『記憶はうそをつく!?』
久しぶりの映画でした

4Kレストア版として、35年ぶりに上映される、との情報がどこからかやって来て、
『懐かしい、これは観ないと❣』
と行ってきたのです
すごくよかった
乾いた土の空気感、
独特な赤色の夕景と
黄色い店の看板や魔法瓶
そして、“Calling You”の曲
主人公の心情や状況が
セリフやナレーションで
説明されるのではなく、
土埃や色合い、空などの背景映像や小物使い、効果的な曲、演者のちょっとした表情などの演出で表される。
自分がその土埃の中にいるような、夕景を前に立っているかのような
そんな錯覚に落ちる。
映画の中に入り込む、とはこんな感じ!?
切なくて温かくて、何とも言えない気持ちになった。
何度か勝手に涙も出た。
席を立つときにはすごく満たされていて、
ふんわりした気持ちのまま映画館を出た
帰り道では、
あの頃のことも蘇ってきて…
とはならなくて
なんでかな
なんで

こんにちは。
“バクダッドカフェ”、
20代の頃に配給。
どこの映画館だったかはわからないけど…
確かに
観た

えー?
それはないでしょー!?
タイトルと、あの看板、赤い夕景、土埃、CallingYouとか
記憶に残っているのに!
考えれば考えるほど、わからなくなった
今回観に行く前、
『懐かしいあの映画、30年以上も前なのか…』なんて思ったのはなんやったのか!?
『昔はパンフレット買ってないから、今回あったら買おう❢』
そう思ったのはなんだったのか!?
思い出そうとしたけど、
もう全然無理
なんとなーく、
レンタル屋さんで何借りようか悩んでる私。
タイトル見て、お店の人のおすすめの文章読んで…
っていうシーンが蘇るような…
いろいろ上乗せしたり、
間違ったこと覚えてたり。
記憶って、ほんとにいい加減なもんなんやな、と思う。
逆に、その時の匂いや色合いまで蘇ってきて、すごく色濃く残ってる記憶もあったりするんだけど←今回の映画もそっち側に入ると思ってたんだけどな
記憶って、なんなのやろうね
最近認知の大分鈍ってきた義父を見ててもすごく思う。いろいろ忘れていっているけど、話してる時は楽しそう。それはそれでいいのかな?と思ったり。ほんとに記憶ってなんなのやろう、どうなってるのやろうと思う。
このことはまた、今度書けたら。
以前、心屋のいろいろな講師の人たちが
“記憶は700%ウソ”
って何度も言ってた。
自分の経験の中にある素敵な事柄よりも特に嫌なことで。
例えば誰かに言われた言葉、されたことなど。
それらは、事実に上乗せされた記憶かもしれない。
事実を書き換えられたウソの記憶かもしれない。
そんなのに左右されて日々過ごしてるとしたら…
もったいないし残念だよね
記憶にはそんなカラクリもあるってわかっといた方がいいよね
って。
ちょうど最近、
終わったと思っていた過去のいろんなことをまた思い出して、苦しく辛い気持ちになっていたところなんだけど…
その記憶どうなん?
何か上乗せしてるんじゃない?
そもそもホントのことだった?
そう思うと…
そのことで今また辛い気持ちはウソじゃないけど…
どうかわからない記憶に
辛くなる必要ある?
考えてるうちに、よくわからなくなって、
そして、どうでもよくなった
知らない間に、
“辛い”と思ってたこと自体、どこかに行ってしまったようだ。
これは、消化?昇華?浄化?
なんか知らんけど、
終わったということか⁉️


映画の乾いた空気感と一緒に、
爆笑の自分の言動も覚えておきたいなーと思いました
そして、
『記憶って簡単にうそをつくのかも』
ってどこかに刻んでおこうと思いました

ご訪問後の発達あそびは、

反射の統合を進めると、
自分のよさや個性はそのままに、
らくに過ごせるようになります。
力を入れずにやることに向かえます。
《原始反射の考え》
《反射の統合ワーク》
お父さん、お母さん、子どもさん
学生さん、大人、社会人、営業マン
社長さん、先生…
私も家族も!
全人類に必要だなと感じる今日この頃です
子どもらを
本気で応援したい
それが今の私の一番の望み、願い
やりたいこと、です。
多くの子どもたちが、
自分らしさを生かして、
自分のやりたいことを見つけて、
その思いにまっすぐに進めるように
いろいろな経験をして紆余曲折しながらも(しなくてもいい)、
自分の思いを見つけて、
そこに進もうと思えるように、
動けるように


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