第1526回('22) 仙台市内を乗り鉄・降り鉄して新幹線で一気に帰宅 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。


 
前回の続き…
 
2022年9月17日~18日、三連休を利用して乗り鉄・降り鉄旅行へ出かけました。目的地は東日本でした。
しかし、本来は2泊3日の日程だったのですが、今回も台風14号の接近・上陸により予定変更を余儀なくされ、結果1日短縮せざるを得ない状況に追い込まれました。
台風の接近は分かっていたのですが、予報では最終日に台風14号が本州直撃との事だったので、1日短縮の上で乗り鉄旅行を強行しました。新型コロナウイルスの流行は落ち着いていましたが、もちろん対策をしながらの旅になりました。
 
今回は最終2日目、9月18日後半の内容です。
仙台駅到着時、台風14号の直接的影響はまだありませんでした。2時間ほどのフリータイムを使い、仙台駅周辺の駅を降り鉄しました。
そして最後は東北新幹線と東海道・山陽新幹線を乗り継いで家路を急ぎました。台風が来なければもう1日乗り鉄できたのですが…。まぁ自然には勝てませんし、仕方ありません。            
  
今回の日程  2022年9月18日  (日)   【後半】     
  
仙台1245(仙山線)1248東照宮1305(普通)1307北仙台1359(仙台市地下鉄南北線)1405仙台1457(東北新幹線・はやぶさ26号)1632東京1703(東海道山陽新幹線・ひかり521号)2020西明石2029(JR神戸線・新快速)2039加古川                     
  
【帰宅】        
   
常磐線の特急『ひたち』で仙台駅到着後は、少しだけ仙台市内の降り鉄をします。改札を出ずに1番線から7・8番線へと移動し、12時45分発の仙山線下り普通・愛子(あやし)行きに乗車しました。E721系の4両貫通編成で、私は最後部車両のボックスシート進行方向窓側席に座りました。愛子止まりだからなのか乗客は少なく、発車時点でも空席が多く残っていました。
 
 

 
道中は車窓風景を楽しんで、次駅の東照宮駅にて下車しました。
 
 

 
東照宮駅は単式ホーム1面1線で、なぜか盛土高架上にホームがありましたが、ホームから周囲を眺めて納得しました。不自然なカーブを描く道路があったため、「もしや」と思って後で調べたら、やはりホーム部分で1951年に廃線となった、北仙台と西古川(陸羽東線)を結んでいた仙台鉄道線(ナローゲージの非電化私鉄)をオーバークロスしていました。この南側に仙台鉄道の駅がありましたが、仙山線に東照宮駅ができたのは仙台鉄道線の部分休止から37年が経過した1988年で、両路線の駅が併存したことはありません。また、山形方に小さな駅舎があり、業務委託駅(有人駅)ですが昼休み中で駅員不在でした。駅前が工事中で、一時的に出入口の場所が変更されていました。駅前は住宅街で、北側には仙台東照宮が鎮座していますが、時間がなくて参拝できませんでした。
 
 

 

 
東照宮駅からはもう1駅進みます。乗車したのは13時05分発の普通・山形行きで、E721系4連でした。山形まで直通するからなのか乗客が多く、乗り込んだ最後部車両は半分以上の席が埋まっていました。私はすぐに下車するので着席せずドア脇に立ちました。道中はしばし車窓風景を眺めて過ごし、次駅の北仙台駅で下車しました。中心市街地北端部に位置する島式ホーム1面2線の駅で、南側に1929年の開業時以来ずっと現役の駅舎が鎮座しています。駅前はマンションが建ち並ぶ市街地ですが、商店はあまり多くありませんでした。また、仙台市地下鉄南北線の駅は最も近い出入口でも少し離れていて、雨の日は傘を差さないと乗り換えできません。
 
 

 

 
北仙台駅からは、その地下鉄南北線に乗って仙台駅へ戻るとしますが、その前に地下鉄駅の全出入口を撮影しました。JR線の南北に出入口がありますが、再開発されている北側に駅前広場とバスターミナルがあります。北側の出入口から地下へと入り、利用可能な『Suica』で改札を通りました。そしてホームを観察・撮影してから13時59分発の富沢行き電車に乗車しました。車両はファジィ制御を採用したことで有名な1000N系(1000系のリニューアル編成)4連で、乗り込んだ最後部車両は大半の席が埋まっていました。私は空席に座り、道中はスマホを操作しつつ各停車駅のホームを観察しながらの移動となりました。そして6分の乗車で仙台駅に到着しました(14:05着)。北仙台~仙台間は日中時間帯、JRが毎時3本、地下鉄が毎時8本と本数では地下鉄の圧勝ですが、所要時間はJR6~7分、地下鉄6分と互角、IC運賃はJRが189円、地下鉄が250円と、運賃面ではJRの圧勝です。出費を抑えたい人はJR、早く移動したい人は地下鉄、といった感じでしょうか。
 
 

 
仙台駅到着後は撮影をほどほどにして、地上にあるJR線の仙台駅へと移動しました。まだ全国旅行支援が始まっていませんでしたが(10月11日開始)、駅構内はイベントが開催されていたこともあり、もの凄い人でした。私は指定席券売機へと直行して東北新幹線の東京までの新幹線指定席特急券を購入しました。
 
 

 
その後は少し休憩してから新幹線ホームへと上がり、14時57分発の『はやぶさ26号』東京行きに乗車しました。新青森始発で、盛岡駅で『こまち』号と併結していない単独編成です(E5系10連)。全車指定席で、私は指定された先頭1号車の3人掛け窓側A席に腰掛けました。私の隣席B席とC席には誰も座りませんでしたが、窓側席は全て埋まっていて、半数はグループ客だったので通路側席もほどよく埋まっていました。
 
 

 
道中は久しぶりの乗車となる東北新幹線の車窓風景を眺めていました。まだ天気は持っていましたが、どんよりとした曇り空でした。福島県内に入っても景色を見続けていましたが、郡山駅を通過後は睡魔に襲われ、不覚にも寝落ちしてしまいました……。そして目が覚めたのは小山駅通過直前で、それ以降は二度寝することはありませんでしたw 大宮駅では3割ほどの乗客が下車し、200系デビュー時風の塗色になっているE2系留置されていた地下駅の上野駅でも2割ほどが下車しました。そして秋葉原付近で地上に出ると、仙台からわずか1時間35分で終点の東京駅に到着しました(16:32着)。もう東京は雨が降っていました。
 
 

 
東京駅では一旦改札を出て、これにて僅か1日で『週末パス』の使用を終えました…。そして東海道・山陽新幹線の時刻を確認してから西明石駅までの自由席特急券を購入し、あらかじめ購入していた『東京都区内→加古川』の往復乗車券(かえり券)と一緒に自動改札機へ投入して東海道・山陽新幹線ホームへと向かいました。そして17時03分発の『ひかり521号』岡山行きに乗車しました。JR西日本所属のN700A・F20編成で、私は先頭1号車自由席の窓側E席で着席しました。東京発車時点で全ての窓側席が埋まっていましたが、通路側席は空きが多かったです。
 
 

 
『ひかり521号』は定刻に東京駅を発車し、雨の中を走ります。私は車窓風景を眺めつつ、お腹が減ってきたので東京駅で購入した駅弁「深川めし」(980円)を食べました。美味しかったです。
 
 

 
列車は品川、新横浜と停車していき、ほぼ満席になりました。私の隣D席にも男性客が着席しました。食後も車窓風景を眺めていましたが、雨のため視界が効かず、また夕方の時間帯であったため段々と暗くなってきました。富士山は見えるはずもありませんでした…。その富士山付近を過ぎると再び睡魔に襲われ、静岡到着時から寝たり起きたりの状態が続きました…。私の隣席の客は浜松駅で下車し、浜松駅を過ぎると乗客も減り、やや落ち着いてきました。そして外は完全に暗くなり、車窓風景は望めなくなりましたが、豊橋駅を通過した直後、私は完全に眠ってしまいました…。そして目が覚めたのは京都駅停車中で、乗客がさらに減っていました。その後はスマホを操作しながら2度寝しないように頑張り、何とか予定通り西明石駅で下車できました(20:20着)。西明石駅で結構な数の乗客が下車したため、車内はガラガラになっていました。また、雨は止んでいました。
 
 

 
西明石駅では在来線ホームへと移動し、20時29分発のJR神戸線下り新快速・播州赤穂行きに乗り継ぎました。223系8連+4連で、223系を見ると「もう旅行は終わりか~」と感じました。私は先頭車両の空いている転換クロスシート窓側席に座りましたが、車内を見回すと多くの席が埋まっていました。ここでも道中は眠らないようにスマホを操作し続け、眠ることなく20時39分に到着した加古川駅にて下車できました。
 
 

 
加古川市も雨が止んでおり、また風も強くありませんでした。下車後はとっとと帰宅し、1泊2日に縮小した東日本乗り鉄旅行が終わりました。
翌日(9月19日月曜日、敬老の日)は台風14号が日本列島を縦断し、大荒れの天気でした…。家でじっとしていました。
三連休に台風が来る不運に見舞われましたが、自然現象には逆らえません……。
 
 
(つづく)
 
 
今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません   
 
 
(参考:Wikipedia)