ある高校生と野球が教えてくれた人との繋がりの話② | ライフエンターテイメント 坂本のブログ

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TOSHI SAKAMOTO(株)ライフエンターテイメント代表取締役。ストレッチ専門店やリラクゼーションブランド、デイケアサービスを運営・展開しています。趣味はNetflix。


春の心地よい風が店の中を流れた時、僕は思わず大きな声でで「えー!」と声を荒げた。

僕はその先の話を詳しく聞きたい一心でY先生に詰め寄るように「で、それで、ちなみに」とちょっと興奮気味によく分からず言葉を発した後に一息ついて「ちなみに、その視力でキャッチボールが出来るんですか?」

Y先生は少し、いや、かなり眉間にシワを寄せ、心配そうな表情と声で僕にこう答えた。


「日常生活においては、正直慣れもあるし、多少不自由さは取れてくると思う。けど、この先車の運転や物を取る時に掴み損ねたり、感覚的な部分はどうしても回復しきれないこともあるんだわ。それが、野球ってなると、しかもピッチャーやろ?ほらピッチャーってバッターが打った強烈な打球が飛んできたり、守備の機会もけっこうあるでしょ?だから、ピッチャーで投げる分には練習で何とかなると思うけど、怖いのは守備なんだわ」


「実際、右眼の見え方はどうなんでしょう?完全に片眼は真っ暗なんですか?」


「右眼はほんのうっすら、というより完全にボヤけている感じだわ。部分的に視野が狭くなっていると思う。本人に聞いたら、やっぱり守備の時に自分の視界の下が見えないみたいだわ」


「だいぶ怖いでしょうね、むしろプレーヤーとして良く続ける決心しましたよね。同じ状況で僕なら‥」


この時、内心自分の現役時代に色々な事を照らし合せていた。

僕は今日まで、自分が野球を辞めた理由は怪我だと話してきた。
確かに怪我は沢山したし、右肩は10年くらい経った今でも動きは悪い。
しかし、22歳で野球を辞めた1番の理由は「怖さ」だった。それは、自分の将来への怖さや野球そのものへの怖さ、周りの期待への怖さ。
つまり、自分からもう一歩踏み出し、ある意味開き直る勇気を持てなかった。
だからこそ、今は後悔がないように自分にとって不得意で怖さがあることにも、一歩踏み出すと違う景色になると思って何事にも取り組むようにしているが、現役時代はそんな風に考えることはできなかった。

Y先生とこの高校生の話をしていると、この言葉を思い出した。


「好きこのものの上手なれ」


誰でも好きでやっていることは一生懸命になるし、それに関して勉強したり工夫したりするので、自然に上達するものである。芸事は、無理して嫌だと思いながらやっても成長はない。

この時の高校生には、もしかするとちょっと違う心境や解釈だったかもしれない。
ただ、僕の中では確実に何か忘れかけていたことが蘇ってきた。

僕はY先生に


「何か逆に学ばせもらう事多いっすね。うん、僕に出来ることは限られていますし、高校生の心境を全て理解できないけど、協力したいです。何かを」


この時、先生の表情からは「その気持ちで充分だわ、ありがとうね」ということが伝わったが、僕は既に何かをしたいという自分の気持ちを押さえられなかった。

そして、その日の夜、居ても立っても居られず、あるLINEグループにメッセージを送った。


平成元年会


このグループは昨年の秋に、僕と横浜DeNAベイスターズの現正捕手 伊藤 光(明徳義塾高校ーオリックスー横浜)と元読売ジャイアンツの柴田 章吾(愛工大名電高校ー明治大学ー巨人ーアクセンチュア)の3人で発起した平成元年生まれの野球人が集まる会で、現千葉ロッテマリーンズの選手会長 鈴木 大地(桐蔭学園高校ー東洋大学ーロッテ)や阪神タイガースの伊藤 隼太(中京大中京高校ー慶應義塾大学ー阪神)、横浜DeNAベイスターズの中井 大介(宇治山田商業高校ー巨人ー横浜)、現読売ジャイアンツ ファーム守備走塁コーチの藤村 大介(熊本工業高校ー巨人)など 同じ歳のプロ野球選手、元プロ野球選手、社会人野球選手、甲子園出場選手など約40名ほどが集まる会だ。

そんな、野球好きの、野球人の縁を大切する会に是非協力してもらおうと、早速メッセージを送った。



皆さんにちょっと相談があるんですが‥

この前、ある病院の先生と会って話してた時に

高校2年生の野球部選手がティーを上げてる時に、右眼に打球が直撃して、水晶体が破裂して失眼した

って聞いて、可愛そうやなーって思ったら、その子ほんまに野球好きでキャッチャーやってたけど、退院した後、片目見えなくて視野狭いけどピッチャーに転向して頑張ってるみたい。

富山の高校で、地方で、田舎やけど甲子園出る学校で頑張ってやってるみたい。

もし、心優しい人でなんか心打たれた人は個別に連絡ください。

使い古した野球道具を渡してあげると喜ぶし、頑張れると思うから。

手袋とかアンダーシャツでも何でもいいんで、プレゼントしても良いという人は連絡ください。

坂本」


僕は内心、自分も会ったことがない高校生に協力してくれるかなー。みんな忙しいから、何か感じてもスルーかな。と正直期待半分だった。



しかし、しばらくすると



一通のLINEメッセージが届いた。



日立製作所硬式野球部でクリーンナップを打ち、チームを牽引する 岡崎 啓介(PL学園ー立教大学ー日立製作所)からだ。



「道具の寄付くらいなら!その子勇気付けたいね!元年会のメール見ました!」



この岡崎 啓介とは、僕も中学時代の日本代表のJAPANチームで一緒にプレーさせてもらい、当時からズバ抜けたスイングスピードと完成度を誇り、現役時代の小久保 裕紀選手(元福岡ソフトバンクホークス)を彷彿とさせる、右投げ右打ちの長距離打者。
都市対抗野球では、東京ドーム上段にホームランを突き刺さすなど正にアーチスト。
自信の表れが強すぎ、たまに反感を買うが、根は優しい男気溢れるスポーツマンだ。


そんな岡崎が最初にメッセージをくれた。

僕はすぐに、送付先住所を伝え、「ありがとう👊」と添えた。


「こういう企画には現役のうちにしか出来んから是非とも力になりたいわ!」


岡崎からは、何とも嬉しい返事をもらい、同時に男らしさとスポーツマン魂を感じた。

その後、何名かの選手からメッセージをもらい、僕はまだ会ってもいない高校生の嬉しそうな笑顔を頭の中で想像していた。

数日後、東京 六本木のミッドタウン交差点にある焼鳥屋「今井屋」で平成元年会の伊藤 光、藤村 大介、塚田 晃平(早稲田実業高校ー早稲田大学ー広島ーソニー生命)、寺田 龍平(札幌南高校ー楽天ー博報堂DYデジタル)らと会食することになったのだが、そこでも皆、想い想いにメッセージをくれ、読売ジャイアンツ ファームコーチの藤村は、大量のプロ野球選手仕様のウエアを高校生の為に持参してくれた。

帰り際には、メッセージムービーを撮ろうとプロ野球現役一軍選手の光と藤村がそれぞれ、本当に貴重なメッセージをムービーに収めてくれた。


僕は心の中で、「野球をしていて、一番自分の財産になったことは、こういう横の繋がりだ」と感じていた。

皆、同じように戦い、喜び、悲しみ、悔しさを味わったからこそ、同じ価値観でいつまでもいられる。それは、現役を退き、第二の人生を歩んでも同じだと思う。
僕は本当にいい経験をしたと心底感じた。
自分の会社でも「人は辛い時や、しんどい時こそその人の本性が見える」と社員みんなで共有している。
だからこそ「他喜力」周りの人が喜ぶことに力を注げる人になろうと。

今回の出来事は高校生にもう一度そういう大切な事を教えてもらった気がするなー。と帰りの飛行機で考えていて、窓の外を覗くと綺麗な夕陽に当たる富士山が見えた。「よっしゃ、もう一度更に気持ち入れ直して頑張ろう!」と僕は清々しい気持ちになっていた。


翌朝、会社に行くとSSKと書かれた大っきなダンボールに「岡崎 啓介」と送り主が書かれた荷物が届いた。
藤村から預かった大量のウエア、その他各所から集まったバットなどをまとめると僕は気がついた。


「けっこう、すごい量の野球道具が集まったなー。しかもほとんどプロ野球選手仕様の品じゃん」


昔、親父に買ってもらった野球道具のことなどを思い出しながら綺麗に梱包した。


その日の夜、自宅に大量の野球道具を持ち帰り、シャワーを浴びようとしたら、一通のLINEが届いた。
送り主は横浜DeNAベイスターズの中井 大介からだ。


「おつかれさまです!
返信遅くなってすいません。

明日動画を撮るので、送らせてもらいます‼︎

その高校生のお名前教えてもらってもいいですか?」


メッセージムービーを送ってくれるという連絡だった。本当にカッコいいプロ野球選手だ。

中井 大介は宇治山田商業高校からドラフト3位で巨人に入団。パンチ力のある打撃がトレードマークで、一軍でも活躍していたが2018年に戦力外通告を受けた。この年に第一子を授かっていて、父親としてここでは終われないと12球団合同トライアウトを受け、その年に横浜に入団している苦労人だ。

翌日、ムービーを見た僕も鳥肌が立つほど、感動するメッセージを送ってくれた。

そうやって、高校生の為にたくさんの野球道具とプロ野球界の人達から貴重なメッセージムービーが集まり僕は早速、Y先生に連絡を入れた。


「あ、先生お忙しいところすみません。先日お話していた高校生なんですが、何とか会えないですか?実は、同じ歳の野球関係者が協力してくれて‥」


僕は、ありのままを全て伝えた。

先生も凄く喜んでくれて、「あ、ほんとにー!分かりました、じゃあ一度、親御さんに先に連絡入れて日程とか確認しますわ!それ喜ぶとおもうわ!」

と嬉しい返答をくれたので僕は先生からの折り返し連絡を待つことにした。

次の日、早速Y先生から返答の連絡があり「うん、来月の4日の診察の時にしましょうか!俺も時間と場所作りますわ!」とすぐに調整してくれた。
そして、少し話した後で


「いやー、坂本くん。先方の高校生のお母さん。電話ごしやけど嬉しさのあまり泣いてはったわ。何度もありがとう、ありがとうって。それ、絶対直接渡してあげてほしいんだわ」


僕は、心の中で協力してくれた同じ歳の野球仲間に「ありがとう」と叫んだ。

そして数日後、いよいよ高校生と対面する日がやってきた。その日は朝から、どんな顔をして会おうか、どんな言葉をかけようか。そんなことを考えながら朝から仕事をしていた。




次回に続く