自身のことでもあり社内で共有していることでもある。
今年はとにかくパクりまくった。
ヒュービック黒川さんから店舗作りをパクり、オンデーズ 田中さんから仕組みと考え方をパクり、オリバー小川さんから計画の作り方をパクった。

身近にパクるべき方たちがいて、可愛がって貰えることを感謝しながら来年も会社を自分を成長させていく。
もともと地頭は賢くないけど、人のマネをしたり、素直に実行したりするのは得意だし好きだから何の抵抗感もない。

会社の方は

1.目標を明確にし、顧客の満足、顧客の創造、利益の創造を追求すること

2.不満があっても納得できるという組織作りをすること

3.仕事と遊びの境界線を取り除き、◯◯さんがいるからこの店に来てるんだ!と言ってもらえるように目立つこと

お客様が求めることはそれぞれ、それを見て聞き感じ、満足してもらい、人に話したくなるような感動を提供し結果、利益創造につなげる。
これは自分もひたすら追求しないと‥
最近も自分のスケジュール管理不足で失礼をかけてしまった。以後、必ず徹底する。
そして、日々の業務や生活では不満が出る。でもその不満には必ず理由があると思う。それが納得できないものなら話し合い改善したり、納得できるようみんなが理解する。

そうして、毎日が同じ日常ではなくて仕事も遊びも目的と目標を持って取り組んでいると自然と周りに人が集まり頼ってもらえると僕は思う。そうやってファンが1人ひとりと増えて、結果的に豊かになる。

こんな感じで人から世の中から必要とされたり、頼られたりすると毎日本当に充実すると思う。そして仕事の場合はそれが利益創造にもつながりそれぞれ豊かになる。

こんなことを、来年も再来年も10年先も追求する。
まだまだ迷惑をかけたり、大変な失敗をしたりするけど、その都度ちゃんと素直に受け止めて自分の目的と目標に近づけていく。

アンコンシャスバイアスに囚われず、思い込みで空気なんて読まなくていいですよ。うちの会社では。

ちょっと興味湧いた人は↓↓↓
覗いてみてねー
待ってるお。


というステマ的なエントリーでした
Bye Bye!!




「一期一会」

一生に一度の出会いであると言うことを心得て、お互いに誠意を尽くしましょうという心構えについて意味した言葉。「もう二度と会えないかもしれないという覚悟で人と接するべき」という戒めの意味も含まれている。しかし、これは逆にこの大切な出会いに感謝しようという意味の裏返しでもある。


いよいよ、高校生と対面の日。
僕は朝から、何とも言えない心境だった。
期待と喜びとほんの僅かな緊張とでも言えばいいのか、とにかく高校生の為に何か少しでも力になりたい一心だった。

思い返すと、僕はスポーツを通じて1番学んだこと、それは「人が喜ぶことがエネルギーになる」ことを知れたことだ。自分の夢や目標達成の為に日々鍛錬し結果を出していくのだが、やっぱり両親や周りが喜んでくれる姿を見ると力が漲るタイプだった。それが「他喜力」だ。

目指す動機は人それぞれ、力を発揮する方法など別に人それぞれでいいじゃないか。何も美学を並べる必要もない。あるのは事実だけだ。

そんなことを心の中で感じていると、あっという間に約束の時間がやってきた。
いつもより、少し早めに仕事を切り上げトランクには大切な仲間たちから預かった野球道具の数々を積み、約束の場所に車を走らせた。

事前にY先生からは病院で時間と場所を空けてあると連絡をもらっていたので、10分前くらいに駐車場に到着した。


「いよいよかー。どんな子だろうか。喜んでくれるだろうか」


一気に期待感が高まる中、僕はやけに冷静になり


「いや、これは自分に改めて挑戦することの意味を教えてくれた高校生への恩返し。決して、上からではなく、むしろ感謝の意を伝えよう」


そう自分に言い聞かせ、Y先生と高校生が待つ部屋へ向かった。

2階の廊下へ続く階段を登ると廊下の先にY先生の姿が見えた。

少し先の方からY先生が手を振り合図をしてくた。その姿は医師というより焼き鳥屋の店主がお客に手を振って挨拶をしている姿に見えて仕方なかったのは鮮明に覚えている。

Y先生に案内してもらい、部屋の中に入ると

横長の3人掛けソファーに高校生とご両親が座っていて、少し笑顔で雑談をしていた。

高校生の体格が想像よりもガッチリしていて、鋭い眼差しから、獲物を捕まえるライオンのような強さを感じた。眼のほうは先生の言うとおり見た目にはあまりわからない。がっちりと握手を交わし「こんにちは」と一言挨拶をした後


「あ、初めまして。坂本と申します。今日はお忙しいところお時間頂きありがとうございます」と言って3人に名刺を渡した。


「初めまして、‥と申します。この度は大変素晴らしいお話を頂きありがとうございます。」


簡単に挨拶を済ませて、僕は近くにあった丸椅子に腰を下ろし今回の経緯を一つずつ説明することにした。途中、お母さんがしきりにハンカチで涙を拭いている姿を見て胸が熱くなりながら一言一言丁寧に言葉を選び丁寧に話した。

一通り話を終えて少しの間の後、高校生がゆっくり口を開き話し自分の心の内を明かしてくれた。


「僕は諦めてないんです。甲子園にも行きたいし‥
まだまだ続けていきます」


力強く、真っ直ぐ目をみてハッキリとそう伝えてくれた。
それを見て、隣に座っていたお母様が


「私たち(親)も全く諦めてなんかいません。本人が決めて、進むことに全力で応援しようと思っています」


と話してくれた。
僕は、その話を聞いて素直に心の内を話した。


「逆境に直面しても、負けずに前に進む姿勢に既に影響を受けている人が沢山いてます。人の為に決断したことではないけど、あなたの決断で勇気をもらった人の1人が僕です。偉そうな言い方かもしれないけど、これからも様々な困難があると思うけど、自分の決断を信じて進んでください。僕も今回の件で沢山学ばせてもらいました。共に影響力のある人間に成長しましょう」


ご両親、高校生と握手を交わして僕は病院を後にした。
外に出ると、自分の心を表すかのような真っ青な青空が僕を迎えてくれた。

今回の出来事で学んだことがある。それは大きい小さいではなく、人には影響力があることだ。
地方と言われる富山県の一高校生の元にトップレベルの人達からメッセージや大切な品の数々が届くなんて誰が想像しただろうか。

スポーツや仕事に関わらず、公明正大に自分の決断を信じて前に進む。そうすると必ず影響力のある人間として自ずと人が集まる。

それはAIや機械には出来ないことだ。

僕は、今日まで自分の影響力を軽視していたことに気がついた。もっともっと自分の仕事に誇りを持ち、沢山の人に必要とされる人間になることを決意した。

今回、Y先生そして平成元年会のみんなには心から最大の感謝をしたい。「ありがとう」

そしてこれからも、慢心という1番自分の心で怖い心境を取り払い、前に進むことを自分に約束する。



見にくい文章を最後まで読んでくださりありがとうございました。


坂本 斗志
















春の心地よい風が店の中を流れた時、僕は思わず大きな声でで「えー!」と声を荒げた。

僕はその先の話を詳しく聞きたい一心でY先生に詰め寄るように「で、それで、ちなみに」とちょっと興奮気味によく分からず言葉を発した後に一息ついて「ちなみに、その視力でキャッチボールが出来るんですか?」

Y先生は少し、いや、かなり眉間にシワを寄せ、心配そうな表情と声で僕にこう答えた。


「日常生活においては、正直慣れもあるし、多少不自由さは取れてくると思う。けど、この先車の運転や物を取る時に掴み損ねたり、感覚的な部分はどうしても回復しきれないこともあるんだわ。それが、野球ってなると、しかもピッチャーやろ?ほらピッチャーってバッターが打った強烈な打球が飛んできたり、守備の機会もけっこうあるでしょ?だから、ピッチャーで投げる分には練習で何とかなると思うけど、怖いのは守備なんだわ」


「実際、右眼の見え方はどうなんでしょう?完全に片眼は真っ暗なんですか?」


「右眼はほんのうっすら、というより完全にボヤけている感じだわ。部分的に視野が狭くなっていると思う。本人に聞いたら、やっぱり守備の時に自分の視界の下が見えないみたいだわ」


「だいぶ怖いでしょうね、むしろプレーヤーとして良く続ける決心しましたよね。同じ状況で僕なら‥」


この時、内心自分の現役時代に色々な事を照らし合せていた。

僕は今日まで、自分が野球を辞めた理由は怪我だと話してきた。
確かに怪我は沢山したし、右肩は10年くらい経った今でも動きは悪い。
しかし、22歳で野球を辞めた1番の理由は「怖さ」だった。それは、自分の将来への怖さや野球そのものへの怖さ、周りの期待への怖さ。
つまり、自分からもう一歩踏み出し、ある意味開き直る勇気を持てなかった。
だからこそ、今は後悔がないように自分にとって不得意で怖さがあることにも、一歩踏み出すと違う景色になると思って何事にも取り組むようにしているが、現役時代はそんな風に考えることはできなかった。

Y先生とこの高校生の話をしていると、この言葉を思い出した。


「好きこのものの上手なれ」


誰でも好きでやっていることは一生懸命になるし、それに関して勉強したり工夫したりするので、自然に上達するものである。芸事は、無理して嫌だと思いながらやっても成長はない。

この時の高校生には、もしかするとちょっと違う心境や解釈だったかもしれない。
ただ、僕の中では確実に何か忘れかけていたことが蘇ってきた。

僕はY先生に


「何か逆に学ばせもらう事多いっすね。うん、僕に出来ることは限られていますし、高校生の心境を全て理解できないけど、協力したいです。何かを」


この時、先生の表情からは「その気持ちで充分だわ、ありがとうね」ということが伝わったが、僕は既に何かをしたいという自分の気持ちを押さえられなかった。

そして、その日の夜、居ても立っても居られず、あるLINEグループにメッセージを送った。


平成元年会


このグループは昨年の秋に、僕と横浜DeNAベイスターズの現正捕手 伊藤 光(明徳義塾高校ーオリックスー横浜)と元読売ジャイアンツの柴田 章吾(愛工大名電高校ー明治大学ー巨人ーアクセンチュア)の3人で発起した平成元年生まれの野球人が集まる会で、現千葉ロッテマリーンズの選手会長 鈴木 大地(桐蔭学園高校ー東洋大学ーロッテ)や阪神タイガースの伊藤 隼太(中京大中京高校ー慶應義塾大学ー阪神)、横浜DeNAベイスターズの中井 大介(宇治山田商業高校ー巨人ー横浜)、現読売ジャイアンツ ファーム守備走塁コーチの藤村 大介(熊本工業高校ー巨人)など 同じ歳のプロ野球選手、元プロ野球選手、社会人野球選手、甲子園出場選手など約40名ほどが集まる会だ。

そんな、野球好きの、野球人の縁を大切する会に是非協力してもらおうと、早速メッセージを送った。



皆さんにちょっと相談があるんですが‥

この前、ある病院の先生と会って話してた時に

高校2年生の野球部選手がティーを上げてる時に、右眼に打球が直撃して、水晶体が破裂して失眼した

って聞いて、可愛そうやなーって思ったら、その子ほんまに野球好きでキャッチャーやってたけど、退院した後、片目見えなくて視野狭いけどピッチャーに転向して頑張ってるみたい。

富山の高校で、地方で、田舎やけど甲子園出る学校で頑張ってやってるみたい。

もし、心優しい人でなんか心打たれた人は個別に連絡ください。

使い古した野球道具を渡してあげると喜ぶし、頑張れると思うから。

手袋とかアンダーシャツでも何でもいいんで、プレゼントしても良いという人は連絡ください。

坂本」


僕は内心、自分も会ったことがない高校生に協力してくれるかなー。みんな忙しいから、何か感じてもスルーかな。と正直期待半分だった。



しかし、しばらくすると



一通のLINEメッセージが届いた。



日立製作所硬式野球部でクリーンナップを打ち、チームを牽引する 岡崎 啓介(PL学園ー立教大学ー日立製作所)からだ。



「道具の寄付くらいなら!その子勇気付けたいね!元年会のメール見ました!」



この岡崎 啓介とは、僕も中学時代の日本代表のJAPANチームで一緒にプレーさせてもらい、当時からズバ抜けたスイングスピードと完成度を誇り、現役時代の小久保 裕紀選手(元福岡ソフトバンクホークス)を彷彿とさせる、右投げ右打ちの長距離打者。
都市対抗野球では、東京ドーム上段にホームランを突き刺さすなど正にアーチスト。
自信の表れが強すぎ、たまに反感を買うが、根は優しい男気溢れるスポーツマンだ。


そんな岡崎が最初にメッセージをくれた。

僕はすぐに、送付先住所を伝え、「ありがとう👊」と添えた。


「こういう企画には現役のうちにしか出来んから是非とも力になりたいわ!」


岡崎からは、何とも嬉しい返事をもらい、同時に男らしさとスポーツマン魂を感じた。

その後、何名かの選手からメッセージをもらい、僕はまだ会ってもいない高校生の嬉しそうな笑顔を頭の中で想像していた。

数日後、東京 六本木のミッドタウン交差点にある焼鳥屋「今井屋」で平成元年会の伊藤 光、藤村 大介、塚田 晃平(早稲田実業高校ー早稲田大学ー広島ーソニー生命)、寺田 龍平(札幌南高校ー楽天ー博報堂DYデジタル)らと会食することになったのだが、そこでも皆、想い想いにメッセージをくれ、読売ジャイアンツ ファームコーチの藤村は、大量のプロ野球選手仕様のウエアを高校生の為に持参してくれた。

帰り際には、メッセージムービーを撮ろうとプロ野球現役一軍選手の光と藤村がそれぞれ、本当に貴重なメッセージをムービーに収めてくれた。


僕は心の中で、「野球をしていて、一番自分の財産になったことは、こういう横の繋がりだ」と感じていた。

皆、同じように戦い、喜び、悲しみ、悔しさを味わったからこそ、同じ価値観でいつまでもいられる。それは、現役を退き、第二の人生を歩んでも同じだと思う。
僕は本当にいい経験をしたと心底感じた。
自分の会社でも「人は辛い時や、しんどい時こそその人の本性が見える」と社員みんなで共有している。
だからこそ「他喜力」周りの人が喜ぶことに力を注げる人になろうと。

今回の出来事は高校生にもう一度そういう大切な事を教えてもらった気がするなー。と帰りの飛行機で考えていて、窓の外を覗くと綺麗な夕陽に当たる富士山が見えた。「よっしゃ、もう一度更に気持ち入れ直して頑張ろう!」と僕は清々しい気持ちになっていた。


翌朝、会社に行くとSSKと書かれた大っきなダンボールに「岡崎 啓介」と送り主が書かれた荷物が届いた。
藤村から預かった大量のウエア、その他各所から集まったバットなどをまとめると僕は気がついた。


「けっこう、すごい量の野球道具が集まったなー。しかもほとんどプロ野球選手仕様の品じゃん」


昔、親父に買ってもらった野球道具のことなどを思い出しながら綺麗に梱包した。


その日の夜、自宅に大量の野球道具を持ち帰り、シャワーを浴びようとしたら、一通のLINEが届いた。
送り主は横浜DeNAベイスターズの中井 大介からだ。


「おつかれさまです!
返信遅くなってすいません。

明日動画を撮るので、送らせてもらいます‼︎

その高校生のお名前教えてもらってもいいですか?」


メッセージムービーを送ってくれるという連絡だった。本当にカッコいいプロ野球選手だ。

中井 大介は宇治山田商業高校からドラフト3位で巨人に入団。パンチ力のある打撃がトレードマークで、一軍でも活躍していたが2018年に戦力外通告を受けた。この年に第一子を授かっていて、父親としてここでは終われないと12球団合同トライアウトを受け、その年に横浜に入団している苦労人だ。

翌日、ムービーを見た僕も鳥肌が立つほど、感動するメッセージを送ってくれた。

そうやって、高校生の為にたくさんの野球道具とプロ野球界の人達から貴重なメッセージムービーが集まり僕は早速、Y先生に連絡を入れた。


「あ、先生お忙しいところすみません。先日お話していた高校生なんですが、何とか会えないですか?実は、同じ歳の野球関係者が協力してくれて‥」


僕は、ありのままを全て伝えた。

先生も凄く喜んでくれて、「あ、ほんとにー!分かりました、じゃあ一度、親御さんに先に連絡入れて日程とか確認しますわ!それ喜ぶとおもうわ!」

と嬉しい返答をくれたので僕は先生からの折り返し連絡を待つことにした。

次の日、早速Y先生から返答の連絡があり「うん、来月の4日の診察の時にしましょうか!俺も時間と場所作りますわ!」とすぐに調整してくれた。
そして、少し話した後で


「いやー、坂本くん。先方の高校生のお母さん。電話ごしやけど嬉しさのあまり泣いてはったわ。何度もありがとう、ありがとうって。それ、絶対直接渡してあげてほしいんだわ」


僕は、心の中で協力してくれた同じ歳の野球仲間に「ありがとう」と叫んだ。

そして数日後、いよいよ高校生と対面する日がやってきた。その日は朝から、どんな顔をして会おうか、どんな言葉をかけようか。そんなことを考えながら朝から仕事をしていた。




次回に続く

これは、ある高校生と富山の病院のY先生、そして平成元年生まれの野球人の仲間の強い絆の実話とフィクションです。


  今年の3月。まだ寒さが残り息が白くなる頃、僕は自社が運営しているパーフェクトストレッチ新庄店にいた。

このパーフェクトストレッチという店はパーソナルストレッチと体幹トレーニングを専門に提供する店で、僕が6年前に始めたブランドだ。ベッドやストレッチポールなど器具が綺麗に並べられた店内は明るく、アップテンポな音楽が流れていてトレーナーがパーソナルストレッチや体幹トレーニングをマンツーマンで受けることができる専門店だ。

そのパーフェクトストレッチを創業以来ずっと愛用して頂いてるのが富山の病院のY先生。見た目は焼き鳥屋の店主のような出で立ちで職人気質漂う方だが、人が困っている時や、相談には親身に耳を傾けてくださる漢気溢れる優しい先生だ。

Y先生とはかれこれ創業前からのお付き合いで、もう7年ほどになる。毎週、定期的に通ってくださるロイヤルカスタマーで毎回、美味い店や仕事での出来事をお話ししてくださり勉強になるし、僕自身すごく尊敬している人だ。アンダーアーマーの半袖、ハーフパンツにタオルを持参するスタイルは7年の付き合いとなると見慣れたものだ。

この日も、オペを3件ほど行った後でパーフェクトストレッチに来店してくださり、時計を見ると19時過ぎだった。いつも、軽くウォームアップのストレッチを行なった後、体幹トレーニング、野球のトスバッティング(この店には人工芝でネットで囲われたスペースがあるので)を行なっていた。

しかし、この日はやけにY先生がいつもと違って静かだった。普段は、ギョロッとした目にシワを寄せながらニコニコくだらない話をしているのに今日は何か様子が変だ。

いつもと少し違う空気が流れるなか、ウォームアップをしているとY先生が静かに話はじめた。



「あのさー、片目でも野球って出来るもんかねー?」


僕はこの一言で、一瞬にして全てを悟った気がした。
そして間髪入れずこう答えた。


「いや、厳しいと思います。体感速度も速く感じるし、周辺視野も落ちると思うので」


Y先生は、さも "出来る" と返してくれよ言わんばかりの顔をしながら僕にこう続けた。


「実は、とある高校2年生の強豪校の野球部員がティーバッティング中に至近距離で打球が顔面に直撃して、それが目にモロに当たってしまったんだわ。水晶体も中で破裂していて、俺も診察させてもらったけど正直、視力が回復するかって言われたらかなり厳しそうなんだわ。むしろ回復はしないんだわ。高校2年生で体型も大きい子なんやけどねー」


野球選手にとって視力とは、パワーやバランスなどといった能力より、1番重要な力だ。何故なら体はトレーニングなどで磨き上げることができるが、視力は先天的な要素が大きく、動体視力、周辺視野といった力を向上するのがなかなか困難だからだ。
ましてや、片目の視力を完全に失うということは、打席で投手が投げてくるボールの体感速度は通常よりもかなり速く感じるし、ピントを合わせるのが容易ではない。

僕はそんなことをY先生の話を聞きながら、頭の中で考えていた。


「先生、ちなみその子 ポジションはどこですか?」


「それがねー    キャッチャーなんだわ」


僕はため息混じりの声でこう返した。


「そうですかあ。それは正直厳しいですね」


キャッチャーというポジションはピッチャーに次いでボールに触れる機会が多く、野球の世界では扇の要と称されるほど、様々な能力が問われる。
だからこそ、専門性が高いポジションで簡単にはなれないポジション。当然、広い視野と判断能力が必要で視力が著しく低いのは、あまりにも大きなハンディキャップなのは明らかだった。

この日は2人で座り込んで、トレーニングをすっかり忘れて重苦しい空気の中ずっとこの話をしていた。




その後、2ヵ月ほど経過して、すっかり暖かい春になり新年度を迎えて何かとバタバタしていた頃。
この日もパーフェクトストレッチ新庄店に僕とY先生はいた。


「先生、今年は野球観に行くんですか?ドラゴンズ今年はどうですかねー?」


「行きたいねー、焼き鳥食いながらビール飲んで、最高なんだわ!!」


Y先生はとにかく焼き鳥が大好物。富山県民のソウルフード秋吉を語らせると、右に出る者はいないくらいの焼き鳥愛好家だ。
大学時代の名残で、中日ドラゴンズのファン。仕事柄
忙しくてなかなか試合観戦ができないようだが、いつも野球の話の時は気がつくとドラゴンズの話になっている。
そんな先生と野球の話が盛り上がっていた時に、ふとY先生がこう切り出した。


「ところで、前話してた高校生。やっぱり視力はなかなか回復しないかも。水晶体もダメだから。見た目には分からんのやけどね。視野が暗くて狭い感じなんだわ」


「んー。やっぱりなかなか厳しいですか。ましてやキャッチャーですもんね」


すでにもうこの時、自分の心はこの高校生は野球を選手として続行するのは難しい。
しかし、その選手がどういう気持ちなのかほんの少し。ほんの少しなら分かる気がしていた。
何故なら、向上心や志しがあってもなかなか思い通りにプレー出来ない状況に自分もなったから。
だから気持ちを少しは理解出来ているつもりだった。


僕の話を少ししよう。

10歳の時に、初めて親父と家の下のグラウンドでキャッチボールをして以来、僕は野球の楽しさに魅了され毎日グラブを磨いては、白球を追い続けてきた。
中学生の頃には、持ち前の体格に強肩、足の速さを武器に大阪の名門野球チーム "八尾フレンド" で4番キャッチャーとして全国大会優勝、日本代表のJAPANチームにも選ばれ、順風満帆だった。

そう、今回の高校生と同じキャッチャーというポジションで。

この当時は自分がプロ野球選手になれないなら、同い年の選手は誰もプロにはなれない。と思うくらいに自信があり、また天狗の鼻も伸び切っていた。
並み居る強豪高からの誘いを頂き、甲子園のTV中継で見た事がある高校野球部の監督から直接名刺をもらったり、「甲子園に必ず行くから、来てくれるのを待っているよ!」と何度も何度も声をかけてもらった。

高校は特待生で、当時 プロ野球選手を数多く指導、輩出していた山上 烈監督率いる 上宮太子高校に進学し、元木 大介さんや黒田 博樹さん、亀井 義行さんなど大先輩に続いて絶対プロ野球選手になると意気込んで高校の門を叩いた。

しかし、入学して2週間ほどしか経っていないある日。

そうこの日を境に僕は野球が日に日に嫌いになってしまった。

入学早々にAチームの練習に参加させてもらい、入学数日の1年生に高校3年生が本気になるほど上級生相手にも自分の肩の強さで張り合っていた。
しかし、高校入学までの自主練習の甘さから、既に僕の肩は悲鳴を上げていた。
そして遂に、全力でボールが投げれない程肩にハリを感じたので「今日はちょっと "加減" をして軽めに投げよう」と思いいつも通り守備練習に望んだ。

ボールの回転を意識してとか、スナップを強く意識してなどと考えながら、キャッチャーのポジションから三塁へ送球した際、とんでもないことが起きた。


「え?」


今でも覚えている。

思い出すだけで後悔と
楽しかった頃の野球をしていた風景を思い出す。
と同時に全力に何か気持ち悪い汗が吹き出してきたあの感覚。


僕は自分が投げたボールが、三塁のベンチの方に行く軌道をスローモーションのように見ながら、頭が真っ白になった。


そう。これが、僕のイップスとの出会いだった。


野球におけるイップスとは "投球恐怖症" と言われている。様々なタイプがあり、あのイチロー選手でさえもなったと言われるくらい野球をある程度のレベルでしていれば、経験した事がある人も多いはずだ。

精神的なものから、体の機能的なものなど人それぞれ原因があり、イップスが原因でプロ野球選手を引退する人も結構いたりする。

僕の場合は、肩の痛みを軽減する為に力加減を少し弱くしてボールを投げようとした時に、手首が固まり引っ掛けたようた投げ方になり、それを修正しようと今度は同じ力加減で高めに投げてみたり、根本的失敗に失敗を重ねてしまい、最後は自分の投げ方自体を忘れてしまうというパターンだった。

結局、あんなにデカイ口を叩いて、鳴り物入りで入学したにも関わらず、全く納得のいくプレーが出来ず、外野手に転向。誤魔化しながら何とかプレーしてその後、中央大学、アメリカ、独立リーグで野球をやらせてもらったが最終的には、イップスからは克服できず22歳で野球人生に見切りをつけたというわけだ。



話を戻そう。
Y先生からは高校生の視力が回復する見込みは低いという残念なお知らせだった。
高校生の途中で選手生命を絶たれるというのはあまりにも辛い出来事だろうなと、自分の中で勝手に同情の念を抱いていた。


「そっか。じゃあマネージャーとか学生コーチであとの高校野球生活を全うしてくれたら良いですね」


そんな感情に僕はなっていた。
正直、その高校生は知らないし
起きた事だから、あとは高校野球生活を楽しんでくれたら良いだろう。
それくらい、既に人ごとだった。


しかし、変に開き直り気味の僕の心をY先生は次の瞬間には完全にひっくり返した。



「いや、それが」




「いやそれがさー、ピッチャーに転向して野球続けるみたいだわ」



この一言を境に僕やY先生、そしてこの高校生に起きるある大きな出来事が静かに、静かに始まったのだ。




次回に続く