終末の唄_019
南の窓から見える中庭のベンチの上に、二羽の赤い鳥が留まっているのが見える。
彼らはそのビビッドな赤い羽をパタパタと羽ばたかせながら、早春の陽の光と戯れるように楽しそうにコミカルに首を動かしている。
「彼は、ひとのカタチを借りた”悪意の塊”です。
彼はかたちのあるもの、ないものに関わらず、ありとあらゆるものを破壊し尽くし、想像を絶するような残忍な行為を、楽しみながら、場当たり的に、次から次へと行います。
その負のアイデアは決して尽きることがありません。ぼくの眠りの中で、その悪夢はパッチワークのようにどこまでもどこまでも繋がっていき、様々にコラージュされていきます。
けれどもぼくは、その男の行為をそばでただ見ているだけなんです。手をだすことも、声をだすことも許されてはいません。残念なことに、成り行きをただ見届けているだけなんです。
そうしてなす術もなく彼の行為を見ている間に、ぼくはそのあまりの残忍さに耐えることができなくなり、次第に頭が痺れてきて、何度も嘔吐したくなります。そしてその呪われた場から、何とかして逃げだそうと必死で試みてみるんです。けれど身体は金縛りにあったように、ぴくりとも動きません。目を閉じようとしても、瞼の筋肉がうまく縮んでくれません。
だからぼくは、彼の悪事をただじっと見ているしかないのです。ついに、気を失ってしまうまでは――」
もう一度窓の外を見てみると、ベンチにいた鳥たちはもうどこかへ飛んでいったあとだった。
「やがて眠りから覚め、気がつくと、身体はぐったりと疲れきっていて、胸の辺りにぐっしょりと汗をかき、脳は休まるどころか、回転し過ぎたハードディスクのようにすり切れてしまっています。
そして、もう決して眠るまい、とつよく思うんです。もう二度と彼を好きにさせてはならない、と。
けれど悔しいことに、どうしても眠りはまたそのうちに、ぼくに訪れてきます。どんなにつよく拒んでも、我々の身体はそういう風にできているんですよね?」
「薬にも何にも頼らない状態で、ひとが眠らないでいれた世界記録は、せいぜい十数日よね」
「そうでしょうね」
「あなたは、たとえそれが夢だとわかっていても、単なる夢なんだとわりきって考えることはできないのよね?」
「はい。いまのところ、できそうにはありません」
ぼくは少し間をおいてから、続けた。「ぼくは――うまくは言えないんだけれど――これは、単なる夢なんかじゃない、と思うんです」
「夢、じゃない?」とチェン先生は、繰り返した。
「ええ。彼はぼくの身体を通して、だれかに、何か――それはたとえば、彼の邪悪なパワーのつよさ、なのかもしれない――を示そうとしているんじゃないか、と思えるんです。
なぜだかはわからないけれど、ぼくはただその媒体として、彼の意志を映しだすスクリーンとして、ここに存在しているだけなんじゃないか、と」
「だれかに、何かを示そうとしている」チェン先生はそっと、繰り返した。
「まだはっきりとはわからないんですけど」
「いいわ」
そう言うと、チェン先生はスツールから立ち上がり、クリーム色のブラウスの上に羽織った白衣のポケットに手をつっこんで、窓の方へと歩いていった。
そしてカーテンをしゃっと勢いよく閉めた。そのカーテンはよくできた遮光カーテンなので、診察室の中はすぐに薄暗くなった。
それからチェン先生はキャビネットの上のIHヒーターにのせていたポットから、大きめのマグカップに温かいミルクを注いだ。
「ナイトミルクよ。メラトニンというホルモンがでて、落ち着いてよく眠れるの」
ぼくはそのミルクの入ったマグカップを受け取り、ゆっくりと飲み干した。
空になったカップを受け取ると、彼女はぼくが座っているリクライニングチェアを四五度左に回転させて、そのあと陶器製の洗面ボウルの窪んだ部分に首があたるように、ゆっくりと背もたれを倒していった。
「それじゃあ今日は、その夢をみるようになった頃のことを、もう一度最初から、ゆっくりと、できるだけ丁寧に、思い出してみて」
チェン先生はぼくのコットンシャツの上にポンチョを被せ、顔の上にとても柔らかいタオルをのせたあと、シャワーからこれ以上身体が解放されることはないと思えるような、ジャストな温度と水圧の湯を頭頂部にあてた。
そしてそこに、とても安らぐ香り――海藻のような匂いだ――がする不思議な感触のグリーンのオイルのような液体を数滴垂らし、やさしく髪を掻き分けて、そのほっそりとした指先をぼくの頭皮にあてがった。
ぼくは聖水によって清められるような心地の中で、チェン先生が言ったように、その夢をみるようになった頃のことを思い出してみた。
路上でキリン顔の女から奇妙な青いチケットを受け取り、あの事件に遭遇した夜のことを――。
To be continued.
彼らはそのビビッドな赤い羽をパタパタと羽ばたかせながら、早春の陽の光と戯れるように楽しそうにコミカルに首を動かしている。
「彼は、ひとのカタチを借りた”悪意の塊”です。
彼はかたちのあるもの、ないものに関わらず、ありとあらゆるものを破壊し尽くし、想像を絶するような残忍な行為を、楽しみながら、場当たり的に、次から次へと行います。
その負のアイデアは決して尽きることがありません。ぼくの眠りの中で、その悪夢はパッチワークのようにどこまでもどこまでも繋がっていき、様々にコラージュされていきます。
けれどもぼくは、その男の行為をそばでただ見ているだけなんです。手をだすことも、声をだすことも許されてはいません。残念なことに、成り行きをただ見届けているだけなんです。
そうしてなす術もなく彼の行為を見ている間に、ぼくはそのあまりの残忍さに耐えることができなくなり、次第に頭が痺れてきて、何度も嘔吐したくなります。そしてその呪われた場から、何とかして逃げだそうと必死で試みてみるんです。けれど身体は金縛りにあったように、ぴくりとも動きません。目を閉じようとしても、瞼の筋肉がうまく縮んでくれません。
だからぼくは、彼の悪事をただじっと見ているしかないのです。ついに、気を失ってしまうまでは――」
もう一度窓の外を見てみると、ベンチにいた鳥たちはもうどこかへ飛んでいったあとだった。
「やがて眠りから覚め、気がつくと、身体はぐったりと疲れきっていて、胸の辺りにぐっしょりと汗をかき、脳は休まるどころか、回転し過ぎたハードディスクのようにすり切れてしまっています。
そして、もう決して眠るまい、とつよく思うんです。もう二度と彼を好きにさせてはならない、と。
けれど悔しいことに、どうしても眠りはまたそのうちに、ぼくに訪れてきます。どんなにつよく拒んでも、我々の身体はそういう風にできているんですよね?」
「薬にも何にも頼らない状態で、ひとが眠らないでいれた世界記録は、せいぜい十数日よね」
「そうでしょうね」
「あなたは、たとえそれが夢だとわかっていても、単なる夢なんだとわりきって考えることはできないのよね?」
「はい。いまのところ、できそうにはありません」
ぼくは少し間をおいてから、続けた。「ぼくは――うまくは言えないんだけれど――これは、単なる夢なんかじゃない、と思うんです」
「夢、じゃない?」とチェン先生は、繰り返した。
「ええ。彼はぼくの身体を通して、だれかに、何か――それはたとえば、彼の邪悪なパワーのつよさ、なのかもしれない――を示そうとしているんじゃないか、と思えるんです。
なぜだかはわからないけれど、ぼくはただその媒体として、彼の意志を映しだすスクリーンとして、ここに存在しているだけなんじゃないか、と」
「だれかに、何かを示そうとしている」チェン先生はそっと、繰り返した。
「まだはっきりとはわからないんですけど」
「いいわ」
そう言うと、チェン先生はスツールから立ち上がり、クリーム色のブラウスの上に羽織った白衣のポケットに手をつっこんで、窓の方へと歩いていった。
そしてカーテンをしゃっと勢いよく閉めた。そのカーテンはよくできた遮光カーテンなので、診察室の中はすぐに薄暗くなった。
それからチェン先生はキャビネットの上のIHヒーターにのせていたポットから、大きめのマグカップに温かいミルクを注いだ。
「ナイトミルクよ。メラトニンというホルモンがでて、落ち着いてよく眠れるの」
ぼくはそのミルクの入ったマグカップを受け取り、ゆっくりと飲み干した。
空になったカップを受け取ると、彼女はぼくが座っているリクライニングチェアを四五度左に回転させて、そのあと陶器製の洗面ボウルの窪んだ部分に首があたるように、ゆっくりと背もたれを倒していった。
「それじゃあ今日は、その夢をみるようになった頃のことを、もう一度最初から、ゆっくりと、できるだけ丁寧に、思い出してみて」
チェン先生はぼくのコットンシャツの上にポンチョを被せ、顔の上にとても柔らかいタオルをのせたあと、シャワーからこれ以上身体が解放されることはないと思えるような、ジャストな温度と水圧の湯を頭頂部にあてた。
そしてそこに、とても安らぐ香り――海藻のような匂いだ――がする不思議な感触のグリーンのオイルのような液体を数滴垂らし、やさしく髪を掻き分けて、そのほっそりとした指先をぼくの頭皮にあてがった。
ぼくは聖水によって清められるような心地の中で、チェン先生が言ったように、その夢をみるようになった頃のことを思い出してみた。
路上でキリン顔の女から奇妙な青いチケットを受け取り、あの事件に遭遇した夜のことを――。
To be continued.
終末の唄_018
♯05
「――さて。気分は、どう?」
チェン先生はぼくの横手の小さなスツールに座って、いつもそう訊く。
「あまり、よくはないです」
「そう?」彼女は視線をカルテに落としたまま、そう言った。
クリニックのいつもの診察室。
何もかもが、真っ白な部屋だ。いわゆる病院の薬品臭い匂いはしない。ひんやりとして、静まりかえっている。
部屋の隅にある加湿器のシュウシュウという小さな吐息だけが、ただかすかに聞こえてくる。
チェン先生のデスクの上には、天使のリヤドロ人形と、ドイツ製のガリレオ温度計と、小さなゴム製の黒猫のおもちゃがある。ぼくの腰掛けたチェア(ベージュ色のなめらかでひやっとした革張りだ)からは、それがよく見える。
部屋の一番奥には、金メッキのノブの白いドアがある。そのドアの向こうがどうなっているのかはしらない。
よく陽の差し込む南側の窓からは、中庭と、そこにある木製のベンチと、そしてクリニックの敷地を囲っている白いフェンスが見える。そのフェンスのさらに向こうには、深い深い森が広がっている。
「それじゃあ、身体の調子の方は、どうかしら?」
「それも、最悪です」とぼくは、答えた。
「そうなの?」冗談に聞こえたのか、チェン先生は少し笑いながら、言った。
ぼくはぼんやりと、チェン先生に恋している。
いや、たぶんこのクリニックに通うみなが――男であれ、女であれ――そうなのだろうと思う。
シャボンの香りがする長い黒い髪、つよい意志を示すきりっとした眉毛、やさしさを称えたいつも少し開かれている柔らかな唇、そしてヘーゼル色のくっきりとした瞳――。
彼女には触れたもののこころを捕らえて、柔らかく包み込む特別な〈ちから〉がある。相手を恋させる特別な〈ちから〉がある。とても、大陸的だ。
「たとえば、どんな風に最悪なの?」
チェン先生は白衣からのぞくすらりとした足を組みかえて、訊いた。
「頭痛が続いていて、常に耳鳴りがします。熱っぽくって、ふらふらして、自分が真っ直ぐ立っているのかどうかさえ、わからなくなってしまいます。
目が落ち込み、血走って、喉は裂きたくなるほどカラカラに渇いていて、そして心臓が不規則に脈打ちます。
そんな風だから、いつもいらいらとしていて、何に対しても投げやりで、つい乱暴になってしまうんです。
そして、いま何よりも恐れていることは、現実と夢の境目がだんだんとわからなくなってきた、ということなんです。生物時計の歯車が完全に狂ってしまって、ぼくの身体からはリズムというものがすっかり奪われてしまったんです。時が区切れることなく、リセットされないままに、何もかもがいつまでもどこまでも果てしなく繋がって、流されていく――そんな感じです」
「まだ、あまり眠れないんだ?」
チェン先生はボールペンの先を彼女の尖った顎にトントンと当てながら、大きな瞳でぼくを見た。
「そうですね。でも、もっと正確に言えば、眠れないんじゃなくて、眠りたくない、というのが正しいところです」
「その――〈銀色の男〉がでてくる、からね?」
「そうです。彼はぼくが眠るのを、いまかいまかと手ぐすね引いて待っているんです。
ぼくの眠りが、彼にとっての活動のフィールドだから」
To be continued.
「――さて。気分は、どう?」
チェン先生はぼくの横手の小さなスツールに座って、いつもそう訊く。
「あまり、よくはないです」
「そう?」彼女は視線をカルテに落としたまま、そう言った。
クリニックのいつもの診察室。
何もかもが、真っ白な部屋だ。いわゆる病院の薬品臭い匂いはしない。ひんやりとして、静まりかえっている。
部屋の隅にある加湿器のシュウシュウという小さな吐息だけが、ただかすかに聞こえてくる。
チェン先生のデスクの上には、天使のリヤドロ人形と、ドイツ製のガリレオ温度計と、小さなゴム製の黒猫のおもちゃがある。ぼくの腰掛けたチェア(ベージュ色のなめらかでひやっとした革張りだ)からは、それがよく見える。
部屋の一番奥には、金メッキのノブの白いドアがある。そのドアの向こうがどうなっているのかはしらない。
よく陽の差し込む南側の窓からは、中庭と、そこにある木製のベンチと、そしてクリニックの敷地を囲っている白いフェンスが見える。そのフェンスのさらに向こうには、深い深い森が広がっている。
「それじゃあ、身体の調子の方は、どうかしら?」
「それも、最悪です」とぼくは、答えた。
「そうなの?」冗談に聞こえたのか、チェン先生は少し笑いながら、言った。
ぼくはぼんやりと、チェン先生に恋している。
いや、たぶんこのクリニックに通うみなが――男であれ、女であれ――そうなのだろうと思う。
シャボンの香りがする長い黒い髪、つよい意志を示すきりっとした眉毛、やさしさを称えたいつも少し開かれている柔らかな唇、そしてヘーゼル色のくっきりとした瞳――。
彼女には触れたもののこころを捕らえて、柔らかく包み込む特別な〈ちから〉がある。相手を恋させる特別な〈ちから〉がある。とても、大陸的だ。
「たとえば、どんな風に最悪なの?」
チェン先生は白衣からのぞくすらりとした足を組みかえて、訊いた。
「頭痛が続いていて、常に耳鳴りがします。熱っぽくって、ふらふらして、自分が真っ直ぐ立っているのかどうかさえ、わからなくなってしまいます。
目が落ち込み、血走って、喉は裂きたくなるほどカラカラに渇いていて、そして心臓が不規則に脈打ちます。
そんな風だから、いつもいらいらとしていて、何に対しても投げやりで、つい乱暴になってしまうんです。
そして、いま何よりも恐れていることは、現実と夢の境目がだんだんとわからなくなってきた、ということなんです。生物時計の歯車が完全に狂ってしまって、ぼくの身体からはリズムというものがすっかり奪われてしまったんです。時が区切れることなく、リセットされないままに、何もかもがいつまでもどこまでも果てしなく繋がって、流されていく――そんな感じです」
「まだ、あまり眠れないんだ?」
チェン先生はボールペンの先を彼女の尖った顎にトントンと当てながら、大きな瞳でぼくを見た。
「そうですね。でも、もっと正確に言えば、眠れないんじゃなくて、眠りたくない、というのが正しいところです」
「その――〈銀色の男〉がでてくる、からね?」
「そうです。彼はぼくが眠るのを、いまかいまかと手ぐすね引いて待っているんです。
ぼくの眠りが、彼にとっての活動のフィールドだから」
To be continued.
終末の唄_017
「ところで山本さん、この事件の模様が、何と偶然にも、ホームビデオに撮影されていたそうですね?」
「そうなんです。ある少年の親御さんが試合の様子をホームビデオに撮影していた、まさにそのときに、事件が起こったものですから」
「視聴者のみなさま、はい、これがその事件の一部始終が写された問題のビデオテープでございます。
それではこの貴重なスクープ映像の一部を、今回なんとテレビをご覧のみなさまに、お見せしたいと思います――」
「おいおい、テレビ局のやろう、何てことしやがるんだ」
と、真栄田刑事は苦虫を噛みつぶしたような表情で、言った。
真栄田刑事はそう言いながらも、テレビに映った手ぶれの激しいその映像をじっと見つめた。そして湯呑みに入ったすっかり冷めてしまったお茶を一口啜った。
ビデオの映像は事件が起きる瞬間のところで一旦途切れ、次にはもう、犯人のWが逮捕される映像になっていた。犯人がバットで殴打するシーンはあまりにもショッキングで、放送できそうにもないのでカットされたのだろう。
「いったいぜんたい、どうなっちゃってンだろうねえ、この世の中は? イヤんなっちゃうねえ、まったくよお」
キャスターとレポーターのやりとりのあと、そのビデオ映像がもう一度はじめから繰り返し映しだされた。
そのときだった。
真栄田刑事は身を乗りだしてテレビに見入った。
プラスティックの湯呑みが机から転げ落ち、床にお茶がこぼれた。それでも彼はテレビから目を離さなかった。
小さく遠く映っている観戦席の中に、黒いウィンドブレイカーを着て、フードを深々と被った、あのマスクの男が、確かにそこに映っていたのだ。
「ヤツだ。また、あの男だ……」
真栄田刑事はそう言いながら、背中にぞっと寒気を感じた。
次の日の宵、真栄田刑事は再び署の会議室でひとりでブラウン管を見つめていた。
彼は昨夜のニュースを見たあと、すぐにそのテレビ局へと走り、担当のプロデューサーを呼びつけて事件の捜査にどうしても参考にしたいと言って、例のビデオを借り受けたのだった。それもテレビで放送された短いものではなく、ダビング前のオリジナルを、だ。
それから真栄田刑事はもう何度見たのかわからないくらい、繰り返し繰り返しそのビデオを見続けていた。その中に映っているどんな小さな変化をも見逃さないように。
何度も何度もチェックした結果、マスクの男が映っていたのは、結局テレビで放送されたとき真栄田が男に気づいたその瞬間――事件が起きるちょうどその瞬間――の映像だけだった。
真栄田刑事はそのほんの数秒間のシーンを、リモコンの再生と巻き戻しのボタンを繰り返し押し続けながら注意深く検証した。けれど男の映像はとても小さく、フードを深く被っていたのでその表情などはまったくわからない。大きな白いマスクが判別できるだけだった。
彼は次に、スローモーションでそのシーンを見てみた。すると、小さな変化に気づくことができた。
事件が起きる瞬間、どうやら男はマスクを顎の下にずらしているように見えた。
急いで巻き戻し、今度はコマ送りで見てみる。やはり、右手でマスクをずらしている。
そして次の瞬間、真栄田刑事ははっとして、思わずビデオを静止させてしまった。
白く瞬くざらついた画面の中には、マスクの下から現れたとても人間とは思えない耳まで切り裂けた大きな赤い口が、映っていた。
To be continued.
「そうなんです。ある少年の親御さんが試合の様子をホームビデオに撮影していた、まさにそのときに、事件が起こったものですから」
「視聴者のみなさま、はい、これがその事件の一部始終が写された問題のビデオテープでございます。
それではこの貴重なスクープ映像の一部を、今回なんとテレビをご覧のみなさまに、お見せしたいと思います――」
「おいおい、テレビ局のやろう、何てことしやがるんだ」
と、真栄田刑事は苦虫を噛みつぶしたような表情で、言った。
真栄田刑事はそう言いながらも、テレビに映った手ぶれの激しいその映像をじっと見つめた。そして湯呑みに入ったすっかり冷めてしまったお茶を一口啜った。
ビデオの映像は事件が起きる瞬間のところで一旦途切れ、次にはもう、犯人のWが逮捕される映像になっていた。犯人がバットで殴打するシーンはあまりにもショッキングで、放送できそうにもないのでカットされたのだろう。
「いったいぜんたい、どうなっちゃってンだろうねえ、この世の中は? イヤんなっちゃうねえ、まったくよお」
キャスターとレポーターのやりとりのあと、そのビデオ映像がもう一度はじめから繰り返し映しだされた。
そのときだった。
真栄田刑事は身を乗りだしてテレビに見入った。
プラスティックの湯呑みが机から転げ落ち、床にお茶がこぼれた。それでも彼はテレビから目を離さなかった。
小さく遠く映っている観戦席の中に、黒いウィンドブレイカーを着て、フードを深々と被った、あのマスクの男が、確かにそこに映っていたのだ。
「ヤツだ。また、あの男だ……」
真栄田刑事はそう言いながら、背中にぞっと寒気を感じた。
次の日の宵、真栄田刑事は再び署の会議室でひとりでブラウン管を見つめていた。
彼は昨夜のニュースを見たあと、すぐにそのテレビ局へと走り、担当のプロデューサーを呼びつけて事件の捜査にどうしても参考にしたいと言って、例のビデオを借り受けたのだった。それもテレビで放送された短いものではなく、ダビング前のオリジナルを、だ。
それから真栄田刑事はもう何度見たのかわからないくらい、繰り返し繰り返しそのビデオを見続けていた。その中に映っているどんな小さな変化をも見逃さないように。
何度も何度もチェックした結果、マスクの男が映っていたのは、結局テレビで放送されたとき真栄田が男に気づいたその瞬間――事件が起きるちょうどその瞬間――の映像だけだった。
真栄田刑事はそのほんの数秒間のシーンを、リモコンの再生と巻き戻しのボタンを繰り返し押し続けながら注意深く検証した。けれど男の映像はとても小さく、フードを深く被っていたのでその表情などはまったくわからない。大きな白いマスクが判別できるだけだった。
彼は次に、スローモーションでそのシーンを見てみた。すると、小さな変化に気づくことができた。
事件が起きる瞬間、どうやら男はマスクを顎の下にずらしているように見えた。
急いで巻き戻し、今度はコマ送りで見てみる。やはり、右手でマスクをずらしている。
そして次の瞬間、真栄田刑事ははっとして、思わずビデオを静止させてしまった。
白く瞬くざらついた画面の中には、マスクの下から現れたとても人間とは思えない耳まで切り裂けた大きな赤い口が、映っていた。
To be continued.