生命の光『フランケンシュタイン』(2025)
1857年。北極点を目指すデンマーク海軍の船は暑い氷塊に阻まれて身動きが取れなくなる。脱出作業の最中氷原に火が立ち上がるのを見た乗組員はが駆けつけると重症を負った男がひとり。隊長アンダーソン(演じるはデンマークの名優マッツ・ミケルセンの兄ラース・ミケルセン)の指示で男を船内に運ぼうとすると突如唸り声をあげて長身・巨躯の何者かが襲ってきた。
「その男をオレに渡せ!」
乗組員の銃弾を浴びて氷海に沈んだ何者かだが、傷を負った男は「あいつは生きている。あれぐらいでは死なないんだ」と力なくつぶやく。
「あの怪物をつくったのはわたしなんだ・・・」
男の名はヴィクター・フランケンシュタイン。外科医にして“怪物”の創造主であった。
シェリー夫人のゴシック・ロマンにしてSFでもある『フランケンシュタイン~あるいは現代のプロメテウス』を元にした映像作品は数限りなくある。もっとも有名なのは『フランケンシュタイン対地底怪獣』と『ドラキュラ対フランケンシュタイン』だけど(大嘘)今回の監督はモンスター、怪奇映画大好き野郎のギレルモ・デル・トロだ。信用できるオタク監督ってやつです。ネットフリックスで配信中の『フランケンシュタイン』(2025)はユニヴァーサル・モンスターの伝統をなぞりつつ、許しと償いを求めて足掻く生命の物語。
映画は大きく3つのパートに分かれている。ヴィクター・フランケンシュタイン(オスカー・アイザック)の幼少時代。高名な外科医である父親に厳格に育てられるが母は病に斃れる。母を救えなかった父と医学に絶望したヴィクターは死体から命を再生する“蘇生”の研究に取りつかれ、研究結果の発表に至る。進歩を貴ぶ若い世代に支持を受けるも保守派が支配する医師会からは異端扱いされ追放処分に。
そんなヴィクターに接触した武器商人ハーランダー(クリフトフ・ヴァルツ)の資金援助を受けてヴィクターは蘇生研究を続ける。さらに弟ウィリアムの協力を得て巨大な実験塔の建設に着手。ハーランダーの姪でありウィリアムの婚約者であるエリザベス(ミア・ゴス)と出会ったヴィクターは彼女の進歩的な考え、優れた知性、昆虫趣味などに惹かれ交際を申し込むも断られてしまう。
クリミア戦争が激しさを増し、無制限に融資すると言っていたハーランダーが援助を渋り「一週間で結果を出せ」と迫られる。追い詰められるヴィクターだがとっさのひらめきで死体から作り上げた肉体を動かすことに成功する。
さらに大量の電気を必要とするために嵐の日に起きる落雷を利用することを思いつく。その頃ハーランダーの肉体は梅毒に冒されており、水銀を治療薬と称して飲み干していた。完成した肉体に自分自身を転移させることを要求するハーランダーに病に侵された臓器は使えないからあきらめろとするヴィクター。もみ合ったあげく彼は落下して死んでしまう。その時落雷が実験体を貫いた・・・
実験は成功するも蘇生体には知能がなかった。父親気取りで言葉を教えようとするも彼が知る父親とは息子を殴ってしつけるような人間なのだから、うまくいくはずがない。「ヴィクター」それだけしか言えず知能のない蘇生体を「怪物」呼ばわりし蔑むヴィクター。実験塔を訪れたウィリアムとエリザベスにハーランダーは怪物が殺したと嘘をつき、実験を放棄しようとするが怪物が「エリザベス」とつぶやくのを耳にし、嫉妬にかられたヴィクターは実験塔を火の海に沈めるのだった。
継ぎ目のある肉体、低い知性という怪物のキャラクターは後世の創作によるものであり、このフランケンシュタインの怪物というキャラクターの造形に影響を及ぼしたのは1931年のユニヴァーサル映画『フランケンシュタインFrankenstein』(ジェイムズ・ホエール監督)だ。ボリス・カーロフが演じ、ジャック・P・ピアースによるメイキャップで生み出された怪物が100年近く更新されずにきたのだ。
デル・トロは原作のキャラクターの配置、役柄を変えつつもアウトラインはホエール版に準じている。他の作品のように。が、ここからがオタク監督デル・トロの本領発揮だ。
怪物の誕生をアンダーソン船長に語り終えた頃、北極海に沈んだ怪物が姿を見せる。やはりこいつは不死の怪物なのだ!死を覚悟したアンダーソンは「お前は彼の言う通り知性のない怪物に過ぎない」と吐き捨てる。
「そいつの独りよがりな話を聞いただけだろ?」
と口を利く怪物。言葉を話せるのだ!
「今度は俺から見た話を聞かせてやろう・・・」
第2章は塔の爆破から生き延びた怪物の視点から見た物語。怪物はさ迷い歩き、やがて農場の小屋で暮らす一家の元にたどり着き、小屋に潜んで暮らすようになる。盲目の老人が孫娘に言葉を教えるのを見て言葉を学び、彼らの生活から知性を学んでいく怪物はこの一家の住人になりたいと願い、夜の間に干し草を用意したり、小屋をつくったりする。それを森の妖精の仕業と思い込む老人。
怪物の行為は「感謝」というもので、知性のない怪物に出来ることではない。
家畜を襲う狼を狩るために家族を町に移し、ハンターらが森に入ると家には頑なに土地を離れようとしない盲目の老人だけが残った。怪物は森の妖精を名乗り姿を見せ(見えないんだけど)、交友を深め読み書きと言葉遣いを学ぶ。
自分が何者かの記憶さえないという怪物にルーツを探れという老人のアドバイスに従い、覚えている言葉でもっとも古い「ヴィクター」と記憶を頼りに怪物はかつての実験塔へ。そこでわずかに残されていた怪物の実験試資料を見つけ、死体から生まれた怪物であること、ヴィクターが自分を生み出しながら身勝手に捨てたこと、住所が書かれた手紙を見つける。
「オレは初めから死んでいた。死ぬこともできない怪物なのだ」
農場に帰った怪物は狼に噛み殺された老人を発見する。運悪く戻ってきたハンターらに老人殺しの疑いをかけられた怪物はハチの巣にされるが死ぬことができない怪物はまた目覚める。
これらのエピソードは1931年版の続編『フランケンシュタインの花嫁』(1935)からの要素できちんと続編の話まで組み合わせているところがさすがオタク監督デル・トロ!
原作の要素である「高い知性をもった怪物」(もう怪物と言えないのでは?)に進化した怪物がヴィクターの元を訪れ「この永遠の孤独に耐えられるよう、連れ合いをつくれ」と迫るが怪物を想像したことを悔いている創造主(ヴィクター)に拒否される。
怪物は不死を解く技術を見つけるまで創造主を追い詰めると誓う。「北極点の果てまでも!」そして本当にヴィクターは怪物を追って犬ぞりで北極までやってくる!(それが冒頭の場面)
2時間30分の大作だがクライマックスの果てしない追いかけっこはあっさり処理されるので本当はこれが30分以上続いてたんじゃない?
第3章。怪物の語りを聞いたヴィクターは怪物に許して欲しいと償う。彼の研究は母を死なせたことを少しも悔いていない父親への復讐から始まった。父から償いの言葉が聞けたのならこんな過ちは侵さなかったのに。
実験塔で怪物の目覚めを見たヴィクターは窓から差す日差しを見せ
「見ろ。これが太陽だ!暖かな光だろう!」
と目を輝かせた。彼が最初に教えたのは陽の光の暖かさだった。
北極点に差す夕日の光に怪物は手を伸ばす。それが創造主が命のほかに与えてくれたものだから。
1931年版
善と悪のフランケンシュタイン
日本人に刻まれたフランケン像といえばこれ
万博は佐賀でやった方がよかった『ゾンビランドサガ ゆめぎんがパラダイス』
TVアニメのシーズン2『ゾンビランドサガ リベンジ』から4年、ゾンビアイドルのフランシュシュが帰ってきた!『ゾンビランドサガ ゆめぎんがパラダイス』はTVシリーズの完結編(多分)にして数々の謎がきちんと解き明かされる解答編でもある。
2025年、紆余曲折を経てどん底からの復活を成し遂げたメンバー全員ゾンビのアイドル、フランシュシュは様々なトラブルのため開催地の変更を余儀なくされ、すったもんだの末に佐賀が開催地に決まった佐賀万博のアンバサダーに任命。万博ライブに向け準備が進む中、メンバーのひとり「伝説の山田たえ」が行方不明に。直後、宇宙船が佐賀に飛来し攻撃を開始。万博会場および町中が崩壊する。宇宙人の襲撃は全世界に及び混乱に陥る中、自我を取り戻した山田たえが帰還。たえの正体が佐賀を謎の存在の攻撃に抵抗していたレジスタンスのメンバーであったことが判明。
自我を取り戻した代わりにアイドル時代の記憶を失っていた山田たえだが、宇宙人の侵略から佐賀を守るために佐賀に陣取る宇宙人の母艦の破壊を目指す。フランシュシュのメンバーはたえの力になろうとするが
「たかがアイドルに何ができるっていうんですか!?」
と拒絶、フランシュシュからの脱退を宣言。これが音楽性の違いによる脱退か(違う)。
世界は宇宙人の侵略に対抗するため佐賀への攻撃を決定。営業先の東京から舞い戻ってきたプロデューサー巽幸太郎から「たえを必ず連れて帰れ」と厳命され立ち上がるフランシュシュ。しかし正体がゾンビであることをファンに知られてしまう・・・
死んでしまった人間が蘇り、存在自体が風前の灯であった佐賀を復興させるプロジェクトに挑むという『ゾンビランドサガ』のテーマは復活である。成功しそうになってはしくじり、どん底に落ちてもまた甦り立ち上がる。佐賀の乱の見せしめとして併合され三潴県に陥りながら努力の末、独立を認められるという(そのあたりの話もアニメで描かれる)歴史を持つ佐賀県ならではの企画であり意外とマジメな作品なのだった。
戦いしか知らなかったたえがアイドルとして無限の可能性に気づくという展開は、やたらとアイドルアニメに夢・努力・成功をこれでもかと押し付けられがちな現代においてやや鼻白むが、未宇宙人の侵略への抵抗というSFアクション面が帳消しにしてくれている。何しろ宇宙人と戦うんだもんなあ。そんなの『キラッとプリ☆チャン』ぐらいでしか見たことないよ!
『~リベンジ』の最終回からきちんとつながって、伏線もほぼ回収されていたし最後の万博ライブも感動的で大団円、大号泣ですよ。
こないだ終わった万博もこんなフィナーレだったらよかったのに!
生前のたえちゃんの漫画
映画の曲も入ってます
アニメ・この一話がスゴイ!スプーンおばさん「おばけのしかえし」
10月31日はハロウィンだったわけで・・・
おっさんがガキの頃はハロウィンなんかなかったよなー
日本でハロウィンが定番のお祭りになったのは1990年半ばからというのでその頃もう二十歳すぎてるもんな。僕はハロウィンという言葉を意識したのもバートンとセリックの『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』観てからだし。今は児童向けアニメや日常系漫画でも普通に出てくるけど、ガキの頃見たアニメにはほとんどなかったぜ。
探したところ、1983年放送のアニメ『スプーンおばさん』にハロウィンを扱った回があったわ。第92話「おばけのしかえし」というエピソードだ。
スプーンおばさんは自宅で大量のクッキーを焼いていた。おばさんの仲良しの少女ルウリィ(声・島本須美!)が聞くと今日はお化け祭りの日だからと。近所の子供がお菓子をもらいにやってくるのでそれを焼いているのよと。
ハロウィンという言葉が定着してないのでお化け祭りと言い換えている所に時代を感じますね。
そこにやってきたバケット、リトルボン、キャパの悪戯3人組が鍋や木箱で作ったお化けの仮装をして「お菓子くれ」とやってくる(「くれなきゃ悪戯するぞ!」というやりとりは存在しない)。3人はルウリィの姿を見てそそくさと退散。
「あの子カワイイよな!」「せっかくだからお話したいなあ・・・」「そうだ、もう一回おばさん家に行ってお話しようぜ」
と話しあい。しかし一度お菓子をもらった家に行くのは・・・となるがそこは悪ガキ3人。一旦その場を離れ新しい仮装をしておばさんの家に再来訪。別の子供を装ってやってくるというわけだ。知恵が回るな。
やってきた3人がバケットたちなのにすぐに気づくおばさんは「あんたたちどこの子?名前は?」とわざと問いただす。リトルボンは適当に「アルフ」という偽名を名乗るが後が続かない。結局すぐさま退散。
おばさんは悪ガキがお菓子が欲しくて何度も来るのだと勘違いし、ルウリィと二人で悪ガキ3人にちょっとした悪戯をしようと思いつく(その途中で小さくなってしまう)。
そんなことに気づかず「ルウリィとお話したい!」という一心でまた別の仮装を用意してやってくる悪ガキ3人(少年のリビドーは時にものすごいパワーを生み出すのだ)。ところがおばさんが仕掛けた罠やルウリィがカボチャ頭ジャック・オー・ランタンを被ったお化け仮装に本気でビビッて逃げ出すのだった。
これで味を占めたおばさんとルウリィは他の家でお菓子をもらおうとするも直前でおばさんが元に戻ってしまい「今日は子供の日よ!」と恥をかいちゃうのでした。
これが日本におけるTVアニメではじめてハロウィンというものが紹介された回と思われる(ハロウィンという言葉での説明がないにせよ)。アルフ・プリョイセンの原作本にこのエピソードがあったかどうかは未読なのでわかりません。
少年たちの行動の根っこが「島本須美さんとお話したい!」というものだったのはオッサンになった今こそ響くね。わかるよその気持ち!お菓子なんかどうでもいいよな!
2025年11月予定
11月予定
11月7日(金)
『アイドル十戒リバース其の7』
会場:アワーズルーム
開演:19:30 料金:1500円+1D
出演:竹内義和 しばりやトーマス
サイキックをやってた人と聞いてた人のアイドル談義。
※今月は金曜開催、19時オープン30分スタートです
11月12日(水)
『旧シネマパラダイス』
会場:アワーズルーム
開演:20:00 料金:500円+1D
解説:しばりやトーマス
カルトを研究する若人の会。コンビニバイトの最悪な一日!
11月21日(金)
『キネマサロン肥後橋』
会場:アワーズルーム
開演:19:30
料金:500円+1D
解説:しばりやトーマス
※終了後YouTuber配信アリ
深夜の映画番組みたいな研究会。忍者たちが大激突!
11月26日(水)
『スーパーヒーロートーク』
会場:怪獣シアター
開演:20:00 料金:1500
出演:にしね・ザ・タイガー しばりやトーマス
東映・ニチアサヒーローについて語りすぎるトークライブ。
会社が来りて金を出さない『悪魔が来りて笛を吹く』片岡千恵蔵主演版
戦前の剣劇スタア、時代劇スターだった片岡千恵蔵は戦後、GHQの占領政策による「時代劇は封建主義的である」などの批判を受けチャンバラ映画の製作が禁じられたので現代劇に活躍の場を移した。東映の前身、東横映画の『三本指の男』(1947)がヒット。これは横溝正史の『本陣殺人事件』の最初の映像化で、千恵蔵は主人公の金田一を演じた。タイトルが変えられたのはやはりGHQから「殺人」という単語に検閲がかかったため。
51年に東映に移籍した後も金田一シリーズは続いたが千恵蔵版金田一は一作目の『三本指の男』、『獄門島』を原作とした二部作をひとつにした総集編、最終作の『三つ首塔』(1956)以外のプリントは失われたとされていた。今回『悪魔が来りて笛を吹く』のフィルムが発掘されたことで待望の初ソフト化と相成った。
原作とは違う筋立て、犯人を脚本の比佐芳武が設定したことで79年の西田敏行主演版とも違う趣が楽しめる。
『三本指の男』の登場人物で以降の千恵蔵版シリーズで秘書として登場する白木静子(千原しのぶ)が事件を回想するパートから開幕する。宝石店の従業員らが毒殺された天銀堂事件(実際に起こった帝銀事件がモチーフ)の容疑者として名が上がった元華族の椿英輔子爵はアリバイがあったことで濡れ衣が晴れるが「疑われること自体が恥」だとして自宅に引きこもるようになり、やがて失踪。最後は山中で死体となって発見される。彼の遺書には「もう耐えられない。悪魔が来りて笛を吹く」の一節があった。
その後子爵の妻、燁子(三浦光子)は夫の姿をしばしば見ることになり「あの人は生きている」と怯えだす。そのため娘の美彌子(杉葉子)は椿邸に出入りする占星術などを学んだ医者の目賀博士(佐々木孝丸)に英輔が生きているかどうか砂占いをすることになったので、高名な私立探偵の金田一耕助(千恵蔵)に同席を依頼する。静子を伴い椿邸にやってきた金田一は燁子の兄、新宮利彦(原健策)やうだつが上がらないダメ息子の一彦(石井一雄)、一家の主・玉虫伯爵(高田稔)、その小間使いである菊江(喜多川千鶴)、居候の書生・三島東太郎(塩谷達夫)ら一癖も二癖もある人々らに訝し気な視線を送られるのだが、一切気にしない性格である。
行われた砂占いは火炎太鼓の形を指し示す。するとどこからともなくフルートの音が聞こえ、それを追って二階にある英輔の私室にたどり着く金田一はレコードプレーヤーにセットされた英輔作曲の「悪魔が来りて笛を吹く」のレコードが誰もいないのにかかっていることを知る。
ちなみに砂占いの結果は「英輔は生きている」というものだった。
金田一は英輔の死体の見分、確認をした警視庁の等々力警部( 岡譲二)から確かに遺体は英輔子爵であり、アリバイがあったことで天銀堂事件の犯人ではないことも証明されたと。直後、椿邸で玉虫伯爵が密室の中で殺されたと聞かされる。
事件のあった日に英輔は神戸に向かっていたということから金田一、白木、等々力らは一路兵庫へ。英輔の宿泊先の宿の主、村岡辰三(吉田義夫)から英輔は村岡の妹で出家して淡路島の寺で尼になった妙海ことお駒に会いに行ったのだという。白木と等々力を神戸に残して港で淡路に向かうという吉川辰吉(山口勇)の船に乗せてもらう金田一は吉岡の手下によって海に放り込まれそうになる。どうする金田一!?そこで辣腕をふるって悪漢を叩き伏せた金田一!(この腕っぷしの強さは石坂浩二や古谷一行の金田一にはないポイント)彼は無事淡路島につくのだが妙海はすでに殺されていた。
以後、次々と周囲で殺人が起きる。果たして金田一はこの恐るべき事件を解決できるのか?
日本映画の父、牧野省三を父に持つサラブレッド監督、松田定次と脚本・比佐芳武のコンビは時代劇映画で培った娯楽映画のコンセプトを片岡千恵蔵と金田一シリーズでも如何なく発揮する。それは片岡千恵蔵を完全無欠のヒーローとして演出するってことである。
金田一千恵蔵は船の上で悪漢らをなぎ倒し、恐るべき行動力で事件の真相にたどり着き、立て板に水の推理で犯人の手口を暴き、悪あがきする犯人相手に百発百中の拳銃の腕を披露・・・って拳銃?そう、千恵蔵の金田一は拳銃を操るのだ。私立探偵が拳銃持っちゃダメでしょ!同じ金でもお前は金田正太郎か!?なぜか後半は多羅尾伴内になってしまうのでした(同時期に多羅尾伴内シリーズも並行してやってたので混乱しなかったのかな)。
そして最後には二人のカップルをくっつけるキューピッドの役目も果たす千恵蔵!さすが探偵(?)ケアも抜群だぜ!!最初に出てくる天銀堂事件が映画の内容とほぼ関係ないあたりはしくじってる気もしますが、後の『悪魔が来りて~』がダラダラと余計な描写に時間をかけて2時間前後の作品ばかりなのにこちらは84分と非常にコンパクト。無駄がない。
また静子や美彌子をはじめとする女優陣のモダンなファッションは洗練されており、54年のモノクロ映画とは思えないおしゃれさを感じる。改めて千恵蔵のスタア性と当時の娯楽映画のレベルの高さを感じずにはいられない。
本作のフィルムが発掘された経緯は、横溝正史を研究している大学教授の山口直孝氏がネットオークションにて消失したとされている『悪魔が来りて笛を吹く』の16ミリフィルムが出品されているのを知り、ン十万円で競り落とすことに成功。それを東映に無償で寄贈され、東映が劣化したフィルムの修繕をクラウドファンディングの呼びかけで実施した。
ここにすごくひっかかるんだけど、50年代の自社専属スタアのヒット作品の失われたとされるフィルムが発掘され寄贈されたのに修繕、リマスターの予算を自分らでひねり出そうとせず、ファンの金に頼るってあたりが如何にも東映だなあ・・・と思わざるを得ない。ケチすぎない?しかも今回ソフト化されたのもDVD!そこはBlu-rayで出してよね!
ホント東映って旧作の復刻とかBlu-ray化には信じられないぐらい腰が重くて、いったいどういう基準で決められてるのか謎。しかし『悪魔が来りて笛を吹く』が発掘されたなら、失われたとされる千恵蔵版『八つ墓村』『犬神家の謎 悪魔は踊る』(ラストが輔清と金田一の銃撃戦になるやつ)だって絶対あるに決まってるんだから、誰か見つけてリマスターしてくれ!金はもちろんファンの金でな!
千恵蔵版
西田敏行版




