第1537回('22) 相鉄本線の駅を降り鉄して京浜東北線で東京へ | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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前回の続き…
 
2022年12月29日~2023年1月1日、年末休暇は3泊4日の日程で首都圏と名古屋近郊を乗り鉄・降り鉄(駅訪問)しました。新型コロナウイルス流行の第8波真っ最中でしたが、既にワクチンを4度接種していたこともあり、今回も感染対策を徹底して旅行を楽しみました。
 
今回は2日目(12月30日)終盤の内容です。
午後は相鉄本線の鶴ヶ峰駅、星川駅、平沼橋駅を降り鉄しました。中でも鶴ヶ峰駅は地下化の計画があり、工事が始まる前に訪問したかった駅です。そして横浜駅では京浜東北線に乗り継ぎ、リベンジ訪問の新子安駅に立ち寄って東京へと戻り、この日の乗り鉄を終えました。日没後は東京在住の弟と食事をして、鶯谷で宿泊しました。
  
今回の日程  2022年12月30日  (金)    【その3】    
  
西谷1418(相鉄本線・快速)1420鶴ヶ峰1446(上り快速)1452星川1528(各停)1533平沼橋1554(各停)1556横浜1608(京浜東北線)1613新子安1629(各停)1651品川1653(山手線外回り)1717高田馬場1720(西武新宿線)1753武蔵関1904(上り準急)1918高田馬場1923(山手線外回り)1943上野1945(山手線内回り)1947鶯谷      
  
【宿泊】       
 
武蔵小杉駅から相鉄・JR直通線の特急・海老名行きに乗り、西谷駅で下車しました。西谷駅は訪問済みなので駅の外には出ず、特急から隣で待避していた快速・海老名行き(西谷から先は各駅に停車)に乗り継ぎました。車両はもはや古参の部類となる9000系10連で、乗り込んだ最後部車両はほぼ満席だったのでドア脇へ。道中は今後地下化されると見られなくなる車窓風景を眺めて、1駅目の鶴ヶ峰駅で下車しました。相対式ホーム2面2線で、前方の海老名方に橋上駅舎が鎮座しています。駅前は南口側が一部再開発されており、タワーマンションがそびえていましたが、北口側は再開発が遅れており、駅前の狭い路地に沿って商店街が形成されています。しかも通行人が多かったです。現状はバスターミナルも約250m離れた北西に設置せざるを得なかったようです。地下化されると北口の駅前風景も一変するかもしれませんが…。
 
 

 

 
時間の関係もあり、鶴ヶ峰駅からは横浜方面へ戻ります。再入場して、14時46分発の上り快速・横浜行きに乗車。車両は相鉄・JR直通線用に導入された12000系で、自社線内運用にも就いています。乗り込んだ最後部車両は空いていました。私は着席して、水分補給をしながら車窓風景を眺めました。西谷駅では下車せずそのまま乗り続け、私は星川駅で下車しました。新しい高架駅で、2018年に上下線とも高架化されました。2面4線を有し、高架下に駅舎があります。私の訪問時は高架下で商業施設「星天qlay」の建設工事をしていました(翌2023年2月に部分開業)。正面口に相当する南口駅前は小さなビルや戸建て住宅が多く、反対側の北口駅前は目の前を流れる帷子川の対岸に大きなビルやマンションが建ち並ぶ新しい市街地が形成されていました。保土ケ谷区役所もこの市街地にあります。
 
 

 

 
星川駅では15時28分発の各駅停車・横浜行きに乗りました。車両は相鉄・東急新横浜線を経由の上、東急目黒線や地下鉄各線への直通に対応した21000系8連で、最後部車両は空いていたため私は着席しました。道中は車窓風景を眺めて過ごし、次に下車したのは平沼橋駅でした(15:33着)。平沼橋駅はJRとの並走区間にある小さな駅で、島式ホーム1面2線です。ちなみにJR線には駅がありません。この手の駅はホームが狭いのが定番ですが、思ったより広かったです(それでも他の駅と比較すると狭いですが)。海老名方には橋上駅舎があり、駅前は市街地で横浜駅西口エリアも徒歩圏内です。しかし横浜駅に近いゆえ乗降客数は少なく、この現象は他のターミナル隣駅と共通です(例:西新宿駅、北池袋駅)。 
 
 

 

 
平沼橋駅からは15時56分発の各停・横浜行きに乗車しました。車両は相鉄・東急新横浜線を経由の上、東急東横線方面への直通に対応した20000系10連で、最後部車両はガラガラでした。私は着席しました。発車後、落ち着いて景色を眺める間もなく、電車は終点の横浜駅に到着しました。下車後は勝手口のような五番街口から出場し、繁華街を歩いてJR駅へと移動しました。
 
 

 
横浜駅からは東京方面へ戻るとしますが、一つだけ立ち寄る場所があるため、乗車したのは京浜東北線でした。16時08分発の各停・大宮行きに乗車。E233系10連で、最後部車両は車内が空いていたものの、確実に車窓風景を眺めるため、私はドア脇に陣取りました。そして5分後に到着した新子安駅で下車しました。新子安駅は2020年に訪問済みでしたが、北側の駅前風景写真が不足していたため、それを撮影するためリベンジ訪問しました。日がだいぶ傾いていましたが、まだ明るかったので撮影できました。 これにてリベンジ完了です。
 
 

 

 
新子安駅からは改めて東京へ戻るのですが、この日は18:00から東京在住の弟と食事の約束をしていたため、集合場所の武蔵関駅へ向かうこととします。乗車したのは16時29分発の各停・大宮行きで、今度は先頭車両に乗り込みましたが空いていたので着席しました。段々暗くなっていく道中、私は車窓風景を眺めながらスマホを操作していました。また、都内に入って北側に出入口がある大森駅や大井町駅では多くの乗車客があり、車内は立客が多くなってきました。そして私は16時51分に到着した品川駅で下車しました。
 
 

 
品川駅では同じホーム反対側に到着した山手線外回り電車(E235系11連)に乗り継ぎました。長い列の最後尾から乗車したため、私は最後部車両で立席となりました。何とかドア脇は確保できましたが…。道中はすっかり暗くなった外を眺めていましたが、原宿駅で席が1人分空いたため、すかさず着席して、以後はスマホを操作していました。私が下車したのは新宿駅の2駅先、高田馬場駅でした。
 
 

 
高田馬場駅では橋上階の乗換改札を経由して西武線ホームへと移動し、すぐに入線してきた17時20分発の西武新宿線下り各駅停車・拝島行きに乗り換えました。30000系8連で、最後部車両にて着席しました。後続の乗客も次々と空席に座り、発車時点で満席となりました。武蔵関駅へは後続の急行に乗って上石神井駅で各停に乗り換えた方が早いのですが、急行は混雑しますし、まだ時間に余裕もあったので、着席できる可能性が高い各停での移動を選択した次第です。ここでも道中はスマホを操作して過ごしました。停車駅ごとに乗客が減少していきました。そして武蔵関駅には定刻より2分遅れの17時53分に到着しました。
 
 

 
到着後は弟と落ち合い、駅前の「らあめん花月嵐」で食事をしました。弟の仕事の都合で、1時間程度で解散しました。
 
 

 
武蔵関駅へと戻り、あとは宿泊先の鶯谷を目指すのみです。まずは武蔵関駅19時04分発、上り準急・西武新宿行きに乗車しました。2000系2連+8連で、私は最後部車両に乗り込み、座りましたが、車内は空いていました。道中はスマホをひたすら操作していました。そして19時18分に到着した高田馬場駅で下車しましたが、この準急は武蔵関駅からですと急行とほぼ変わりない便利さです。以前よく利用していた各停しか停車しない上井草駅より、準急停車駅である武蔵関駅の方が利便性が高いですが、都心方面からの運賃は当然、距離が近い上井草駅の方が割安になります。
 
 

 
高田馬場駅では19時23分発の山手線外回り電車に乗り継ぎました。E235系11連で、乗り込んだ先頭車両は運良く空席があったため着席しました。車内は常に満席プラス若干の立客がいる状態で、私はここでもスマホを操作していましたが、巣鴨付近で急に睡魔に襲われ、いつしか眠ってしまいました…。そして目が覚めたのは鶯谷駅……ではなく、1駅先の上野駅到着時でしたwww 1駅寝過ごしてしまいました…orz 私は急いで下車しました(19:43着)。
 
その後すぐに内回りホームへと移動し、19時45分発の電車(E235系11連)に乗りました。最後部車両は半分ほど空席がありましたが、もう寝過ごすわけにはいかないので、意図的にドア脇での立席を選択しました。道中はしばし夜景を眺め、次駅の鶯谷駅で無事下車しました(19:47着)。
 
 

 
鶯谷駅下車後は駅を出て、コンビニで買い出しをしてから駅前のホテルへチェックインしました。すぐに入浴を済ませて、部屋でテレビを観ながらスマホを操作してくつろいでいましたが、まだ眠りが足りなかったのか、22時までに寝落ちしていました…。
 
翌日もまだまだ乗り鉄・降り鉄を楽しみました。
 
 
(つづく)
 
 
今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません  
 
 
(参考:Wikipedia)