第1469回('21) 年末は関東を乗り鉄。新幹線で東京入りして、京浜東北線の埼玉県内駅を降り鉄 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。


 
2021年12月29日~2022年1月1日、年末年始の長期休暇は年またぎの3泊4日の日程で関東地方と東海地方へ乗り鉄&降り鉄の旅に出かけました。
年末の3日間は主に東京近郊の駅を訪問していき、大晦日の夕方に豊橋へと移動。最終日の元日は飯田線の降り鉄をして帰宅しました。
『青春18きっぷ』は使用せず、その地域や鉄道会社のフリーきっぷや1日乗車券を適宜使用していきました。
さらに、新型コロナウイルスは12月下旬になって変異株のオミクロン株が拡大傾向でしたが、まだ感染状況が落ち着いていました。年明けに爆発的に拡大したのですが…。私自身は8月下旬から9月上旬にかけてワクチンを2度接種しましたが、今までと変わらずマスク・手洗い・アルコール消毒といった感染対策を徹底いたしました。
尚、29日~31日の模様につきましては、都合により1日の行程を4回に細かく分けて記事にしました。移動の状況がつかみにくいと思いますが、ご了承下さい。
 
今回は初日午前中の内容です。
早朝に兵庫県・加古川を出発して、新幹線で一気に東京へと移動しました。東京駅では上野東京ラインの高崎線直通列車に乗り換えて浦和駅まで行き、さらに京浜東北線北行電車に乗り換えて北浦和駅から1駅ずつ下車していきました。
 
今回の日程 2021年12月29日  (水)   【その1】   
 
加古川517(JR神戸線)533西明石601(山陽新幹線→東海道新幹線・のぞみ80号)901東京909(上野東京ライン→宇都宮線)933浦和943(京浜東北線北行)945北浦和1016(各停)1018与野  
  
【その2へ続く】  
 
この日も4時に起床して、朝食を済ませてから自宅を出発して加古川駅へ。寒波は緩んでいたのですが、外は寒かったです。少し前に寒波がやって来て、滋賀県彦根市付近で大雪に見舞われたため、東海道新幹線にどれだけ遅れが発生するかが心配でした。
加古川駅では事前に購入していた『加古川→東京都区内』の往復乗車券(ゆき券)を自動改札機に通して入場し、JR神戸線の上り一番列車である5時17分発の普通・米原行きに乗車しました。この日はまだ平日ダイヤでした。車両は223系8連で、土休日の一番列車が12連なのに対して短いです。私は最後部車両に乗り込みましたがほぼ満席で(通勤客も一定数いました)、しかも平日ダイヤゆえ補助席がロックされて使えないため、一番後ろのドア横での立席を選択しました。まだ暗いので車窓風景を望めず、道中はスマホを操作していました。途中停車駅では一方的に乗客が増え、大久保発車時点で立客が結構いました。そして私は5時33分着の西明石駅で下車しました。
 
 

 
西明石駅では山陽新幹線ホームへと移動し、6時01分発の当駅始発上り『のぞみ80号』東京行きに乗り継ぎました。N700AのJR東海所属G編成16連で、私は1号車自由席に乗り込みました。私はドア扱い開始直後に乗り込んだため希望通りの窓側E席に座れましたが、発車間際には半数以上のE席が埋まり、一部の3人掛け窓側A席にも着席した人がいました。前年以降のコロナ禍においては西明石発車時点で5人いれば多い状態でしたが、この日はコロナが比較的収まっていたためか、乗客が多かったです。
 
 

 

 
『のぞみ80号』は定刻に西明石駅を発車しました。まだまだ暗いのでスマホを操作していましたw 車内放送では、雪の影響により京都~名古屋間で速度を落として運転する旨の説明がありました。どれだけ遅れてしまうのか気になりました…。  新神戸駅では1号車に数人が乗り込み、新大阪駅では女性を中心に数人が乗り込んできました。その結果、E席は埋まりました。京都駅で乗ってきた人たちは空いているA席に着席していき、A席も空きがなくなり、まぁまぁの乗車率になりました。京都発車後は滋賀県に入り、ようやく明るくなってきたので外の景色を眺めましたが、大津付近はまだ雪が見られません。琵琶湖対岸の比良山などは冠雪していましたが…。草津、守山、野洲になっても雪が見られず、しかも近江八幡付近でも積雪が見られなかったため、大丈夫かも…と思いましたが、それもつかの間、近江鉄道八日市線と交差してすぐ田んぼの片隅に白い雪が現われ、1分も経たないうちに積雪が増えてきて、近江鉄道・五個荘駅付近では銀世界になっていました…。そして電車はスピードダウンして、速度を落として運転する車内放送が入りました。車内は静まり返り、スプリンクラーの音がひたすら響き渡りました。彦根付近になると雪国の風景となり、道路を走る自動車もほとんど見られませんでした。しかも雪が降っており、まだ積もるのか……と思いました。
 
 

 
米原駅を通過すると天気は良くなってきましたが、まだ雪景色が続きました。伊吹山も真っ白でした。そして岐阜県に入っても関ヶ原は彦根ほどではありませんが積雪量が多かったです。また、近年は垂井辺りから急に積雪量が減って大垣で雪がなくなるのですが、この日に限っては大垣付近にも雪が残っていました。でも大垣付近で列車の速度が回復しました。岐阜羽島を通過して愛知県に入っても北向きの屋根には雪が残っていて、ちょっと前に名古屋でも積雪したことを思い出しました。名古屋市に入っても雪が少し残っていたのには驚きました。そして電車は17分ほどの遅れで名古屋駅に到着しました。遅れは痛いですが、米原付近の在来線が運休していただけに新幹線を動かしてくれたJR東海には感謝しなければなりません。JR東日本やJR西日本でしたら計画運休していたかもしれません。
 
 

 
名古屋駅では10人以上が下車しましたが、その倍以上の人が乗り込んできてE席、A席はもちろん、3人掛けの通路側C席も全て埋まり、2人掛けの通路側D席にも人が座り始めました。私の隣席にも男性が着席しました。名古屋から先は速度も天気も回復して、快調に飛ばしていきました。私は引き続き車窓風景を眺めました。静岡県に入ってしばらくすると雲がほとんどなくなり、新富士付近では左手には富士山が綺麗に望めました。富士山を案内する車内放送もあり、数人が写真撮影していました。
 
 

 
その富士山を久しぶりに眺められた事で安心したのか私は急に眠くなり、ウトウトとしながら車窓風景を眺めていたものの、小田原の直前で眠ってしまいました…。目が覚めたのは新横浜を過ぎて多摩川を渡る直前で、その後も品川までウトウトしていました。新横浜駅と品川駅で半数ほどの乗客が下車して、車内は結構空いてきました。最後は東京タワーなどを眺めて、『のぞみ80号』は定刻より10分遅れの9時01分に終点の東京駅に到着しました。名古屋では17分遅れでしたが、その後挽回して10分まで縮めました。まぁ、東海道新幹線は余裕時分があるダイヤを組んでいるようですから、遅れは回復しやすいですね。帰省シーズンという事もあり、東京駅ホームでは自由席の乗車待ちの列ができていましたが、コロナ禍以前と比較すると全然少なかったです。また、テレビ局のカメラもホームにいました。
 
 

 
東京駅下車後はすぐに乗換改札口を通り、上野東京ライン列車が発着する7・8番線へ。先発の上野行きはやり過ごして、9時09分に発車する次発の高崎線直通の普通・籠原行きに乗車しました。E23系3000番台5連+E231系近郊タイプ10連の15両編成で、私は最後部車両(E231系)の空いているボックスシートを独占しました。ラッシュと逆方向であるため車内はガラガラでした。道中は久しぶりに訪問した東京の街並みを眺めて過ごしました。上野駅では多少乗客が増えたものの私のボックスには誰も来ませんでした。尾久駅では乗降がなく、赤羽駅ではむしろ下車客の方が多かったです。そして荒川を渡って埼玉県に入ると快調に飛ばし、9時33分に到着した浦和駅で下車しました。浦和駅で列車を撮影後、コンコースへ移動しているともう次の列車が到着間近でした。この日は平日ダイヤなので、9時台はラッシュの余波で本数が多いです。
 
 

 
浦和駅ではトイレを済ませてから京浜東北線ホームへと移動し、9時43分発の北行各駅停車・大宮行きに乗り継ぎました。E233系1000番台10連で、この電車もガラガラだろうと思い込んでいましたが、私が乗車した最後部車両はちょっと混んでいて、私はドア脇に陣取りました。普段よりこの時間も乗車率が高いのか、単に大宮駅の南のりかえ通路に近い最後部車両だから混んでいるのか、詳細な理由は不明です。道中は住宅街が中心となった車窓風景を眺めて過ごし、私は次駅の北浦和駅で下車しました。北浦和駅からこの日の「降り鉄」を始めます。
 
 

 
北浦和駅は京浜東北線のみにホームがなく、構内だけ見ると「小駅」ですが、乗降客が多く、乗車人員の多さを見ると「大駅」のレベルです(コロナ禍以前は1日平均5万人を超えていました)。橋上駅舎の改札を出る際、有人通路で東京都区内までのきっぷを提示して、都区内の北端駅である赤羽から北浦和までの乗り越し運賃220円を『Suica』で支払って出場しました。周辺は市街地で、東西の駅前には中小の雑居ビルが建ち並んでいて賑やかでした。
 
 

 
北浦和駅からは10時16分発の各停・大宮行き(E233系10連)に乗車。この電車も最後部車両は立客がいる状態で、道中はドア脇に陣取って右側の車窓風景を眺めましたが、人が多くて武蔵野線大宮支線が地下から顔を出す左側のポジションは確保できませんでした(見られませんでした)。そして私は1駅目の与野駅で下車しました。与野駅は旧・浦和市に存在したものの旧・与野市に駅がなかっため実質的に旧・与野市の代表駅でした。橋上駅舎を有しています。構内は広く、北側にある大宮操車場の側線が当駅構内まで延びていますが、北浦和駅と同様に京浜東北線にしかホームがありません。また、駅前は思ったほど発展しておらず、西口側は再開発されてある程度整備されたものの、東口側はまともなロータリーもなく旧態依然としていました。
 
 

 

 
まだ昼にもなっていません。与野駅から先も乗り鉄・降り鉄を続けました。
 
 
(つづく)
 
 
今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません  
 
 
(参考:Wikipedia)