ウズベク、ナンパ道場 -3ページ目

Who is Genius?

現在は連絡も取れてない、というより元々連絡先も交換してないが、或るとき僕の尊敬する方がこんな事を仰ってた。

『ハードディスクはその容積を変えることなく、データの保存可能量を年々倍増させています。でも、まだ人間の脳はそれ以上のデータを蓄えておく事が出来るんです。それって・・・何か感じませんか?』

彼が言いたかったのは、「近い将来人間の脳が或る部分でコンピューターに抜かれる」という事ではなかっただろう。それは恐らく間違いないのだけど、僕はそのとき『やっぱりみんな天才なんだ。だから自分が天才だと思ってても、それは可笑しな事ではないんだ。』と確信した。それ以来、例え脳に障害があると判断された方でも、本当の意味でそこにどれほどの違いがあるのか分からなくなった。

どうしてこの様な話しを持ち出したか。
もうオシュまで100kmを切ったという地点で、サビールさんは車を止めた。何か自身の操縦する"足"に違和感を覚えた様だ。彼は車を降りて、10分ほど周りをうろついた後、ベカくんにも車を降りる様に促した。
緊急オペが始まる。

$ウズベク、ナンパ道場-ope

右前輪に異常があったらしく、手早くジャッキで車を起こし、スペアタイヤと交換した。

$ウズベク、ナンパ道場-parts

問題があったのはこの部品らしい。

$ウズベク、ナンパ道場-tsume

また見え難いが、ネジがキチンと合わさらなかった為、鉄くずを詰めていた。用意周到だ。

ウズベク男性も、20歳を超えるとほぼ同様の事が出来る。その割合は日本人の比ではないだろう。
それは殆どプロの作業なのだが、彼等は僕から見ればプロと言えない作業を「プロフェッショナル」と自称し、ウズベク人が皆当たり前に出来る事は自慢しない。

だから僕はいつもウズベク人をアホやな~と思うけど、それは単に見せ方の問題で、何かの能力が優るとか劣るとか思った事はない。同様に、日本人は手先が器用だとか、そんなのは都市伝説の類いだと思っている。

因みにベカくんに車から降りる様言ったのは、実地体験をさせる為だ。
なるほど、「タイヤ交換」に関しては、教育システムも中央アジアの方々はほぼ完成されたらしい。


サビールさんは満足そうにそのアクセルの踏み心地を確かめた。
僕は昨夜7時にビシュケクを出発し、午前9時、目的のオシュへ到着した。夕食の時間等を差し引くと、結局12時間で到着した計算になる。
ビシュケクからやって来た沢山の想いを、小さな頃父親の作業を手伝った要領で送り届け、僕はオシュの街へと身体を滑り込ませた。


世界中のサンゼンメートルと

マルシュルートカは時速40kmでその巨体を揺らしていた。
『オシュまで12時間、なるほどね』と初めの内は思ったが、この前方に走る邪魔者をほぼ全ての車が抜き去って行く。
どうやら僕は、12時間で彼の地に辿り着けないらしい。

僕を今回運ぶこの箱は、同時に沢山の方々の気持ちも運んでいる。
何て事はないただの荷物なのだが、相当重いらしく、枯葉マーク並みの速度で進行するには大体ワケがある。

乗客は他に運転手、そして彼の甥だけである。
この甥のベカくんは若干16歳であり、なかなか陽気で英語も少し話す。この長旅で彼ほど役立つものは、恐らくドラえもんでも与えてくれないだろう。

1時間半ほど走ると、晩御飯にしようという事になった。
このレストランでは、そろそろ日本人だからと言ってチヤホヤされる事に慣れてしまった僕に、取り立てて何も感じさせなかったが、運転手サビールさんを見てて感じた事があった。

僕等はお座敷でご飯を戴いたが、彼は片膝を立ててご飯を頬張っていた。
ご飯の食べ方なんて決まりはないと思うし、「人それぞれ」は僕の座右の銘の一つでもあるのだけど、僕はどうしてもその姿が美しくないと思えて仕方なかった。
「一般的に」「世間の常識」という言葉を取っ払っても、それはどこからどう見ても美しくなかった。
この運転手さんは割に良い人だったので、余計気になってしまったのかもしれない。


レストランを後にして、再びオシュを目指す。
道中ベカくんとロシアのあるサイトについて話した。「mail.ru」というものだが、要はmixiやfacebookの様なモノだ。彼は今そのコミュニケーションサイトで、彼女とコンタクトしているらしい。驚いた事に、ガールフレンドが後3人いると言う。
『端正な顔立ちではないけど、その喋りはなかなかだろうな』と初めは素直に思った。しかしウズベクで一年過ごした経験が、どうやらそれは正しい認識ではないと教えてくれた。

彼等は連絡先を知った経緯に依っては、ただ番号を知ってるだけでその子を「彼女」としてしまう。それはガールフレンドを「女友達」と翻訳しているワケではない。彼等にとってそれはまぎれもなく彼女なのだ。
僕はウズベク人とクルグズ人の違いもよく分かるが、反対によく似ている部分にも気付かされる。


飛行機が滑走路を飛び立つように、前方に見える道がその角度を変え始めた。ビシュケク-オシュを隔てる「壁」を越えようとしている。今回のルート上、最も標高の高い辺りでは3,500mを超えるらしく、それは僕にとって"落ちる"という心配なくして到達する最高地点である。
『一体この山脈は何を見せてくれるだろう』と期待し掛けたそのとき、運転手・サビールさんの怒号が響いた。

『это не 2!!』

どうやら積載量が予定の2トンではなく3トンだと、電話に向けて怒鳴っていた様である。確かに彼は、出発してからずっと荷物に関して怪訝な表情を浮かべていた。そして恐らく、この重量だと登り切れるかどうか怪しいという事だろう。

ここでまたウズベク人との共通点を目にするが、彼は30分以上、そのNOKIAと描かれた黒い機械に向けて大声を張り上げていた。
相手側のミスだったという事は理解出来たし、気持ちも分かるが、結局怒鳴ったところで何も変わらない。どうして彼等はいつも「こう」なのだろう?しかしこれがあの親切な態度に繋がるのなら、僕が時間の無駄だと思っている以上に効果があるのかもしれない。

マルシュは何度も止まり、そして発進した。
ただ僕はいつも大したトラブルに巻き込まれないので、『ど~せ今回も期待外れであっさり着いてしまうんだろ~な』と思い、そのまま目を閉じた。


目を開けると、そこには降り注ぐような星が・・・と、今まで思った事はない。
僕にはその「降り注ぐ」という表現がしっくり来ないのだ。
星たちは明らかにそこに留まっていて、まるで誰が一番早く燃え尽きるか競争している様に映る。だから星に近付けば近付くほど、キレイに映れば映るほど、僕はいつも何かしらの哀しさを感じずにはいられない。

そのときが、僕の人生で最も星に近付いた瞬間だった。
そして3,500mという文字は、どうしても日本人の僕に「富士山」を連想させた。
あの東京を抱える日本とここクルグズでも、きっと3,000mを超える位置なら星は等しく映るのだろうと、どこか不思議な気持ちだった。

ほっぺにイカ飯

宿を出たのは午前7時半。
久しぶりに目覚ましをセットしたが、そのお世話にならず午前5時半には既に天井を眺めていた。
『結局目覚まし役に立ってね~な』と思いつつ、出発の準備をする。

いかにも計画的と思われるかもしれないが、実はオシュ行きを決めたのは目を覚まし、床に落ちてる腕時計に目をやった瞬間だった。
前日携帯のアラーム設定画面で、液晶に「07:00」と表示されたときも、寝過したら夜出ればいいやと思っていた。そしてそれは、後々寝てた方が良かったのかな、と思わされる。


ビシュケクからオシュへ向かうには通常、ビシュケク内「オシュバザール」からの乗り合いタクシー・マルシュルートカを利用する。オシュとオシュで分かり易いが、読んでる分には分かり難いかもしれない。
宿を出て215番のマルシュルートカを停める。この番号のものには初めて乗車するので、運転手に『オシュバザール?』とだけ確認した。無愛想な運転手の顎髭が縦に揺れる。
僕が乗り込んだときには席が丁度一つ空いていたが、どうせ後程おばちゃんに譲る可能性が高い為、頭上に設置された手すりに掴まった。案の定、次の停留所で大きなクルグズおばちゃんが乗り込んで来た。

走る事10分、車内は身動き取れない程ギュウギュウになっていた。
運転手に『バザールへ着いたら教えて欲しい』と伝えてはいたが、運転手から僕の姿は確認出来ないはずなので、これはちょっと期待出来ないなと感じた。

走行中の車内から目的地を確認する事は、少し難しい。しかし僕は今まで乗り過ごしたという経験が殆どなかったので、内心タカを括っていた。そして予定通り乗り過ごす。
オシュバザールが見分け難いからなのか、それとも隣にピッタリくっついていたロシア人女性が可愛かったからなのか原因は定かでないけど、兎に角僕は引き返す必要があった。
そして又しても乗り過ごす。

ウズベキスタンでこんな事が起こらなかったのは、普段はアホやな~と思う彼等ほぼ全員が、親切だからに他ならない。
というのも二台目のマルシュルートカでも、一台目同様『バザール到着次第教えて欲しい』と伝えていたし、僕は運転手の真隣に立っていた。
ただこれで感じたのはクルグズへの怒りでは当然なく、自分が今まで如何に助けられていたか、こんな些細な事も出来ないのかという無力感だった。
三台目のおっちゃんは逆に親切過ぎて、僕のフェイスに唾が散るのが気になった程だ。


バザールについたのは既に午前9時半。
バザールの方々の親切に助けられ、かなりスムーズにバス乗り場を見付けたが「時、既に遅し」。正午時間帯はオシュ行きのバスが出ない為、夜間のオシュ観察という目的に早くも×印が付いた。

やる事が無いのでネットを繋ぎに、何度か訪れたwi-fi接続可能なコーヒーショップへオシュバザールより向かう。

$ウズベク、ナンパ道場-cafe
ビシュケク市内にあるwi-fi接続可能なカフェの看板

2km程歩いただろうか。道中で写真屋を見付けた。というよりも、写真屋にいる可愛いロシア人を見付けた。

『写真を撮らせて』と頼むと『ザィチェーム(何の為に)?』と言われた。
ロシア語で「why」にあたるのは、この「ザィチェーム」と「パチムー」がある。
僕の統計では、『パチムー?』と言われれば9割方撮影に応じて貰えるが、『ザィチェーム?』だと3割に激減する。
パチムーが単に「何で?」と興味を示すのに対し、ザィチェームは「何の為に?」と若干不審と感じた場合にも使用される為だろう。

しかし粘り過ぎた甲斐あって、その他の男性スタッフという余計なオマケまで付いて来たが、目的のかわいこちゃん写真を手に入れた。

$ウズベク、ナンパ道場-girl

更にオマケで、ほっぺにチューまで戴いた。というより僕がせがんだ。

そこから300m程歩くと、目的のコーヒーショップが見えて来た。
サンドウィッチが食べたかったので『ありますか?』と確認した瞬間、パソコンを宿に置いて来た事を思い出した。そうだ、オシュは危ないかもしれないから一応念を入れておいたのだった。
仕方ないので宿へ引き返す。
同じ宿の宿泊者に、『あれ?結局オシュ行かなかったの?』と聞かれたので、『オシュはオシュでも、バザールへ行って来ました』というつまらんギャグをかまし、少し昼寝をした。


夕方。
少し時間が余ったので、先ほどのコーヒーショップでメールチェック。
仕事の朗報も届いたが、何より先日アルマティで出会った、ドイツ在住の素敵な日本人から便りが届いていた。

今回ウズベクを初めて出てから、本当に素晴らしい出会いが多い。というよりも、「出会い」という時点でそれは大体素晴らしいのかもしれない。
この部分については、機会を見て後述する。


さて、再びオシュバザールへ。
朝オシュまでの料金を確認したが、或るドライバーは2,000som(約4,000円)と言っていた。
宿で詳しい方に伺うと『800で行けるんじゃない?』との事だったので、1,000くらいなら良いかと思った。
そして一発目から"1,000somの男"が現れる。

僕の悪い癖かもしれないけど、それなりに妥当な値段を一発で言われると即決してしまう。初値を高く提示されると、値切り過ぎて終値は安くなるという不思議だ。
交渉の煩わしさを解消してくれた事、少ないが時間を節約してくれた事への対価と思っている。一発目で完璧な値段を提示された場合は、チップまで払う事もある。

感覚が欧米化して来ているのかもしれないが、これはこれで一つのやり方だと思っている。ウズベキスタンでガイドをしている友人に、『日本人は本当にチップをくれない』と言われた事も影響しているかもしれない。

ダラダラと書き連ねてしまったが、兎にも角にも僕の体は、ウチの父親が乗っているトラックの運転席を彷彿させるマルシュルートカに包まれて、12時間彼方のオシュへと運ばれる。
僕は彼のトラックに乗り込むのが大好きだった。あの誰にも負けない高さから眺める景色と、海釣りの撒き餌の小海老の匂いと、イカ飯の味は今でもハッキリ憶えている。
きっと素敵な旅となるだろう。

旅行の計画と目的

2010年8月11日、僕は特に決意も新たにせずオシュへ向かう事とした。
二日後の13日には、ここビシュケクでウズベクVISAを受け取る必要がある為、スケジュールはかなりタイトなものとなった。


・8月11日午前7~9時
ビシュケク内「オシュバザール」よりオシュ行きのマルシュルートカに乗り、片道12時間掛けてオシュへ

・8月11日午後7~9時
ビシュケクで出会ったタイ人、サヴァンの荷物が置かれているという「オシュゲストハウス」へ宿泊

・8月12日夕方まで
オシュ暴動の様子、クルグズ-ウズベク国境の通過が可能か確認

・8月12日夜間
ビシュケクへ向けて、往路同様片道12時間の道のり

・8月13日午前
クルグズ内ウズベク大使館にて、ウズベクVISA受取

・8月13日午後
ビシュケク内の或るバザールで評判の、ピーマンを売ってる可愛い女の子の写真を撮る


今回の目的は、
・オシュを見る事
・国境の様子を確認する事
・サヴァンの荷物を持ち帰る事
・夜間のオシュの様子をビビりながらも確認する事
以上4つである。

しかしノッケからその一つは脆くも崩れ去る。

~エピローグ~

ビシュケクの朝は遅い。
宿に戻って来たのはまだ朝日の登らない、午前6時前だった。
振り返ってみると一昨日の午後7時、片道12時間掛かるといわれるオシュへ向けて出発してからまだ36時間、1日半も経過していなかった。

僕の帰還を祝福するかのように、既に住みなれた宿にはサプライズが用意されていた。

$ウズベク、ナンパ道場

野生のリスを見たのは二回目。
そういえばつい2週間程前、カザフスタンのアルマティ内、とある公園で初めてその姿を目にしたとき、結局1時間粘ってもシャッターを切れなかった事を思い起こした。
早起きは三文、いや、何som(クルグズの通貨単位)得するか分からないなと思った。


この回より、今回クルグズスタンで起こった暴動で比較的被害の大きかったオシュ訪問、帰還までを綴る。
本当は早く寝たいのだけど、宿に戻ると新たなゲストに僕専用ベッドが立て籠もり占拠されていた為、仕方なく筆を取った次第である。

カザフ雑感

Tima@Alma-Ataです。
一言。

『この街は高いです』

殆ど何も調べずに来た僕ですが、ホテルの値段だけはちゃんと調べました。
一番安かったのがカズ・コントラクトで、一泊1500カザフテンゲ(tg)。
レートは1円=約1.5tgで、
1万tg札もあるので日本円に非常に感覚が近い。

しかし値上がりで3000tgに ガ━━(゚Д゚)━━ン!!
アルマトゥでは3000tg以下は期待しない方が良いかも。
この辺の情報はまた別blogに掲載予定です。

チェルネフカ(Chernevka)の国境は開いてたし、
国境からアルマトゥまではバス1500tgで1000kmの道のり一発!
問題は物価だけでしょう。


今日は素敵な出会いがありました♪
これも先進国が欲しがるカザフスタンという国あってのモノ。
この国には可能性がゴロゴロしています。

現在ジャルケント行きへ向けて準備中。
またカザフの深夜の治安を、この後身を持って体験して来ますw

「カザフ&クルグス、ナンパ道場」 一期生募集のご案内

この度カザフスタン、気分次第でクルグススタンも訪問予定です。
これに伴い、【カザフ&クルグス、臨時ナンパ道場】を現地にて開設致します。
入門ご希望の方いらっしゃいましたら、50円切手とビッグサンダー (※1) の画像添付の上、「takahiro-sあっとlive.jp」までメールにてお知らせ下さい。
スパムメールとして報告させて頂きます。

※1
セブンイレブン等で販売されてる、30円(税抜き)の旨過ぎるチョコ


また現地滞在中、こちらのブログの更新は予定通り滞ります。
寧ろ予定を通り越して滞ります。

次回はカザフ (+クルグズ?) 美人画像を多数搭載した、
「ナンパ復活祭」にてお会い致しましょう。
それでは良い月末、8月、9月・・・とかを。



◆講演内容

・2010年07月30日(金) 15:00~ 場所:カザフスタン内
【例えあの子がサングラスを掛けてても、透視に依る美人度チェック法】

・2010年07月31日(土) 15:00~ 場所:カザフスタン、東の辺り
【人類は果たして土曜も働くべきか?】

・2010年08月02日(月) 15:00~ 場所:カザフかクルグス
【最も反応の良い、第一声とは?】 ※実地検証

・2010年08月04日(水) 04:00~ 場所:無我の境地
【早起きは3文の得、では何sumの得か?】

・2010年08月06日(金) 08:15~ 場所:体は中央アジア、心は広島
【原爆について1】

・2010年08月09日(月) 11:02~ 場所:体は大人、心は長崎
【原爆について2】

・2010年08月10日(火) 10:00~ 場所:タシケント
【醤油顔が爆発的にモテる道】

注)講演場所詳細につきましては、お手元に地図と、ダーツをご用意下さい

ウズベキスタンでのタクシーの止め方

ちょっと今日は書きます。
3部作になっており最後は超重要なので、
道場関係者の皆さまは是非ご一読を!!

----(ここから)----

先日調子に乗ったミッキー・マウスに出会った。

$ウズベク、ナンパ道場-mikkiy1

blogの読者さんから「タクシーの止め方リクエスト」を頂いたので、
早速手懐けてタクシーの止め方見本とした。


$ウズベク、ナンパ道場-mikkiy3

この様に道路の端に立ち、道路側に向けて一本指を斜め下に突き出す。

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あれ?目が霞む。透けて・・・る?

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女性の場合は一本指を出さずに、単に斜めに手を差し出す場合もある。

$ウズベク、ナンパ道場-mikkiy2

ちょっとちょっとォ!!
最近のミッキーは目を離すとすぐこれだから┐('~`;)┌

$ウズベク、ナンパ道場-boy

討ち取ったりィィィイイ!!
というワケでなんなか良いヤツでございました(^^)♪


$ウズベク、ナンパ道場-love

何故か別の場所でもキグルミが。
ウズベク・大ファッション時代の夜明け。

Shakira WakaWaka記事のお詫びとウズベク音楽など

前回エントリ「すごい曲を見付けてしも~たぁぁ(゜ロ゜;」に対する謝罪。

結論:みんな知ってる

僕は日本に居たときは洋楽を全然聞かなかったし、
『オレ、洋楽知ってるぜ』ていう態度がぶちくそ嫌いで洋楽アレルギーになってた。そんなこんなでShakiraもここに来て初めて知った。

『Shakira知ってる?』と質問する事は、
『EXILE知ってる?』と日本の若者に聞くことに相当する為、
如何に愚問だったか思い知らされる。

Shakira-僕等の味方、wikipedia

また「WakaWaka」に関しても今回のWorld Cup2010の閉会式で披露された模様。
ウズベキスタンでは、やっと最近街中で耳に入る機会が増えて来たという背景はありますが、心からwkwk(ワカワカ)謝ります。

※wkwkとは「輝く」という意味合いであるが、「何かもう凄い状態」として定義する
 また、wkwk(ワクワク)の上位に位置する

お詫びとして、ウズベクで流行っている、流行った音楽を如何に羅列致す。

Akcent 「On & On」
昨年こちらを訪れた当初から現在も街の喧騒の一つとなっている曲

Bojalar Guruhi feat. Jamshid Abduazimov & Oybek 「Amakivachchalar」
Bojalarはウズベク出身アーティスト。
二人組だったが昨年お一方は交通事故でお亡くなりになられた。
若者からの絶大的な支持を集める。

Rayhon & Bojalar 「Yalola」
女性アーティストとのBojalarコラボ。
Bojalar作品の中では比較的キレイな楽曲。

Inna 「Fever」
Innaの楽曲はそのほぼ全てが似通っている為、一曲聞けば満足し易い。

David Guetta feat. Chris Willis 「Love is Gone」
個人的に「Fred Rister & Joashim Garraud Ultramix11」がおススメだが、
「Ultramix11」だったかどうか詳細不明。
「radio mix」もあるが、それは自分的にちょっと退屈。

Paolo Ortelli Vs Degree Extended 4 clubbers.pl 「Billie Jean」
いわずと知れたMichael Jacksonの楽曲のremix。
オリジナル曲は実はあまり好きではないが、このremixは相当COOL!!


この他にも沢山あるが、今回チョイスは僕の好みに依る。
ハウス系が多いし、知ってる楽曲もあったと思うけど、
ウズベクの若者男性はBojalar (ボジャラー) と聞くと喜ぶ。

Bojalar (ウズベク語) の語源
或る家庭に姉妹がいる。
それぞれが別々の男性と結婚する。
その際、義兄弟となった男性同士はお互いを「Bojo (ボジョ) 」と呼び、
周りの者は彼等を「Bojalar (ボジャラー) 」と呼ぶ。

因みに売春宿に行き、同じ女性と時間を共にした者同士も、
周りから同様に呼ばれる事となる。


聞くと喜ぶのはその辺りからか?w

すごい曲を見付けてしも~たぁぁ(゜ロ゜;

皆さん、シャキーラ (Shakira) をご存知だろうか?
ウズベクの友人曰く『ブリトニーより良い女』だそうだが、
正直顔はブリちゃんの方が好みだ。

そんな彼女の今回の新曲、

WakaWaka this Time For Africa

が、とにかくヤバい!!
twitterでも呟いたけど、久しぶりにMP3を買いに、
近くのCDショップへ足を運んだ。
しかも歌詞を検索して一日で唄えるようになったw
こんなに必死に歌を憶えたのは高校生以来だ。

実は今回2010年度のサッカーワールドカップ公式ソングだったそうで、
今更騒いでるのは僕だけかも知れない。
まぁとにかくまだの人は聞いてみて欲しいワケだ。


iTunesへ

因みに↑のiTunesはアフィリエイトではない。
なんか一部ブログでアフィリが出来なくなってる様子。
そういうワケでいかに僕がこの曲に無償の愛を捧げているか
ご理解頂けるだろう。

「WakaWaka this Time For Africa」歌詞
http://www.lovecms.com/music-shakira/music-waka-waka-this-time-for-africa.html

しつこいけど最後に、出来ればYouTubeでPVを見て欲しい。
てか見るべきだ、見ろっ!
※これは自分で探してね、疲れたからw