第1521回('22) ついに飯田線の全駅を制覇! | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。


 
前回の続き…
 
2022年夏は、5週連続で乗り鉄・降り鉄を実行しました。
最後とな5週目はお盆休みで、8月11日~14日の3泊4日の日程で、関東地方と東海地方の乗り鉄・降り鉄を実施しました。新型コロナウイルス感染の第7波の真っ最中でしたが、3回目のワクチンを打っていた私は感染対策を徹底した上で今回の旅行を敢行しました。
関東地方では近年中に6両編成から5両編成に短縮され、それに伴いホームの立入禁止エリアが増加すると思われる東武アーバンパークライン(東武野田線)の降り鉄が中心になり、東海地方では飯田線の全駅訪問へのチャレンジをいたしました。
また、全体的に天候には恵まれたものの、3日目には台風8号が東海地方と関東地方を襲ったため、予定変更を余儀なくされました。
 
今回は最終4日目、8月14日前半の内容です。
この日は早朝に豊橋駅をスタートして、飯田線の愛知県内未訪問駅を次々と降り鉄していきました。そして昼過ぎの東新町駅訪問をもちまして、飯田線の全94駅の訪問を完了しました。
飯田線は駅数が多い上、列車本数が少ないために、全駅制覇まで時間がかかりました…。
尚、今回は『青春18きっぷ』を使用して駅巡りをしました。
  
今回の日程  2022年8月14日  (日)   【前半】   
  
豊橋600(飯田線)707三河槙原741(上り普通)747三河大野831(普通)851茶臼山906(下り普通)932本長篠937(上り普通)948三河東郷1024(普通)1047東上1109(下り普通)1118新城1140(徒歩・昼食)1220東新町1246(飯田線・上り普通)1323豊橋    
  
【後半へ続く】     
     
この日は4時30分に起床し、前日にコンビニで購入したおにぎりを食べてから「ホテルルートイン豊橋駅前」をチェックアウトしました。「ホテルルートイン」はチェーン店の中でも朝食が豪華で、チェックイン時に朝食券も貰っていたのですが、残念ながらこの日は早朝スタートだったので朝食が食べられませんでした。もったいなかったですが、実際は豊橋でホテルを探した際、ルートインしか空室がなかったため、朝食ロスを承知で宿泊した次第でした。ちなみに予約が遅かったからかどうかは分かりませんが、宿泊した部屋はツインルームのシングルユースでした。
 
 

 
チェックアウト後は豊橋駅へと向かいました。前日は台風8号に襲われましたが、この日乗車する飯田線は平常通りの運転とのことで、ホッとしました。また、天気は曇りで、台風一過の晴天とはいきませんでした。入場時に有人通路で『青春18きっぷ』の5回目のスタンプが押され、4番線ホームへ。しばらく待っていると5時50分頃に6時ちょうど発の飯田線下り普通・天竜峡行きが入線しました。ワンマン運転対応の313系3000番台2連で、私は後部車両に乗り込み、ボックスシートの進行方向窓側席を確保しました。半分ほどの席が埋まり、地元客と帰省客・旅行客が半々といった感じだったのですが、中には部活の遠征に出かける高校生が大勢いました。高校生は相席を嫌う傾向があり、半数ほどはドア付近で立っていました。
 
 

 
天竜峡行きは定刻通りに豊橋駅を発車し、名鉄との共用区間にある、短距離列車しか停車しない船町駅と下地駅にも停車して天竜峡駅を目指します。途中の豊川駅では一定数の乗降がありましたが、その他の小駅は乗降とも少なく、ゼロの駅も多かったです。また、地元客の大半や部活の高校生たちは新城駅までに下車してしまい、車内は帰省客・旅行客ばかりになりました。お盆休みなので『青春18きっぷ』を使用している乗客もいるかもしれません。新城駅から先はローカル度が濃くなり、本長篠駅を過ぎると山間部へと入っていき、宇連川の谷を走るようになります。飯田線らしい景色になってきて旅情が湧いてきましたが、それに浸る間もなく、私は7時07分に到着した三河槙原駅で下車しました。この時点で私は三河槙原駅より先、柿平駅~辰野駅の全駅を訪問済みだったので、豊橋駅から見て最も遠い未訪問駅である三河槙原駅を最初の訪問駅に選びました。この後は豊橋方面へ戻りつつ降り鉄をしていく予定です。
 
 

 
三河槙原駅は山間部にある1面2線の無人駅で、北側に比較的新しい簡易駅舎があります。駅前は小さな集落があるのみで、北側一帯の山地は愛知県民の森になっていて、当駅が最寄駅です。また、「槇原」と聞いて、地元愛知県出身の元プロ野球選手・槙原寛己氏や、シンガーソングライターの槇原敬之氏を思い出しましたw
 
 

 
前述の通り、三河槙原駅からは豊橋方面へと折り返します。この日はもうこれ以上山奥の駅を訪問できないと思うと、何だか寂しくなってきましたが、仕方ありません。乗車したのは7時41分発の上り普通・豊橋行きで、遠くないうちに廃車になる運命にある213系2連でした。私は後部車両に乗り込みましたが、ガラガラでした。転換クロスシート窓側席に座り、宇連川の渓谷や湯谷温泉街などの車窓風景を眺めて道中を過ごし、2駅目の三河大野駅で下車しました。三河大野駅は1面2線の無人駅で、斜面の途中にある地平駅です。駅舎は地下道を通った先の東側崖下にあり、山小屋風のデザインになっています。駅前は閑散としていましたが、東へ延びる国道151号を通って宇連川を渡ると、大きな集落が控えていました。
 
 

 

 
三河大野駅では8時31分発の普通・豊橋行きに乗車。213系2連で、後部車両は乗客が誰もおらず貸切状態でした。私は転換クロスシート窓側席に座り、しばし車窓風景を眺めて過ごしましたが、少しずつ沿線の山の高さが低くなり、また少しずつ遠ざかっていくのが見て取れました。誰もいなかった車内も、鳥居駅からは少しずつ増えてきました。そして新城市中央の平野部を走るようになり、沿線に住宅が増えてくると電車は茶臼山駅に到着し、私は下車しました(8:51着)。茶臼山駅は1面1線の小駅で、北側に1990年代風のデザインをした簡易駅舎が鎮座しています。駅前は住宅地が広がっています。尚、駅名の由来ですが、Wikipediaの本文を引用すると、『駅名にある「茶臼山」は、長篠の戦いにおいて織田信長が陣取った茶臼山本陣があったことによるものであり、愛知・長野県境にある茶臼山(愛知県最高峰で、スキー場もあります)との関連はない』との事です。
 
 

 

 
茶臼山駅からは、一旦辰野方面へ戻ります。9時06分発の下り普通・天竜峡行きに乗車しました。213系2連で、この列車は名古屋地区からは普通列車のみで乗り継げる列車で、東京や大阪からでも新幹線を使えば乗車可能な列車なので、帰省客や『18きっぷ』などを利用した旅行客で乗車率が高くなっており、クロスシート窓側席が全て埋まっていました。まぁ私は長距離乗車ではありませんのでクロスシートにはこだわらず、最後部のロングシートに腰掛けて、水分補給をしながらこの日3度目となるこの区間の車窓風景を楽しみました。途中駅での乗降はほとんどありませんでしたが、大海駅では女性客2名の降車時精算に手間取ってしまい、遅れが発生してしまいました。実はこの次に訪問する本長篠駅は滞在時間が8分しかないため、私は焦りました。飯田線をはじめ、ローカル線を乗り鉄する際は精算による遅れも頭に入れておいた方が良いでしょう。精算遅れは鉄道事業者の合理化による影響が主要因であり、一概に未精算の乗客を責めることはできませんが、乗客側も早いうちに精算してくれたら有り難いです。大海駅より先の各駅は乗降がなかったため幾らか遅れを回復しましたが、それでも本長篠駅に到着したのは3分遅れの9時32分でした。私はここで下車しました。
 
 

 
本長篠駅では9時37分当駅始発の上り普通・豊橋行きで引き返すのですが、本長篠駅へ来た目的は、前回7月に訪問した際に撮影できなかった駅舎内の待合室の写真撮影のみでした。そのため、天竜峡行きを下車後は大急ぎで駅舎へと向かい、待合室を撮影してすぐに豊橋行き電車に乗り込みました。列車が遅れて焦りましたが、無事に撮影できてホッとしました。
 
 

 
本長篠駅から乗車した豊橋行きは313系3000番台2連で、乗り込んだ後部車両は乗客が私だけでした。先頭車両にも乗客が2人しかいませんでした。電車は定刻に本長篠駅を発車し、私はこの日4度目となるこの区間の車窓風景を楽しみましたw 次の長篠城駅では2両目に乗車客があり、その後も少しずつ増えてきましたがガラガラ状態には変わりありませんでした。そして私は新城市中央部の平野部に入った地点にある三河東郷駅で下車しました。三河東郷駅は島式ホーム1面2線で、南側にコンクリート打ちっぱなしの簡易駅舎があります。駅前はややローカルな住宅地で、南東側は勝楽寺の境内で森に覆われていました。また、駅北側にはプラスチック成形メーカー「本多プラス」の本社と本社工場があり、ロゴマークが特徴的で、つい見入ってしまいました。
 
 

 

 
三河東郷駅からは10時24分発の普通・豊橋行きに乗車。213系2連で、後部車両は空いていました。私は転換クロスシート窓側席に座り、道中は車窓風景を眺めて過ごしました。新城駅では乗車率が上がりましたが、それでも窓側席の空席が残っていました。その後もしばし車窓風景を楽しみ、今度は10時47分に到着した東上駅で下車しました。2面2線でホームは狭く、南側にコンクリート打ちっぱなしの簡易駅舎があります。駅周辺は農村地帯で、駅南側に集落が形成されています。
 
 

 

 
東上駅からは、もう一度辰野方面へ戻ります。乗車したのは11時09分発の下り普通・岡谷行きで、313系3000番台2連でした。飯田線を走破する列車なので予想はついていましたが、後部車両に入るとまぁほぼ全席が埋まっていました。明らかに地元客より大きな荷物を持った旅行客や帰省客の方が多く、俗に言う私と同じ「18きっぱー」も多かったと思われます。これで私も飯田線を乗り通すならガッカリなのですが、幸いにも(?)短距離乗車なので後部ドア脇に陣取りました。道中はしばし車窓風景を眺めて過ごし、2駅目の新城駅で下車しました。新城駅は前年1月にも訪問したのですが、その時はバリアフリー化工事中で、跨線橋が改築中のため使用できず、代わりに辰野方の端に仮設の構内踏切が設けられていましたが、今回訪問時は新しい跨線橋が完成しており、エレベーターが新設されていました。駅舎は旧態依然としていましたが、2021年時点で改良工事中だった駅前広場は新しくなっていました。駅前は市街地ですが、多くの地方都市と一緒で空洞化が進行している印象でした。
 
 

 

 
新城駅下車時点で、残る飯田線内未訪問駅は1駅辰野方にある東新町駅のみとなりましたが、新城駅と東新町駅の距離は営業キロベースで1.0kmと近いため、列車本数が少ない事もあり徒歩で移動することにしましたが、お昼時なので、途中で昼食をとります。新城駅を出て東へ進みますが、すぐに飯田線の踏切を渡って北へ歩き、7~8分でユニー系のスーパー「ピアゴ新城店」に着きました。そして店内フードコートに入居している「スガキヤ」で、「冷たいスガキヤラーメン」(460円)を食べました。東海地方では大抵のショッピングセンターに「スガキヤ」が入っていて、ご当地のソウルフードになっています。東海4県を除くと近畿の滋賀、京都、大阪、兵庫の4府県にしか店舗がありません。私の地元・兵庫県にも以前はそこそこの数の店舗がありましたが、近年になって一斉撤退してしまい、今では尼崎市に2店舗があるのみです。また、「スガキヤ」で食事をすると最後に甘味(デザート)を頂くのですが、今回は時間の関係でそれができませんでした…。
 
 

 

 
昼食後は店を出て、暑い中を東へ10分少々歩くと東新町駅に到着しました。飯田線は路線距離の割に駅数が多く、その結果、隣駅間を徒歩移動可能なケースが多々見られます。そのおかげで、飯田線の降りつぶし時は列車本数が少ない閑散区間であっても同じ日に一定数の駅を訪問する事ができました。
また、今回の東新町駅訪問をもちまして、飯田線の全94駅を制覇できました! 特に前年からは何度も足を運んで集中的に駅訪問して、ようやく達成できました。ただ、列車ではなく徒歩で東新町駅入りしてしまったのが自分の中ではちょっと複雑な気分でしたがw
東新町駅は1面1線の駅で、南側に新しい駅舎があります。簡易委託駅で、出札窓口があります。私が列車を待っている間もぱらぱらと人が増えていたため、簡易委託駅を維持できるだけの一定数の乗降客がいるようです。
 
 

 

 
これで飯田線の駅訪問を終えて、東新町駅から豊橋駅へ戻るとします。乗車したのは12時45分発の上り普通・豊橋行きで、到着が1分遅れでした。213系2連で、乗り込んだ最後部車両は空いていました。私は転換クロスシート窓側席に座り、車窓風景を眺めながらの道中になりました。停車駅ごとに乗客が少しずつ増加し、豊川発車時点で半分以上の席が埋まりました。そして小坂井駅を過ぎると平井信号場から名鉄との共用区間に入りましたが、この列車は中部天竜始発の長距離列車だったので下地駅と船町駅を通過しました。そして、定刻の13時23分に列車は終点の豊橋駅に到着しました。いつの間にか遅れは回復していました。これで飯田線とはお別れで、次訪問するのはどこかの駅が大幅に変化した場合や、飯田線を通しで乗り鉄したくなった時でしょう。
 
 

 
まだ13時台です。帰宅する前に、まだまだ乗り鉄・降り鉄をしていきました。
 
 
(つづく)
 
 
今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません    
 
 
(参考:Wikipedia)